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第56話
店のレジカウンターの横に背もたれのない小さい傷だらけの丸い椅子を並べ、二人に座るように言う。
男は値踏みするように圭と隼人をみた。
圭は、最近流通しているドラッグのことを聞きに来たと告げた。「五十井組の関係者の塚田って男が扱ってる白いドラッグのことなんだけど。アンフェタミン系って聞いてる」
男は、うなずいだ。そして、小さい声でゆっくりと言った。
「この辺りじゃああまり売られてない」
「そうなのか?」
男は小さいぼそぼそした話し方で続ける。「一時期は売ってたんだけどな。質が悪くて評判が落ちた。この辺の奴らは質にうるさいから。他所でほそぼそ売ってる。売れなくなるのも時間の問題だな。他のドラッグを仕入れようとしてるって噂だ」
「そうだったのか」と圭は言った。「どこから仕入れようとしてるんだ?」
「関西方面の連中からだよ」と男はいくつか地名や単語を口にした。暴力団かそれに近い団体の名称のようだ。
「もともとの仕入れ元だから、また、そこから引っ張るんだろう。だけどなあ、最近取り締まりが厳しくて金額が跳ね上がってる。値切ろうとしてるらしいが、上手くいってない」
「そうなのか。じゃあ、どうするんだろう。撤退?」
男は、肩をすくめた。それから口を開く。
「媚薬のことは知ってるのか?」と逆に聞いてきた。
「ピンクの?それなら知ってる」と圭は答える。「だけど、あんまり売られてないんだろ。値段が高いだけで効くまでに時間がかかって役に立たないって」
男はゆっくりと首を横に振った。
「違うのか?」
「改良したか、しつつあるらしい。即効性が高まってる。もともと、強力な媚薬で、しかも、時間がたてば体内から跡形もなく消える。使った人間は、その時の記憶もないってことで、かなり注目はされてた」
隼人は媚薬の説明を聞く圭の横顔を見た。
彼はじっと男に目を注ぎ、興味深くその話を聞いている。あくまでも探偵の顔だ。
男はつづけた。
「今のところ違法性のある化合物は入ってない。使ったら見境なくさかって、やりたくなる。タガが外れる。すごい効き目らしい。面白いクスリだ。液体にも溶けやすくて、味も匂いもしない」
「それで?」と圭が聞く。
「ドラッグの商売はやめて、その媚薬を売るかもな」
「へえ」と圭は言った。「商品を媚薬だけに絞るのか?」
「さあな」と男は言った。「噂だ」
「改良できるのか?」
「どうだかな。関西系の連中に改良資金を出してくれって言ってるらしい」
「そいつらは、金を出すのか?」
「おそらく」
「ほんとうに?」
「噂話を聞きに来たんだろう」と男は言った。「催淫剤は、五十井組の属してる黙打会の上層部も興味を持ってるらしい。結構、本気なんじゃないか」
男の話はそれまでだった。
圭はお礼と言って金を男に渡した。
男は特に礼もいわず、金を受け取ると領収書と共に手近にある埃をかぶった値段の分からないベストセラー本を圭に渡した。
金のやり取りがきちんとした古本屋の商売であることにしたいのだろう。
それから、男は奥に引っ込んでいった。
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