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第三十ニ話 家族の絆と最愛の人
俺がウォーリックの養子に入ってすぐ、ソフィが結婚した。相手は男爵家の次男で、ソフィよりも二つ年下だ。こちらは満場一致で結婚を祝福したが、あちらの家族はかなり渋っていた。ソフィの年齢と、俺とルーカスの事が気に入らないと言っていたらしい。三年間想い合って、話し合いの末に夫側の家族の反対を押し切り、半ば絶縁に近い状態での結婚となった。それでも二人は終始幸福そうな笑顔で愛を誓い合う。ソフィの真っ白い花嫁衣装はとても美しく、今日の彼女は今までで見た誰よりも綺麗な人だった。ソフィは家を出て、夫が働くロンドン郊外で暮らす事になる。
『ソフィ、綺麗だね。裾のレースも胸元のリボンも可愛らしくてとっても素敵』
『ありがとうルーカス』
『それとごめんなさい。オレのせいで……』
『気にしないで。私だってルーカスの恋を応援していたんだもの。それに障害のある恋が実って幸せになるって、すごいロマンチックじゃない?』
ふふ、とソフィは笑った。その笑顔は悪戯っ子の笑い方をするルーカスとよく似ている。ルーカスは俺と会う前から男に恋をする人だった。どうやって知られたのかは分からないが、三年前にはもうその事実は向こうの家族に知られていたという。イングランドでは、多分日本よりもずっと同性愛者に厳しい。それでもルーカスは自分の感情に正直で、家族もルーカスの味方をしてくれていた。だからこそ今此処に俺が居る。だけどその陰でソフィが苦労していた事に、ルーカスは罪悪感を感じているのだろう。
『ソフィ。絶対幸せになってね。あの人がソフィを泣かせたら、飛んでいってやっつけるからね』
『その心配は要らないわ。その時は自分でやるから』
ソフィがグッと手を握りしめる。そこは「そんな時は来ないわ」とでも言うべきじゃないかと思った。だがきっと俺とルーカスよりも沢山喧嘩をして、その度にまたお互いを知って愛し合ったんだと思う。
晴天の日、ソフィは大荷物を抱えて生まれ育った家を出た。
『母さん、行ってきます』
『行ってきます』
労働者用の動きやすい服を着た俺とルーカスは門の前で見送りをしてくれるお母さんを振り返った。
『行ってらっしゃい。くれぐれも気を付けるのよ。天気が悪い日は絶対船を何処かに停めて無理に進まないで。食料は余分に積んであるの?』
『勿論。ちゃんとわかっているよ』
『二人とも、必ず帰ってきなさい』
『うん』
『ああ』
今日からまた、俺とルーカスは海に出る。俺は約半年振り、ルーカスもひと月振りだった。ルーカスがお父さんと船に乗ってからもう何年も経つし、自分で指揮をとるようになってから三度目の仕事になるのだが、お母さんにとってはまだ不安みたいだ。
『お母さんの方こそ、一人になってしまいますが大丈夫ですか?』
『私は何もないもの。いつも通り刺繍と友達とのお喋りを楽しむだけよ』
『ですが……』
『それに、ソフィからもうすぐいい報告ができそうって手紙が来たの。それを楽しみにしているわ』
『それなら良かったです』
ソフィはたまに遊びに来るし、俺達宛てにも手紙が届くが、お母さんとだけは秘密のやり取りをしているらしい。お父さんも俺達も仕事に行ってしまうとお母さんが一人になってしまうかと思っていたが、杞憂のようだ。
『いい報告って何だろうね?』
『帰ったら俺達にも教えてください』
『分かってるわよ。それよりもう出発の時間でしょう? 船長が遅刻したらクルーに示しが付かないわ』
『はーい、行ってきます』
ルーカスはお母さんに手を振って、俺は軽く会釈をして馬車に乗った。行き先は港だ。今回も当然、ハリーも一緒にいる。俺はお母さんや使用人の皆と離れる寂しさよりも、またルーカス達と船旅ができるワクワク感が勝っていた。
『アイリス、久し振り!』
『もう来ないかと思ってたよ。元気にしてたか?』
『体鈍ってないだろうなあ?』
港には、もう半数以上のクルーが集まっている。馬車を降りるなり皆が俺に声を掛けてくれた。
『色々ありましたが、本日から正式に商船ウォーリックのクルーとして働かせてもらいます。よろしくお願いします』
『そうか、よろしく』
『やったなルーカス!』
今回共に船に乗るクルーが全員港に集まったのを確認して、ルーカスが号令を掛けた。
『乗船準備開始!』
『イエッサー』
船に乗って必要な荷物と食料の確認や船の点検、点呼等、必要な作業を全て済ませると、いよいよ出航だ。
『出航!』
ルーカスの号令と共に、船は音を立てて動き出した。
これが貿易商社ウォーリックの見習いクルー、アイリス・ウォーリックの初仕事だ。
いつか、日本で何もせずに不幸を嘆き続けた過去の自分に教えてやりたい。俺は今、海の向こうの遠い国に大好きな家族がいて、共に笑いながら汗を流して働く仲間達がいて、俺を心から愛してくれている人を何よりも大切にしたいと思っている事を。だから、俺もちゃんと幸せになれると――
金髪で片言の男に、お世辞にも上手いとは言えない文字で書かれた恋文を渡されたあの日、俺の人生は大きく変わった。変えてくれたルーカスに、口では言い表わせないくらい感謝している。
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