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第13話

夜遅くまで仕事の話をして、隼人が帰って行った後、圭は間島に提出する報告書をまとめる作業をした。 だが、時々手がとまる。 高校生の時のことを思い出したのだ。 入学してからすぐに、何だか知らないが、圭の意思も都合も聞かず、学内を案内したり、サボっていたら小姑のように注意してきた、大内隼人。 周りといざこざをおこしたり、屋上や校舎裏でタバコを吸っていたら、どこから聞きつけるのかかなりの高確率でやってきた。 何箱タバコを没収されたか、弁償してもらったらいい金額のはずだ。 学校の外でもだ。深夜に遊び歩いていたら急に現れて帰らされた。 生徒会長で、サッカー部のキャプテン。背が高く、健康的に日にやけた浅黒い肌、白い歯の、どこから見ても好青年。面倒見がよくて、誰からも信頼されていて、先生のお気に入り。 はっきりいって、鬱陶しい奴だった。 校則が緩い高校生になったら自由にできると思っていたのに、あんな奴に付きまとわれて、大誤算だった。 極めつけは、あの時だ。5月のゴールデンウイーク明けのことだ。 本当に本当に驚いた。 いつものように圭は昼休みに、一人で屋上で校庭を見下しながらぼんやりしていた。教室にはいたくなかった。 同級生はみな子どもっぽく、話は合わない。遠巻きにこちらをうかがう視線が嫌いだった。 そろそろ授業の時間だな、と思っていたら、屋上を出入りする金属のドアがばたんと大きな音を立てて開いた。 振り返ると、隼人が仁王立ちしていた。 思わず後ずさってしまった。 身体が大きいだけの奴に負けるなんて絶対ないことなのに。剣幕におされたのだ。 隼人は、ずかずかと近づいてきてこう聞いてきたのだ。 「圭、お前、身体売ってんのか?」 予期しない質問に唖然として答えられなかった。 「どうなんだ?売春してんのか?」 問い詰められるうちに、だんたん驚きから覚めていく。隼人の表情は険しくて、真剣すぎた。 彼のあまりの真面目さが面白くなって、ふいにからかってやろうという考えが頭に浮かんだ。 「もし、そうだって言ったら、どうなんだよ」 圭は、じっと隼人の目を見た。 「どうすんの?生徒会長さん?俺を学校に突き出して、退学させる?」 隼人の手が伸びてきた。殴られるのかと思って避けようと身構えた。 だが、大きな手は自分の両肩に乗せられた。隼人は、頭を下げ、大きく息を吸って、吐いた。 「お前さあ、自分を大事にしろよ」 先ほどのような大声ではなかった。 「金のためじゃないんだろ。なんでだよ。タバコ吸ったり、サボったりするのと同じみたいに考えてんのか?お前の身体を守れるのは、結局は、お前しかいないんだぞ」 顔をあげたら目が合った。 「今回は、学校には言わないが、もうするな。だけど、次にしたら、相手を見つけ出して、淫行で告発する。ただの、脅しじゃない。本気でやるから」 そこまで言われて、圭は、吹き出した。 面白かったせいだけど、半分は、この出来の悪いスクールドラマみたいな居心地の悪い空気を変えたかったせいだ。 気遣われたり同情されたりするのは、圭にはなじみがないことだったから。 「やってないよ。冗談だよ、冗談」 笑いながらそう言った。 「案外血の気多いんだな。びっくりした」 隼人は手を放した。 「冗談?」 「あたりまえだろ」 隼人の顔が逆にこわばる。 「じゃあ、なんで、『そうだって言ったら』なんていうんだよ」 「だから、冗談」 隼人がこぶしを握った。ごちんと頭を叩かれた。 「いたっ!」 「人が真剣に話しているのに、バカにすんな」 圭は、叩かれた頭をなでた。ほんとに痛い。 「だってさ、あんまりな話だったから。そもそも、俺が、どうして売春してるなんてことになんだよ」 「お前を見たってやつがいたんだ」 「どこで?」 