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第三十話 レイラとのアフタヌーンティー
ルーカスの家に泊まった翌日の昼過ぎ、ルーカスは「お仕事」と言ってエリックさんと一緒に何処かへ出掛けてしまった。ソフィも家庭教師の日らしく、何処かの貴族の家に行ったらしい。残された俺はレイラに呼ばれた。
『レイラさん、何か御用ですか』
『入りなさい』
『失礼いたします』
『どうぞ、座って』
俺はレイラさんの正面の椅子に座った。机には新聞や本が幾つも並べられており、俺の目の前にはペンと沢山の紙が置かれている。
『あなたはこの国の事をどれくらい知っているのかしら?』
『すみません。殆ど何も……』
『でもテーブルマナーは覚えていたじゃない。どれだけ些細な事でも良いわ。知っている事を教えるのは時間の無駄だもの』
俺はルーカスとの会話や船旅で知った浅い知識を伝えた。すると、レイラさんは『ならこれは?』とか『こっちはどうなの?』と質問してくる。その一つひとつにYes、Noで答えた。
『じゃあ、身の回りの事から教えましょうか。必要ならその紙にメモをとりなさい』
『はい』
レイラさんははっきりとした声で、だけどゆっくり話してくれた。分からない単語などは言い換えたり、写真や文字を指差したりして教えてくれる。今のグレートブリテンの事と、しきたりや序列、レディファーストの精神、そしてマナーについて学んだ。
『今日はこのくらいにしておきましょう。もうすぐティータイムの時間だわ』
『色々教えてくださり、ありがとうございました』
『ところで、ルーカスは私の事を何と言っていたのかしら?』
唐突にレイラさんが聞いてきた。何の事かと聞くと、
『昨日からずっとあなたが私に怯えてるような気がするの。"母さんは怖い"ってルーカスに言われてたの?』
と続けて問われる。俺は昨日馬車で聞いた話をそのまま伝えた。
『ルーカスったら、後で叱ってやろうかしら』
『でもレイラさんは思っていたよりも優しい人です』
『嫌ね、昨日海外から来た人にこの国のマナーやしきたりがなってないからって起こるわけないじゃない。知らないなら教えれば良いだけよ。でも教えたのにやらないのはダメ』
レイラさんは良い教育者だと思う。ルーカスが「怒ると怖い」と言いながらも笑っていた理由がよく分かる。レイラさんが机の上に散らばった本や新聞をきっちり揃えて並べ終えたところで、執事の人がティータイムの時間を知らせにきた。
『アフタヌーンティーにもマナーがあるの。本来は正式に招待状を出して本格的な社交場になるのだけれど、今日はアイリスの為に気楽に楽しめそうなものを用意したのよ。せっかくイングランドにいるなら覚えておいた方が良いわ』
そう言って、レイラさんは一つひとつ説明してくれる。席に着いてからの流れ、紅茶の楽しみ方、サンドイッチやスコーン等を食べる順番と食べ方等、一通り話してから実際に順番にやって見せてくれた。
『アフタヌーンティーはマダムのセンスが問われるのよ。どんな会場にするか、何の紅茶や食器を使うか、勿論、スコーンやケーキ、サンドイッチも美味しいものを作らせるの。あなたが来た時の為に用意をしていたのよ』
『とても美味しいです。ティーカップの柄もレイラさんの服と合っていて素敵ですね。それと、前から準備をしていてくれたとは思っていませんでした。ありがとうございます』
『息子があんなに熱心に頼み込んでくるんですもの。毎日毎日、目を輝かせてあなたの事を話すのよ。どれだけ自分が惚れたかとか、どんなところが好きだとか、イングランドに帰ってこられなくなっても一緒に居たいとか。つい、そんなに言うならいっぺん連れて来いって言ってしまったわ。その時のルーカスの嬉しそうな顔と言ったら……』
実際に見てはいないが、ルーカスの様子が目に浮かぶ。レイラさんはフォークを手に取って俺に見せた。
『これは日本の銀で作られているの。前にエリックさんが日本と取り引きした時に入手したものよ。それを今日のアフタヌーンティーの為にフォークにしたの』
『日本の銀……』
レイラさんからフォークを受け取った。フォークは曇り一つなく磨かれている。正直、ここまでもてなしてくれるとは思っていなかった。俺はつい、黙ってフォークを見つめてしまった。
『日本に帰りたくなったかしら?』
『いいえ。この家と、レイラさんの事が好きになりました』
『それなら良かった』
『ところで……』と言って、レイラさんは手に持っていたティーカップを静かにテーブルに置いた。
『いつになったら"お母さん"と呼んでくれるのかしら?』
「えっ?」
日本語が出てしまった。俺の英語が間違っていなければ「いつ母と呼んでくれるか?」と聞かれた気がする。レイラさんはルーカスの母で、俺はルーカスの恋人だけどただの客人だ。いや、ルーカスと家族になるならレイラさんとも家族になるのか。
『私ではアイリスの母にはなれないかしら?』
『えっと、いや、むしろそう呼ぶのは烏滸がましいです。俺は余所者なので』
『ルーカスが生涯の伴侶に選んだ相手なら私達にとっても余所者じゃないわ』
『……認めていただけるんですか?』
自分で聞いておいて返事を聞くのは少し怖い。つい、サンドイッチを摘んだ指に力が入る。形が崩れて中身が零れそうだったのを間一髪、口に放り込んで事無きを得た。だがすぐに後悔する。これは流石に行儀が悪いかもしれない。咎められるかと思ったが、レイラさんは微かに笑っただけだった。
『あなたがもっと横柄で我儘な人だったら、あるいは、遊びで息子と付き合っていたのなら追い出していたわ』
『俺は我儘で勝手ですが、本気でルーカスが好きです。遊びも冷やかしもしていないし、浮気もしません。本気で愛しています』
『そう。あなたもちゃんと本気なのね。ルーカスが言った通りの人柄だって事も、昨夜と今日で分かったわ』
レイラさんは二杯目の紅茶を注いだ。そして言葉を続ける。
『前にエリックさんと話をしたの。もしもアイリスという男が息子と共にイングランドに来て、そして息子と一生添い遂げたいと本気で言うのなら、その時は養子に迎えようって』
『エリックさんもそれに賛成なんですか?』
『むしろ言い出したのは彼の方よ。彼は完全に息子の味方だったわ。私はルーカスが周囲の人に白い目で見られるのも、その男に裏切られるのも嫌だから反対したんだけど。ダメね、あの人の真剣な眼差しと熱意にはいつも負けるの』
レイラさんはルーカスを想って反対し続けてくれたのだ。それでも押されると弱いところがあるらしい。それでも只の根負けや諦めではなく、エリックさんとルーカスの人を見る目を信頼しているから折れたのだろう。それを俺が言っていいところかは分からないが。ルーカスは、レイラさんは心配性だと言っていたが、それも家族が大事だからに違いない。
『アイリス、お茶のおかわりはいかが?』
『ありがとうございます。……お母さん』
レイラさんを母と呼んでみると、レイラさんは嬉しそうに笑ってティーカップに紅茶を注いでくれた。
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