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第3話

「こ、この前はありがとうございました……」 頭を深々と下げた。 「風邪引かなかった?」 「はい、お陰様で」 思い出すと顔が熱くなり目を伏せた。 「これ、オレの名刺」 胸ポケットから、名刺入れを取り出し一枚渡された。 『鳴宮自動車 専務 鳴宮蒼介(なるみやそうすけ)』 名前の横に会社の電話番号と携帯番号が書いてあった。 「専務様なんですね」 「様って言わないで」 ソファにどかっと座り、タバコに火を点けた。樹もその向かいに腰を下ろし、鞄から見積書を取り出した。 「知り合いだったの?」 蒼介の前にも麦茶が置かれると、蒼介はそれを一気に飲み干した。 「傘を貸してくれたんです」 「あら、珍しく優しい事するじゃない」 クスリと蒼介の母は笑った。 「オレはいつも優しいでしょ。凄い偶然だな」 「傘、お返しします」 「あー、いいよ。女物の傘なんて使わないし」 「女性物だって気付かなくて、周りの視線で分かりました」 「元カノのなんだよ。だから、返さなくていい。それに、君ならあの傘似合いそうだ」 樹があの傘をさすのを想像したのか、ニヤリと口角を上げた。 「こっちこそ、ネクタイありがとう」 「すいません、あまり必要ないですよね」 無理矢理押し付けた上に、蒼介の職業柄あまり必要のないものだった事に自己嫌悪になる。 「いや!今月結婚式あって、ちょうど買おうと思ってたから助かった。センスいいな、君」 そう言って、薄っすらと優しい笑みを浮かべている。 あのネクタイをしている蒼介を想像すると、とても似合うと思った。 「で、見積もりなんですけど……」 すっかり仕事を忘れてしまいそうになった。見積書を手渡すと、塗装の付いた大きな手が伸びた。 「もっと値引きしてよー」 「それで、限界です」 「ケチー」 「その代わり、希望ナンバーはサービスします」 「あ、ほんと?」 蒼介はタバコを燻らせながら、見積書を見つめている。 その真剣な眼差しに一瞬目を奪われた。男の色気があると思った。その思考をかき消すように、膝に置いた拳をぎゅっと握った。 「ナンバー何にするか聞いておいて下さい」 「今、聞くからちょっと待って」 蒼介はそう言って、胸ポケットから携帯を取り出した。 暫く蒼介の電話のやり取りを、ぼうっと見つめた。クルクルと表情が変わり、見ていて飽きないと思った。ふと、樹に目線を向けると、ニコリと優しい笑みを向けられ、ドキリと心臓が大きく鳴った。 「え?たー坊来れないの⁈」 どうやら、全く違う話になっているようだった。 「うそー、男あと一人どうすんの?」 蒼介は顔を手で覆っている。 「あっ!いるわ、目の前に」 蒼介が樹を凝視している。 そのうち電話が切れると、 「水無瀬くん、今週の土曜日暇?」 唐突にそう言われた。 「まぁ、特に何も……」 恋人と別れた今、樹の休みのスケジュールは真っ白だった。 蒼介が、お願い!そう言って胸の前に手を合わせた。

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