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第二十九話 ルーカスの家族
家の中は天井が高く、広々としている。先に風呂で汚れを落としてから、グレイスに案内された部屋に入った。部屋は二階にあり、机と椅子、そして空っぽの棚以外に家具が何も置かれていない、がらんとした部屋だった。机の上には三冊の本が置いてある。
『こちらがアイリス様のお部屋になります。お召し物と、最低限本日と明日必要な日用品は取り揃えておりますが、お望みの物があれば遠慮無くお申し付けくださいませ』
『ありがとうございます』
『お荷物はそちらに置かせていただいております』
部屋の角に白い布が敷かれており、その上に俺が日本から持ってきた荷物が綺麗に並べられていた。
『この扉の先がクローゼットです。反対側の扉を開けると寝室になります。坊ちゃんの希望で寝室はご一緒になりますが良いでしょうか?』
『はい』
寝室には、人が三人くらい寝られそうな大きなベッドが一つあった。二人で一つのベッドで寝られるようにできているのだろう。
『お部屋の案内は以上です。お食事の用意はできておりますが、如何いたしますか?』
『ルーカスのご家族への挨拶を先にしたいのですが』
『食事は一緒だから会えるよ』
『それじゃあ、お願いします』
グレイスは『かしこまりました』と恭しく頭を開けると下げる。緊張感が更に高まってきた。
ルーカスに手を引かれて食堂に行くと、既にルーカスの父――エリックさんと、二人の女性がいた。皺はあるがエリックさんよりも少し若く見える女性と、もっと若い女性だ。多分、ルーカスの母と姉だろう。
『父さん、母さん、ソフィ、ただいま』
『お帰りルーカス。俺がいない初めての仕事はどうだった?』
『海の上では気を張りっぱなしで大変だったよ。でも、皆が助けてくれたから大丈夫!』
『それは良かった』
ルーカスはエリックさんとハグをした。そのまま母、姉へと続く。
『アイリスが此処にいるという事は、恋が実ったのかな?』
エリックさんが俺を見て茶化すように言った。恥ずかしさで一瞬目を逸らしたくなったが、耐える。
『うん。オレと一緒に来てくれたんだ。アイリスだよ』
『そう、あなたがアイリスね』
ルーカスの母が品定めするように厳しそうな顔で俺を見つめた。
『アイリス、こちらがオレの母さん。隣が姉のソフィア』
『レイラよ。よろしく』
『ソフィアです。気軽にソフィって呼んで』
レイラさんに比べて、ソフィは友好的だ。三人と握手をしてから、指定された席に着く。扉が開くと良い匂いがしてきた。
先ずは前菜が運ばれてくる。テーブルに並んだ食器も船でハリーに教わった通りだ。その後も次々と料理が配膳される。ルーカスと一緒に練習したのを思い出しながらナイフとフォークを使った。
『ねえ、二人はどんな風に出会ったの?』
ふいにソフィが聞いてきた。正しい作法を気にし過ぎて久し振りに黙って食事をしてしまっていた事に気付く。こちらでは会話を楽しみながら食事をするのだと教わっていたから、船で練習していた時は頭で考えなくても作法通りにできて喋る余裕もあったのに、これは失態だった。
『そんなに緊張しないで。肩に力が入っていたら味なんか分からなくなるじゃない』
『すみません……』
『今日はイングランドに来て初めての食事でしょう? テーブルマナーは気にしないで、食事を楽しみなさい』
笑顔を見せてくれたレイラさんのその言葉に安堵した。やっと少しナイフを持つ手の力が緩む。それからは辿々しくはあるものの、日本の話やルーカスとの馴れ初めを話しながら食べる事ができた。
もう一つほっとしたのは、俺の幼少期や砂山夫妻の食事処で働く以前の生活について何も聞かれなかった事だ。
食事を終えてから、談話室らしき部屋で皆でカードで遊んだ。初めの二回はルーカスは参加せず、俺の手札を見ながら遊び方を教えてくれる。三度目以降は自力でやってみた。結果は当然、全敗だった。ルーカス曰く、この家族は心理戦と先読みが得意な父に勝つ為にそれぞれが研究し、結果的にカードが強い一家になったらしい。要するに全員勉強熱心で負けず嫌いなのだ。ルーカスに「アイリスも本気で遊び続ければそのうち強くなるよ」と言われた。カードの他にもチェスと呼ばれるボードゲームなんかにも強いらしい。
解散したのは夜が更けてからだった。用意された寝間着に着替えてから、ルーカスと共用のベッドに横になる。船の物よりも柔らかく、布の感触が肌に心地良い。
ほどなくして、ルーカスも入ってきた。ルーカスが隣の枕に頭を乗せると、一気に顔が近くなる。船のベッドは隣同士に並んだ一人用のベッドをそれぞれ使っていたから、こんなに近いのはルーカスが日本の俺の家に泊まった時以来だ。
「アイリス、今日家族に会ってどうだった?」
「皆優しかったな。最初はちょっと怖かったが、でも良い人達だと思う」
「良かった。最初は母さんにアイリスを連れてきて一緒に暮らすの反対されていたんだ。日本人だし、男同士だから。だけど一年くらい説得して、やっと会ってくれるって言ってくれた」
「そうなのか。これでもし今日、気に入られなかったら……?」
恐る恐る聞くと、ルーカスはゆるゆると首を横に振った。
「大丈夫。母さんはアイリスを嫌ってないよ。勿論、姉さんも父さんも」
「本当に?」
「眉間に皺寄ってなかったでしょ? 一緒にカードもやってくれたし」
「それなら良かった」
ルーカスは布団の中を探って、俺の手を握った。
「男同士では結婚できないけど、きっと家族になれるよ」
「家族……」
ルーカスが左手で握った俺の手に右手も添えて包み込んでもう一度「なれるよ」と言った。
家族なんて俺にはよく分からない。確かに俺にもあったかもしれないけど覚えてない。唯一親と呼べるような人は柊さんだけだ。それも最近になってやっと認められるようになったし、あれっきり話した事も無い。薫達も見てきたけど、障子一枚隔てた別世界のような気がしていた。その一員の気持ちは分からないけど、きっと物理的に遠くなったとしても、心は決して離れないものだろう。
ルーカスと家族になりたい。俺は強くそう思った。
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