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第2話

     ※  喫茶モン・パリは駅前から徒歩30分の、街から外れた工場地帯の近くにある喫茶店だ。  喫煙可能な喫茶店で、店内はタバコとコーヒーの香りが混ざった独特のにおいがする。  巧は隅の席に座り、ウェイターに高菜ピラフとコーヒーを注文すると、カバンから先ほどの男にもらったクリアファイルを取り出した。  一番上にファイリングされていた記事に目を通す。 【少年A、ついに自供する『殺そうと思って、殺しました』  少年Aこと、春日良一は公立中学に通う中学二年生の13歳だ。通う、とは言っても1年の秋から学校には行っていないそうで、その毎日を学生服を着て近所の公園で時間を潰していたそうだ。  6月半ばの蒸し暑い日に、事件は起こった。春日少年はその日もいつもの公園で時間を潰していた。小学校低学年が下校する時間に偶然目の前を通りすぎた児童、吉野巧くんのあとを春日少年はつけた。まだ新しいランドセルを、そっと追いかけたことだろう。  そして巧くんが家に帰り着き、玄関に入る瞬間、家の中に押し入った春日少年はその家の果物ナイフを使い、巧くんの母親である吉野より子を殺害した。  より子さんの遺体には、何十ヶ所もの刺し傷があったそうだ。何度も何度も、春日少年はより子さんを刺したのだろう。  そして不可解なことが起こった。  すでに報道されている通り、より子さんの殺害を終えた春日少年はその場から逃げることなく、なぜか巧くんの子ども部屋で巧くんを抱っこして寝ているところを、帰宅した父親に発見され、逮捕されたのだ。  なぜ春日少年は巧くんのことを殺害しなかったのか。なぜその場から逃げなかったのか。逮捕された春日少年は何も語らなかった。しかし先日事件について自供したと警察よりマスコミに公表された。  春日少年は「(より子さんについては)殺そうと思って殺した。(巧くんについては)殺そうと思った。でも、抱き上げたら、あったかくて、ちいさくて、いとおしくて、殺せなかった」と供述した。  なお、保護された巧くんの体には殴られた形跡があったが、巧くんへの暴行については認めていないという。  ※加害者の名前はAに変更。被害者も母親以外は被害者児童または遺族児童に変更し再提出すること】 「お待たせしました。高菜ピラフとコーヒーです」  ウェイターの声と共に、ファイルを裏返した。 「ホットコーヒーをご注文のお客様は、そちらのコーヒーサーバーのコーヒーはおかわり自由になっておりますので、ご利用ください」 「どうも」  巧はウェイターが去ったところでマスクを取ると、目の前のコーヒーに口をつけた。 『僕は、知らないはずのこの犯人いや、春日良一に、事件のあったあの日から執着している』  巧はスプーンを手に取ると、高菜ピラフの上に乗った三つ葉を掬い上げ口に入れた。  喫茶モン・パリの平日17時30分。店内はがらがらで、忙しさを感じない。立地はもちろん、コーヒーのお代わりがセルフサービスになっているためか回転率も悪い。  たまにかかるオーダーにウェイターが向かうほどで、厨房内からも店員同士の談笑が小さく聞こえる。  巧はコーヒーをお代わりしながら、もらった資料に目を通した。  資料、とは言い難い走り書きのメモのコピーは読み辛いのか、巧は赤のボールペンで文字を訂正しつつ読み進めている。 【A黙秘が続く】 【A、巧くんが「知らない人に(お母さんが)ころされた」と言っていたと警察に聞いた瞬間『殺そうと思って殺しました、罪の意識はありませんでした』とついに自供した。被害者家族とは面識はないと答えており、通り魔的犯行と思われる。】 【A、巧くんへの暴行だけは否認。警察もアザの状態から犯行日より前のものと断定】 【Aと巧くんは本当に初対面?】 【Aくんの本名、春日良一】 【春日良一は学校でいじめに遇っていた?】 【良一の同級生、教師の証言 教師『目立たない子。成績は中の上』 1年の頃の同級生ほとんどが大人しい、いつも本を読んでいたと証言も、ひとりだけ『良一くんは正義感が強くて、僕を助けてくれました』と証言】 【いじめ、不登校】 【いじめの被害者を庇った良一くんは逆にいじめの被害に遭う。】 【なぜ弱い巧くんではなく、母親を殺した?】 【良一くん、13歳もあと数日で14歳。犯罪少年として成人の刑事事件として裁かれる。】 『覚えているのは、母親が殺される瞬間と、あの男の……春日良一の顔。そして、この感情だけだ』  コーヒーサーバーの中のコーヒーは少し酸味が強い。巧は角砂糖を落とし、フレッシュミルクをくるりと垂らすと目を閉じた。 『目を閉じると、春日良一の姿と顔がすぐに浮かぶ。母を何度も何度も刺していた。でもあの顔はまるで……』  巧が目を開く。窓の外は雲行きが怪しい。  喫茶店の窓からは、チルド餃子の製造工場が見える。  元々白かったであろう壁面は黒く汚れ、重たい雲により本当に稼働しているのか疑わしいほど薄暗い。  外から見ると静かな工場だ。しかし工場内は小麦粉とニラの強いにおい。ベルトコンベアの音が響いている。  ゴウンゴウンと音を立て流れてくる餃子を、同じく流れてくるプラスチックトレーに入れているのは人間だ。  定位置に立ち、歯車のように機械的にトレーに餃子を詰めていく。  この業務につく作業員は、全員派遣の日雇い労働者だ。国籍もバラバラで、この作業をしている日本人はひとりだけだった。 『まるで生きた機械だな』  唯一の日本人、春日良一は黙々と手を動かしながらそんなことを考えていた。  衛生服を身にまとい、ただ黙々とトレーに餃子を詰める。ずっと同じ姿勢で首が痛いこと以外は楽な仕事だ。 『神様あの子は……いや、やめよう。この仕事は、考え事をしてしまうのだけが難点だな』  ベルトコンベアは製造が終わるまで流れ続ける。良一は小さくため息をつき、餃子をトレーに詰めていった。

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