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第2話:変人と変人

 高い天井に吊された数十個もの照明が、広い空間を煌々と照らしている。その周りでは多くのスタッフが忙しく動き回りながら、撮影のセットを組み上げていた。  奏人はその光景を見る度に、不思議な感覚を覚えてしまう。今、ここに集まっている人間達は皆、カメラやヘアメイク、そして雑誌編集のプロばかり。そんな有能な者達が、ケイを撮るためだけに集まっている。  ケイがそれだけ価値のあるモデルだということは分かっているが、普段の姿を知る人間としては、その差異に複雑さを感じずにいられない。 「ケイ、お待たせ」  撮影スタッフとの打ち合わせを終え、ケイの下に戻った奏人が声をかける。と、すでに撮影用の衣装に着替え終わったケイが嬉しそうに振り向いた。 「おかえりなさい。話終わった?」  明るめのジャケットにオフホワイトのパンツ、そして柄入りのストールという着こなしが難しいファッションを、違和感なく自分のものにしてしまっているケイが奏人を見て柔らかく微笑む。それは見る者の目を即座に奪うようで、たまたま近くで見ていた女性スタッフ達から恍惚の混ざった溜息が漏れた。  こういうところはさすがモデルだと、奏人は感心してしまう。 「終わったよ。今日の衣装チェンジは三回だって。多分半日以上はかかるから、体力の配分に気をつけてねって」  雑誌の撮影は、長時間拘束されることが多い。例え使われるカットが一枚だとしても、その一枚を最高のものにするために、何百枚と撮影するからだ。  それに加え、撮影に使われる照明の光量はカメラのずっと後ろで待機している奏人ですら暑さを感じるほど強い。照明の中心に立って光を浴び続けるケイの負担は、相当なもののはずだ。 「そう、分かった。それでね、表参道に美味しいカフェがあるって聞いたんだけど、今度デートで行かない?」  だというのに、ケイはさも撮影に興味なんてないという様子で、すぐに別の話題に飛んでしまう。本来ならきちんと時間をとってコンセプトのイメージトレーニングをするべきなのだが、ケイはそんなことは一度もしたことがないそうだ。  モデルとして、あるまじきほどの低姿勢ぶり。だが文句を言われたことはない。何故なら、ケイは何もしなくてもカメラマンが求めるものを簡単に表現できてしまうからだ。  こういうのを、天賦の才というのだろうか。 「はいはい。ケイがちゃんと仕事嫌がらずにやったら、デートはしないけどコーヒーの一杯ぐらいは一緒に飲んであげるよ」 「本当? じゃあ、今日の仕事ちゃんと頑張るね」  いや、今日以外も頑張るのがプロだろう。と突っこもうとした瞬間、両腕の自由がきかなくなる。  これはもう考えなくても、何が起こったのか分かった。一瞬の間に背後に回っていたケイに抱きしめられたのだ。 「ケイ、セットやメイクが崩れるから、撮影前に抱きつくのは禁止って言っただろ」 「大丈夫だよ、奏人さんがジャンプして頭突きしない限り、セットもメイクも崩れないと思うから」 「それは暗に、俺の身長が小さいって言ってるの?」  何か、男のプライドをものすごく傷つけられた気がした。確かに百八十九センチもあるケイに比べたら小さいかもれしないが、それでも平均身長ぐらいはある。  「そんなことないよ。ボクが無駄に高いだけだから。あ……そういえばこの身長差だと、ちょうど奏人さんをすっぽり包めるよね。これって、二人が理想の恋人同士になれるってことじゃない?」 「寝言は寝てから言え」  甘い言葉をピシャリと弾き返してやると、二人の会話を聞いていた周囲のスタッフ達から笑いが零れた。  この一年、ほぼ毎日求愛と拒絶を繰りかえす二人の掛け合いは、最初こそ驚きの眼を向けられたが、今では現場スタッフの中での名物になっていた。故に、掛け合いが始まると、誰一人として話しかけてこない。 「奏人さん、好き」  まるでベッドの中で囁くような、吐息が混ざった甘い声色が耳を擽る。どうやら次は言葉ではなく、声で落とそうという魂胆らしい。 「ケイ、俺にそんな声を聞かせても……」 「大好き。今すぐここで食べちゃいたいよ」  ケイが喋ったはずみで、吐息が耳朶を撫でる。その瞬間、背中がゾクリと震えた。 「んっ……」  別段、こんな風に抱きしめられたのが初めてだからというわけではない。それなのに心臓がドクンと大きく跳ね、腰の辺りがざわついた。この、身体の奥が変に疼いてしまう感覚は、下世話な言い方だが自慰行為に及ぶ直前に覚える感覚に似ている。 「も……そろそろ離れて」  これ以上密着していたら、身体が男としての反応をしてしまうかもしれない。 頭が奏人に警告を出す。 「え、まだ抱きしめたばかりだよ」 「皆、見てるから」 「別に気にしなくてもいいんじゃないかな。