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第10話

ミーティングの時間が近づくにつれて、部員たちが続々と部室にやってきたが、拓哉は時間ギリギリになって現れていた。 ミーティングでは部活動の今後の日程や新入生歓迎会での部活紹介の話等もあり、最後に正明の事が紹介された。 正明は始業式で挨拶したので、手短に終わらせていた。 「マサアキはこう見えてオリンピックにも出られるくらいの選手だったから、ウチにとって大きな力になると思う。今年こそは皆でインターハイに行けるよう頑張ろうぜ!以上、今日は16時までしかプール使えないから自主練にする!!」 誠の言葉に、部員たちが声を揃えて『はい!』と応え、更衣室へ向かっていく。 この時も拓哉は最後に立ち上がり、面倒くさそうに歩いていった。 「あれ、ヨシの甥っ子。去年の秋くらいから調子悪くてな。背が伸びたせいなのかフォームが乱れててタイムが伸びない感じでさ。アイツ、元々人の言うコト聞くタイプじゃねーんだけど、秋以降ますますひどくてな。いつ辞めるって言い出すかハラハラしてるんだ。練習も来たり来なかったりで、やれば出来るヤツだろうからなんとか立ち直って欲しいんだけどなぁ…」 「そうなんですね…」 成長に伴って今までのフォームではうまくいかなることは、小柄だが正明にもあったことだった。 「あの…僕も一緒に練習に参加してもいいですか?」 「お、水着持って来てたのか」 「はい、もし部活があってもいいように準備していました」 「お前、やるな」 「ありがとうございます!」 指導するなら一緒にプールに入ってやりたいと考えていた正明は、すぐに泳げるように必要な準備をしていた。 誰もいなくなった更衣室で着替えを済ませると、正明は部員たちに混ざって準備体操から参加した。 その様子に、部員たちはざわついた。 「ちょっ、マジかよ」 「正明先生、見た目によらずイイカラダしてるな。もっと細いかと思った」 「オマエバカか?オリンピックに出られるくらいの人がガリガリなワケねーだろ 」 そうした雑談に、拓哉が大きくため息をつき、 「うるせえ、黙ってやれよ」 と善久に似た低めの声で吐き捨てるように言った。 「お…おう…」 相手を睨みつけることも忘れない拓哉。 上級生相手でも容赦のない言動に、部員たちは凍りついたように静かになる。 (すごい…誰も拓哉くんに何も言えない感じだ…) 正明もその迫力に圧倒される。 準備体操を終えた頃、誠も水着姿でプールサイドに姿を見せた。 「よし、まず2年から。マサヒロ、ツカサ、こっちに来い」 「はい!!」 正明は誠から、3年生のキャプテン、高取真広(まさひろ)と副キャプテンの宮永司(つかさ)を紹介される。 「お前と同じく個人メドレーやってるキャプテンのマサヒロと、背泳ぎやってる副キャプテンのツカサ。部員たちに伝えたいコトとかあったら、まずこのふたりに話してくれ」 「よろしくお願いします!!オレ、正明先生みたいな選手になりたいと思っています!!」 「そう言ってもらえるなんて嬉しいよ、ありがとう。こちらこそよろしく」 誠と同じく、熱血漢という言葉が似合いそうな真広は、大きな手を正明に差し出してきた。 大柄で筋肉質な真広を見上げ、正明は笑顔で挨拶に応じた。 真広からの握手は、力強いものだった。 「副キャプテンの宮永です。よろしくお願いします」 「こちらこそ。よろしく」 対して、司は穏やかな、おっとりとした口調で正明に話しかけてきた。 自分よりも小柄な司に、正明は少しホッとしていたりする。 2年生が泳いでいる間、3年生はその様子を見たり、柔軟体操をしたりしていた。 「あれ…拓哉くんは…?」 泳いでいる部員の中に拓哉の姿がないことに気づく正明。 「彼はこういう時、全員が帰ってから泳ぐんです。それまではあそこでずっと柔軟してたり、フォームの確認をしたりしています」 司がプールサイドの端にいる拓哉の存在を正明に教えてくれる。 「アイツ、入ってきた時からガラ悪いし、決まった時間とか全然守らないんですけど、理事長の孫だから誰も何も言えないんスよ。実力もあるからっていうのもあるんスけど」 「そうなんだ…」 「彼の泳ぎ、調子が良い時はものすごくて。彼が気持ち良さそうに泳いでいるのがこちらにも伝わるくらいなんです。あの泳ぎを取り戻せたらいいのになぁって思います」 「司、お前何度も無視されてんのによくそんなこと言えるな」 「無視?そうかなぁ。タクヤはちゃんと僕の話を聞いているよ。だから今日もミーティング来たじゃない。ギリギリだったけど」 ふたりの会話を聞きつつ、正明は拓哉の姿を見つめていた。 その後、正明は泳いでいた部員たちの姿を見て気になったところを一人一人に指導していた。 その間もずっと、拓哉はプールサイドから離れることはなかった。 拓哉が泳ぐ姿が見たくて、正明は他の部員たちが練習を終えて帰っていってもこの場を離れようとはしなかった。 