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第44話
「それで、」そう言いながら、圭は手にしていたカバンからファイルを取り出した。「塚田のいる倉庫にあるPCを、知り合いのハッカーにハッキングしてもらった。これは、その中身」
1cmほどの紙の束がファイリングされている。
差し出されて手に取って中を見る。大半は英語だ。
海外とのメールのやりとりのようだ。
「なんて書いてあるか、わかる?」と圭が聞いてきた。「俺、英語、苦手なんだよ。翻訳ソフトにかけてたんだけど、めんどくさくなってきて、それで、隼人のこと思い出したんだ。英語、得意だろ。なんて書いてあるのか、教えて」
隼人がオーストラリアに留学していたためだろう。
パラパラと紙をめくる。
最初の紙を読む。「観光案内みたいだな。本当にわざわざハッキングして手に入れたのか?」と隼人は伝えた。「富士山に行くルートとか、観光するならこの日がいいとか。この寺にいくといいとか。」
「だろ。そんなのばっかりなんだよ」と圭は言う。「旅行社の宣伝文?でも、なんで日本を英語で観光案内?」
隼人は別な紙も読む。
「いや、そうじゃないな。塚田か誰かはわからないけど、観光案内に観光案内で返している」
「ふうん。やっぱり、なにかの暗号か。旅行情報にみせかけて、伝達してるのか」圭はそう言った。
「少し時間をかけて読んでみるよ」と隼人は答えた。
「忙しそうだけど、読む暇あるのか?」
「これくらいは、なんとか時間空ける。それに、差しさわりない範囲で、知り合いにも聞いてみる。日本と英語が両方とも母語の人間のほうが、正確なニュアンスがわかりそうだから」
「よかった。これでこの英語の件は進みそうだ」と圭は言った。「下手に事情が分かってない奴に翻訳とか頼むと、何の意味もない日本語だけ出てきて、金と時間だけかかりましたってことになるから」
隼人はうなずいた。
圭は、ファイルの元データの入ったUSBメモリーをカバンの中から取り出してくる。
動作は無駄がない。
彼の横顔。
輪郭が美しいラインを描いている。
圭は何も覚えていない。それに、彼は、あの夜、隼人の家でなにがあったのかさえ気にしていないのだろう。酔って寝たくらいにしか思っていないのかもしれない。
そういえば、圭は、物事にこだわらないたちだった。なにがあっても、感情的になるのはわずかな時間で、何日かすると忘れてしまうのか、気にしなくなるのだ。だから、この前の夜のことも、圭には過ぎ去ったことなのだ。
そう思うと、ふいに、苦しくなってきた。
あの夜、全てを手に入れた。夢のように。
だけど、もう二度と、圭は自分のものにはならないのだ。
なのに自分は、一度触れてしまったことで、感情があふれ、溺れてしまっている。
手に入らないことよりも辛い。しかも、失ってもいないのだ。
圭は、あまりにも近い距離だ。
隼人から見たら細い首は白く、唇がひどく柔らかそうに見える。
ふと、このまま彼を押し倒し、キスをして、もう一度、彼を暴いてしまおうかと思った。
組み伏して衣類を取り払ってしまおう。
あの肌や熱を感じたい。指先までが痺れるような感覚を味わいたい。陶然とした圭の顔をもう一度みたい。
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