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第17話
引っ越し先はアラキとひかりの職場の中間地点にある賃貸マンションに決めた。一軒家よりもセキュリティ面の安心があるというのも一つの理由だ。二人暮らしだから一軒家に住み続ける必要もない。
「ひかりはこちらの段ボールを頼む。飲み物でも買ってこよう」
「それなら俺も一緒に行くよ」
引っ越しの荷物も一通り新しい部屋に入り、開梱作業をするだけとなった。黙々と二人で作業を続けていたが、ふと口を開いたアラキの声掛けに、ひかりも冷蔵庫の中に何も入っていなかったことを思い出す。
「雨が結構降っているから、ひかりは部屋にいてくれ。すぐ戻る」
ひかりが心配するので傘もちゃんと持つ。玄関までついてきたひかりの唇に触れるように口づけるとひかりの顔が一気に赤くなったのを見て、アラキの口もとが笑みをかたどる。外に出ると雨は激しさを増していて朝よりも暗くなっているように思えた。
ひかりが喜びそうな喫茶店やコンビニを徒歩圏内に幾つか見つけ、位置を覚えていく。焼きたてのパンを売りにした小さなパン屋もきっと喜ぶだろう。ひかりは食べている時、とても嬉しそうな顔になるのでその顔を見るのがアラキの『楽しみ』でもある。この辺りは表側は再開発が進んでいるが、細い路地もまだまだあるようだ。近所の子どもが遊ぶためなのだろう、公園の遊具の下には雨宿りする猫の姿が見える。
ふと、視線を感じてアラキは立ち止まった。そのまま気づかない振りをして公園へと入ると、視線はそのままついてくる。――好ましくないその視線は、記憶に新しい。
「まさか、ひかりがロボットなんかと一緒にいるとは思わなかったが……ロボットなら簡単に壊せる」
昏い声。
ひかりとは実の兄弟だという話だが、その男にひかりと似ている部分などどこもないようだった。手に工具やら、スタンガンのようなものを持っている。確かに電気による攻撃は、精密機械にはかなりの衝撃になる。回線がショートし、最悪そのまま動かなくなるだろう――ふつうの、家庭用であれば。
「ひかりの奴、おれとしているのに『アキラ』だか『アラキ』だか、散々わめいて耳障りだったんだよ。……新しい男をくわえ込んだんだろうって思っていたのに、まさかロボットじゃあ……セックスすることもできないな」
馬鹿にしたように男は鼻で笑った。
確かに、セクサロイドではない限りロボットは人と交わることはできない。そういう風に作られているし、別にそういうことを悲観することもない。だが、酷い暴行を受けながら自分の名前を呼んだというひかりの姿が思い浮かぶようで――アラキは強烈な『怒り』が自分の中に浮かぶのを感じた。
「取り合えずお前は目障りだ。とっとと壊れろ、この粗悪品!!」
走り寄ってきた男が持っている道具にスイッチを入れ、電流を迸らせたが――返ってきたのは「ロボットの断末魔」ではなく、一瞬で意識を失いかけるほどの強烈な蹴りだった。雨のせいでぬかるんだ公園の地面に勢いよく倒れこみ、男は自分がどうして空を見上げているのか分からないといったように瞬きを繰り返した。確かに、電流は相手に当たったと思ったし、なんなら相手が持っていた傘も空を舞っていった。
「一撃で……壊せると、ネットに書いてあったのに」
なぜ、と呻いた男に精巧に作られたヒューマノイドはゆっくりと笑んで見せる。
「そうだな。通常のロボットならその方法で一瞬で壊れる。正解だ。……だが、私はいかなる攻撃にも対応するように作られている。そして、的確に敵を破壊する機能も搭載されている」
そんなに力を入れていないように思えるのに、ヒューマノイドは男の襟元を掴むと殊更ゆっくりと持ち上げた。必死にもがく男の力など、まるで小さな虫の抵抗くらいにしか思っていないような顔で。
ふと、男の脳裏に数年前に起きた戦争で投入された最新型兵器のニュースが思い浮かんだ。最高機密の中で生まれた、最高峰の技術のすべてを注ぎ込まれ、人にしか見えないほど精巧に作られたヒューマノイド型ロボットたち。たった十二体で一国の反乱を鎮圧し――あまりの攻撃力に大国自らが、封印してしまった。ニュースでは驚きと恐怖の戦果を作り上げ、巨額の防衛費を塵に変えた彼らが処分場に送られていく様子が報じられていたものだ。
「なんだ、この国でも私たちのニュースが流れていたのだな……それも正解だ。私はNo.A-Rack12――幸運の天使、という名前を授かっていた。皮肉なことに、我々はみな天使と名付けられていたんだ」
男は自分の思考が読まれたことを知って、ぞっとした。ヒューマノイドが持つアンバーの瞳に映る自分の顔が、どんどんと恐怖に引きつっていく。自分を殺す気なのか、と慄く。だが、自分が死ねばひかりにも知られることになる。ロボットが暴走して人を殺めれば、その暴走したロボットは例外なく破壊措置となる。最新型兵器であっても、処分場へと送られたように。
「殺すわけがない。私は、ひかりが死ぬ時まで傍にいると約束したのだから。……本当はしっかりとした報復措置を取りたいが、私は貴様ごときのために破壊されるわけにはいかない」
俺のひかりだ、と男は言い返そうとした。だが、ヒューマノイドの瞳を見ているうちに、耳鳴りが少しずつひどくなっていくことに気づく。ふと、まるで心の中に虫食い状の穴が広がるような、『大事なもの』が自分から失われていく感覚に襲われて男は声もなく目を見開いていた。
「き、記憶を……け、消さないで……くれ……」
小さな懇願を聞いてやることもなく、ヒューマノイドはやがて男を地面へと下した。青白い顔をしたまま、男はぬかるんだ地面を見つめている。――もう、男には何に自分が執着していたのかすら思い出せないだろう。機能としてそういう『破壊行動』ができることも知ってはいたが、男の有り様を見るにつけ、むやみやたらに使うものではないな、とヒューマノイドは学習する。
ニャア、と猫が鳴いたのを契機に男は立ち上がるとふらふらと立ち去って行った。家に帰るのか、それともどこかに向かうのかは、これ以上ヒューマノイド……アラキにも分からないことだ。
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