「マサアキ」 そんな正明に、誠が声をかける。 「タクヤのコト、任せていいか?オレがいると泳がないで帰る時もあってさ。時間は過ぎてるけど、オレから警備の人に話しておくからアイツの好きなようにやらせてくれ」 「あ…はい、分かりました…」 ふたりが話していると、拓哉が飛び込み台からプールに飛び込み、泳ぎだす。 (あ……!!) ひとりになったプールを、クロールで泳いでいく拓哉。 苦しそうな、水の流れに逆らった不自然な泳ぎになっているように正明には見えた。 (辛いんだな、拓哉くん) 焦れば焦るほど上手くいかない。 拓哉の泳ぎから、それが伝わってくる。 「ふー……」 100メートルを泳ぐと、拓哉は動きを止めて正明を見た。 「何?オレに何か言いたい事でもあんの?」 不機嫌そうな声。 「う…うん、あるよ。あるけど…とりあえず今はいいや。もう少し休む?一緒に泳ぎたいなぁって思って…」 「はぁ?何言ってんだよ。時間過ぎて泳いでる事はいいのかよ」 「あ、一応悪いとは思ってるんだ。そう思ってるなら明日は時間内に泳ごうよ。で、今日はもう大丈夫みたいだから一緒に泳ごう。ダメかな?」 拓哉の言動に若干の動揺を覚えながらも、正明はキッパリと言い切る。 悩んでいる選手がいる時は一緒に泳ぐことでその悩みが理解できると正明は考えていた。 拓哉の場合、技術的なことよりもまず精神的なことをフォローしていく方が良さそうだった。 「別にいいけど、変わってるな、アンタ」 「ありがとう。じゃ、今と同じく100メートル泳ごうか。僕は僕のペースで泳ぐから、君もタイムとか気にしないで水に身体を預ける感じで泳いでみて」 正明はそう言って、先に泳ぎはじめた。 拓哉と同じく、クロールで泳いでいく正明。 晃明に憧れて始めた水泳。 いつしかのめり込み、悩むこともあったが水泳が好きという思いと、自分の活躍を喜んでくれる晃明を見たいという思いとでずっと泳ぎ続けてきた。 (あぁ…やっぱり泳ぐと気持ちいいなぁ…) 正明はいつも、どんな時も、そんな気持ちで泳いできた。 「………」 100メートルを泳ぎきった正明。 拓哉は、それに続いてこなかった。 「スゲーな、アンタの泳ぎ」 「ありがとう。そう言ってもらえるなんて思ってなかったから嬉しいよ」 拓哉は正明の泳ぎに感動しているようだった。 「…オレもアンタみたいになれるか?」 「泳ぐことが大好きならなれるよ。今は思い通りいかなくて苦しいと思うけど、水泳が大好きなら必ず上手くなれる。まずはタイムとかは気にしなくていいから自分が気持ちいいように泳いでみて。そこから色々直していけばいいんだから」 拓哉からの質問に、正明は笑顔で応えた。 「分かった。やってみるから一緒に泳いでくれないか?」 「うん、いいよ。久しぶりだから途中でバテちゃうかもしれないけど」 「バテるとかダセェから」 正明の言葉に、拓哉が初めて笑顔を見せた。 正明より身体は大きいが、その笑みはあどけなさが残るものだった。 その後、ふたりは800メートルを共にクロールで泳いでいた。 一緒に泳いでいく中で、正明は拓哉が泳ぐことが好きな自分を思い出そうとしていることを感じた。 最後は一緒にプールサイドや更衣室を掃除するほど、拓哉と打ち解けることができた。 「明日も練習見てくれるか?今日みたいに」 「もちろん。今日みたいにちゃんと後片付けしてくれるならね。みんなとはまだ練習したくないんでしょう?笠原コーチには僕から話しておくよ。じゃあまた明日、お疲れさま」 「お疲れ、正明先生」 正明が笑顔で手を振ると、拓哉は恥ずかしそうにしながらもそれに応えて帰っていく。 「お疲れさん。タクヤ、ちゃんと泳いだみたいだな。気づかないように見に行ってたんだよね、オレ」 部室に戻ると、誠が正明のことを待ってくれていた。 「そうだったんですね。気がつかなくてすみません…」 「お前、スゲーな。あのタクヤとすぐ話せるようになるなんて」 「僕もこんなにすぐ打ち解けられると思っていなかったのでビックリしています…」 拓哉は、見た目は少し怖いが、中身はごく普通の、水泳が好きな少年だと正明は感じた。 「他の部員たちもお前のアドバイスに感動してたよ。オレとは違う見方で指導してくれるからすごく良かった。ファンクラブ作るって言ってるヤツもいたし、お前もヒロみたいにモテそうだな」 そう言って、誠は豪快に笑う。 「さて、オレらも帰るか。明日またよろしくな」 「はい!こちらこそよろしくお願いします!!」 外は夕暮れがキレイな時間になっていた。 車通勤の誠と部室棟の入口で別れると、正明は校門に向かって歩きだす。 (お兄ちゃん、なんとか1日無事終わったよ。明日もなんとか頑張っていくからね…) 夕陽を背に受けながら、正明は心の中でそう呟いていた。

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