それに、いつも三分以上抱きしめさせてくれないから、もう少しくらい……」 「ケイ! お願いだから離れてっ」  少々強い言葉で拒絶すると、背後でケイが驚き、慌てて抱擁を解いた。 「ごめんね、奏人さん……」 眉を八の字に垂らしたケイが、謝りながらしょぼくれる。その姿があまりにも寂しそうに見えて、逆に申し訳なくなってしまった。 「あの、ケイ……」  こちらも急に怒鳴って悪かったと、落ちこむケイに声をかけようとする。 その時――――パシャリと、カメラのシャッター音が間近で響いた。 「っ……」  今度は先程とは違う意味で、身体が強張る。 「あー、動かないで下サイ。今、『哀愁漂う二人』感がすごく出ていて、まさにシャッターチャンスなんデス!」  耳に入ってくるのは日本語のはずなのに、英語の部分の発音だけがやけにいい。そんな外人特有の喋り方につられて振り向くと、そこにはプロ用のカメラを持ったセドリック=マウルが立っていた。  緩やかになびく金髪に、薄緑色の瞳。そして、一目で西洋人だと分かる彫りの深い目鼻立ちは、どれも人の目を引く。こちらに向けられる柔らかな眼差しも印象的だ。 そんなセドリックが、ニコニコと満面の笑顔を浮かべる。 「うーん、貴方達が並ぶと、ケイだけでは出せない情緒が加わって最高デスネ。運命で結ばれた二人、というんでショウカ。見ているだけで私もハッピーになれマス」  二人の間に流れる重たい空気なんて、まるでお構いなしという様子に一瞬言葉を失ったが、奏人はすぐに彼が奔放な人間だったということを思い出した。  セドリックという男は普段イギリスで暮らしているのだが、いつも突然、しかも連絡もなしに現れる。そして現れたかと思えば、関係者以外立ち入り禁止の撮影スタジオにも堂々と入ってくる、とにかく自由な人間だ。  だが、それでも彼にはそれが許されてしまう大きな理由があった。    セドリックは欧米を中心に活躍するファッションデザイナーで、類い稀なデザインセンスから、様々な有名コレクションにも参加。名のある世界コンクールでも、受賞を重ねている。  昨年には齢二十七歳にして個人ブランドも設立してさらに名を広げたため、今ではこの業界にセドリックを知らない人間はいないとまで言われているほど。 加えてセドリックには、人との繋がりという強い武器がある。彼はとても人懐こく、好奇心が旺盛なことから、どんな相手とでもすぐに友達になってしまうため、交流の幅がかなり広い。  前回来日した時も、食事の予定があると言うので相手は誰かと聞いたら、大物政治家の名前が普通に出てきて驚かされた。  しかし、それほどの人物が、どうして日本の撮影スタジオでのほほんと遊んでいるのか。  それはセドリックが、モデルとしてのケイに、惚れこんでいるからだ。  あれは半年前のこと。 何の連絡もなしにトライフォースを訪れたセドリックが、唐突にケイを自分の専属モデルにしたいと申し出てきた。話によると、どうやら彼は自身初の専属モデルを探していて、その御眼鏡に適ったのがケイだったらしい。  無論、話を聞いた金井は、大騒ぎするほど喜んだ。何故なら、この業界で彼に認められたモデルはその後、世界の舞台での成功が確約されているからだ。  けれど、ケイはその申し出を「興味がない」と言ってあっさり断った。  当然、首を横に振られると思っていなかったセドリックは驚愕した。だが彼は怒ることなく、逆に気に入ったと言ってその日以降、折を見てはこうして来日し、ケイを口説いているのだ。    しかし今の状況と、その話は別である。 「ホラ、もっと二人くっついて」 「セドリック、あの、写真は……」  どうしても自分は写真を好きになれない。カメラのレンズを向けられると、誰にも見せたくない裏の自分を暴かれてしまう。そんな緊張を覚えてしまうからだ。それなのにセドリックは奏人がやんわりとカメラから逃げようとしても、どんどん追いかけてくる。 「や……」  連続で切られるシャッターの音に、強張った身体が完全に固まってしまう。  逃げられない。  奏人は額に汗を浮かべながら、視線を逸らすことしかできなかった。 「やめなよ、セドリック。奏人さんが嫌がってる」  その時ふと低い声とともに、目の前に壁ができた。 「ケイ、どうして邪魔をするんデス? 貴方達二人は、揃うととても綺麗に輝く。その貴重な瞬間をカメラにおさめないのは、勿体ないデショウ?」 「ボクだって、奏人さんが綺麗なことぐらい知ってるよ。でも、奏人さんはカメラが嫌いなんだ」  奏人と話す時のような穏やかなものではなく、温度をなくした物言いでセドリックを遠ざける。相手は世界的著名人だというのに、ケイの態度は少しも容赦がない。 ケイはいつだってそうだ。自分以外の誰かが奏人に害を与えようとすると、その相手にあからさまな敵意を向ける。