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第5話

「ある日、良一はいじめに遭っていた同級生を庇いました。同級生はいじめに遭わなくなりました。でも、その日から良一がいじめに遭うようになりました。それから良一は学校へ行くことをやめました」 「え?」 「このまま、黙って聞いてろ。……その日も良一は学校へ行かずに、小さな公園のベンチに腰かけて時間を潰していました」  学校へ行く、という行為はもはや良一にとってどうでもいいことでした。良一は中学校と小学校の中間にある公園で一日を過ごしました。  ある日、そろそろ家に帰ろうと読んでいた本から目を離すと、小学生の男の子が公園に入ってきました。  小学生が公園へ遊びに来る時間にしては早い。そう思った良一はその男の子を見ると、まだランドセルを背負っていました。  男の子は良一の横に座りました。男の子はランドセルから国語の教科書を取り出し、今授業で習っているお話の音読をはじめました。 「む、かし、の、おは、なし、です。ある、ところに、おじ、いさん、とおば、あさん、がい、まし、た」  お世辞にも上手な音読ではありません。良一は学校に行っていた時は放送部に入っていました。昼の放送では、よく朗読をしていたので、つい、その男の子に話しかけました。 「もう少し、ゆっくり読んだら?」  男の子はびっくりした顔をして、良一を見つめました。 「ゆっくり?」 「そう、慌てないで、ゆっくり読むといいよ」 「あのね、宿題で音読があって、でも、おかあさん聞いてくれないの。聞いてもらったらここに丸をつけてもらわないといけないのに」  国語の教科書の表紙の裏に罫線の引かれた紙が貼りつけてありましたが、過去の日付が書いてあるだけで丸は一つもついていません。 「お兄ちゃんが宿題、聞いてあげようか?」 「いいの?」 「うん、いいよ。俺は、良一。よろしく」 「僕、吉野巧」  それから良一は巧の音読の宿題を聞くことになりました。他にも、巧が小学校の図書室で借りてきた本や良一が図書館で借りた本を良一が読み聞かせたりしていました。 「お兄ちゃんの声、好き」 「……ありがとう」  巧は良一の救いでした。巧の何気ない言葉は純粋で、愛おしかったのです。  良一の制服が夏服に変わった、ある日の事でした。 「あのね、お母さんがもう寄り道するなって。でも、嫌だな……早く帰ったらお母さん、僕をぶつんだ」  巧が泣きそうな顔でTシャツの裾を捲ると、お腹にはいくつもの赤や青や黒い痣がありました。巧は母親から日常的に虐待を受けている様子でした。 「大丈夫、お兄ちゃんが守ってあげる」  良一は巧の家までついて行きました。こっそり家の中に入り、虐待されている現場を確認するつもりでした。アパートの1階に巧は住んでいました。  良一は巧と一緒に部屋に入り、玄関のところで息を殺していました。声が聞こえたので、中の様子を窺うため部屋の中へ入りました。何があったのか見ることはできませんでしたが、巧が失禁していました。巧の前には母親と思われる女がいました。  巧の母親は今にも巧を殴りつけようといった様子でした。巧は泣いていました。良一は慌てて巧を庇うように母親の前に出ました。  突然の侵入者に、母親も驚いたのでしょう。テーブルの上に置いていた果物籠の中に入っていたナイフを取り出して良一に向けました。良一がソファーの上のクッションを母親に投げつけると、クッションは母親の顔に当たりナイフを落としました。殺さないと殺されると思った良一は、それを拾い目の前の母親に果物ナイフを夢中で突き出しました。  ことが終わり、良一が巧を見ると、自分のおしっこの上で震えていました。 「もう、大丈夫だよ……巧くん」  良一がそう言うと、巧は良一に抱きついてきました。 「その時、巧の頬を良一が持っていた果物ナイフが傷を付けました。それでも巧は良一を離しません」 「そして、お兄ちゃんは優しく微笑んでくれて、怖がるだけの僕を抱きしめて、一緒に眠ったんだ。その時の、顔だ。僕の記憶の、アンタの顔」  巧は起き上がり、良一を見下ろした。 「思い出したのか?」 「アンタ、何で嘘の自供を? あれは……正当防衛じゃないか」 「お前が、それを望んでいると思ったから」  良一は寝転がったまま、まっすぐ巧を見つめた。 「お前が言ったんだよ、知らない人って……巧くん。だから、そういうことにしたんだ。だから、殺そうと思って殺したし、罪の意識もないって言った。だから、どうして巧くんを殺さなかったのか問い詰められた時は、殺そうと思ったけど、抱き上げたら、あったかくて、ちいさくて、愛しくて、殺せませんでしたって言ったんだ」 「そんな、そんなの……」 「これが、真実だ。でも俺は幸せだった。巧くんを守ることが出来た。それだけでよかったんだ」

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