「ホテルで、中年の男と一緒にいて、部屋に入って行ったのを見たって。どうみても、父親とは思えなかったって。見間違いだったのかもしれないが」 「ああ、それ。それは見間違いじゃない。部屋で金は貰ったけど、エッチはしてないよ」 冗談めかして言ったが、隼人の顔がまた険しくなる。 圭は、また叩かれないように両手で隼人を制した。 「待てよ。ちゃんと説明するから。一緒にいた男は、俺のオヤジの秘書だ。毎月、生活費をくれて、ついでに俺が生きてることを確認してるんだ。ホテルの部屋で話すんのは、どこで誰が聞いてるかわからないからだ。だいたい、ホテルで会っただけで、俺のこと見かけて隼人に告げ口するくらいだろ。気をつけないといけないんだ」 隼人は、その説明には納得したようだった。 「そうか。勘違いだったんだな。噂の出元には、お前は売春してないって言って、話を広めないよう伝える」そう生真面目に言った。 「放っておけよ」と圭は言った。「隼人が注意しても、悪口言う奴は、収まらないし、俺は、何言われても気にしない」 「そうはいかない。それに、俺に教えてくれた奴は、お前の悪口を言うつもりはなかったんだ。心配してたんだ」 「どうだか」そう言い返した。悪口は言われ慣れてるんだ。 その後も、隼人はずっと圭に関わってきた。 うるさいことばかり言って、世話をやきたがった。 隼人は自分のことを好きなんだろうか、と、一瞬、思ったくらいだ。 高校生の圭は既に、自分の容姿が人並み外れて整い、その気になれば男でも女でも、容易に誘惑できることを知っていた。 それまでも、何度も、自分の魅力を使って、優位に物事を運んだのだ。 だから、最初のころは、隼人があまりにもうっとうしかったので、生真面目で融通のきかない生徒会長をたぶらかして、笑いものにしてやろうと思ったこともある。 気のあるそぶりを見せ、懐いた様子で隼人にからんだ。 かまってくる隼人が、思惑通りに自分に気があるんだと思っていた。 だけど、それは圭の勘違いだった。 隼人は責任感が強くて、先生に頼まれて、問題児の圭の見張り番をしていただけなのだ。 高校卒業後の隼人はあっさりとしたものだった。 オーストラリアに海外留学するという進路だって、渡航するギリギリまで教えてくれなかったくらいだ。それも、圭がしつこく聞いてやっと告げられたのだ。 面倒ごとばかりな圭に教えたくなかったのか、新天地への日々に夢中で、言うのを忘れていたのか。どちらにしても、圭が聞かなければ、告げることもせず、オーストラリアに行っていたのだろう。 自分に気はなくても、少なくとも、時間を過ごすうちに、友人くらいにはなっていたと思っていたのに、隼人の方は、全くそうは思っていなかったのだ。 隼人が留学先に去って行った後、もう、二度とあいつとは会わないと、圭は誓った。 彼のことなど、思い出すこともしない。自分の人生に、大内隼人などという人間は、いなかったのだ。いたとしてもそれは、ザコで、全く、どうでもいい存在なのだ。 なのに、間島から大内警備の仕事があり、若社長が事務所に来ると聞いて、圭は、二つ返事で引き受けた。 隼人の実家が小さな警備会社を営んでいるのは知っていた。若社長というのが大内隼人だと、なぜだか、すぐに確信が持てた。 あの大内隼人がどんな人間になっているのか、見てやろうと思ったのだ。 間島の事務所で、驚いたふりをしたのは、全くの演技だ。 スーツ姿の体格のいい長身の彼は、誠実そうに姿勢よく立っていた。 そして、隼人は、圭のことをすぐに認めた。彼は、困ったような、うんざりしたような、心配しているような顔をした。あの、懐かしい表情だった。

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