例えそれが目上の人間でも全く態度が変わらない。それだけ奏人に対して一途だと言えば聞こえはいいが、この場では少々ばつが悪い。  ケイとセドリックが一触即発の状況に立っているのではと、周囲のスタッフ達が緊張を持ちはじめたからだ。 「いいよ、ケイ。突然で驚いたけど、写真ぐらいなら……」    まだ撮影も始まっていないのに、現場の空気を壊すわけにはいかない。奏人は慌ててケイを止める。 「ダメ。ここで甘やかしたら、この人どんどん付け上がるから」 「こらっ。いくらセドリックが寛大だからって、そこまで言ったら……」 「大丈夫だよ、別にこの人を怒らせてこの業界から干されたところで、何の未練もないから」 「でも……」  元々スカウトで、しかも他にやりたいことがなかったからという理由でモデルになったケイには、仕事への思い入れがない。だからいつ辞めてもいいと言うが、死ぬほど嫌いにならない限りは可能性のある将来を潰さないほうがいい。世の中には、奏人のように自分の存在に価値を見出したくても上手くいかない人間はたくさんいるのだから。  その思いを、どうやったら上手く伝えられるのか悩んでいると、横から「あのぉ」と、二人を呼ぶセドリックの声が割りこんできた。 「申し訳ないのデスガ、二人の世界に入らないで貰えまセンカ? 今、完全に私の存在忘れてますヨネ?」 「あ、ごめんなさい……」 「別に怒ってませんヨ。ただ、敬語は今すぐにやめてクダサイ。奏人はケイ同様にお気に入りなので、気軽な関係でいたいといつも言ってるデショウ?」 「う……ん、じゃあごめん」 「それでオッケーデス。では本題に戻して。ケイ、写真は諦めマスから、その代わり貴方が私の専属に――――」 「嫌だよ。いつも言ってるけど、セドリックの専属になんてならない」  通算何十回目かの誘いを、ケイは風よりも早く撥ね除ける。 「どうしてデス? 狭いところにいるより、広い世界で活躍するほうが楽しいデスヨ」 「広い世界になんて興味ないから。ああ、でも……」  何かを思い浮かべたのか、ケイがこちらを向く。 嫌な予感がした。 「奏人さんとの結婚を許してくれる世界になら、感心あるかな。そこに行って、二人だけで式を挙げるんだ。奏人さん、色が白いからきっとウェディングドレスがすごく似合うと思うなぁ」 「は?」  カメラにも見せない最高の笑顔で突然途方もないことを言われ、奏人は唖然となってしまう。だが、すぐに我を取り戻した。 「いやいやいや、ちょっと待て。俺と結婚とか有り得ないし! それに何で俺が女役だって、最初から決まってるんだよっ」 「別にボクがドレス着てもいいけど、似合わないと思うよ?」  自分が花嫁でもいいとの言葉に、ついその光景を頭に描いてみる。  そして、三秒で後悔した。  似合わない、というよりも怖い。きっと純白のドレスを着たケイが笑顔で向かってきたら、自分は顔を引き攣らせながら蹴り飛ばすだろう。 「いいよ、ドレスは着なくて」 「じゃあ、やっぱり……」 「誰が着るか!」  いつもの調子で鋭く突っこんでやると、セドリックがクスクスと小さく笑った。 「あ、セドリック、ごめんまた……」 「いいんデスヨ。奏人が元気になったのなら、それで」 「え?」 「気づかなかったんデスカ? ケイは、気分が悪くなった貴方を元気づけてくれたんデスヨ」  言われて奏人はアッと声をあげた。そういえば、いつの間にかカメラを向けられた時の嫌な気分が消えている。 「ケイ……」 「ん、何? どこの国で式を挙げるか決まったの? ボクとしてはベルギーとかノルウェー辺りがオススメだよ。それで式が終わったら、その日のうちに新婚旅行に行って、誰にも見せない甘い夜を過ごすんだ。ああ……真っ白なシーツの中でボクの色に染まる奏人さんは、きっと綺麗なんだろうなぁ」  セドリックが言ったとおりなら、礼を言わないと。そう思ったのに、こちらを見たままにやけている当人は、未だ同性婚の世界を彷徨っていた。 「…………一瞬でも、ケイを見直そうと思った俺がバカだった」  目の前で妄想に勤しむケイの姿に、口角が引きつる。しかし、そんな呆れてものも言えない状況に二の矢を打つかのごとく、次はセドリックがケイの話に加わった。 「ああ、そういえば! 先日、私の母国イギリスでも同性婚が正式に承認されたんデス。きっと、神様が二人にイギリスへ来るべきだと言ってるんデスヨ。もしケイが私のものになってくれるというのなら、結婚に関して全面的に協力しマショウ!」 「それなら考えてもいいかなぁ……うーん、海外での結婚生活かぁ。奏人さん、毎日フリルのエプロンつけて料理とかしてくれるのかなぁ」  この二人はどうしたらいいのだろう。さすがの奏人も項垂れた。  いわゆる天才といった人種には、一般人が理解できない思考回路の人間しかいないのか。  二人とも自分の欲望に忠実すぎる。  もう、付き合っていられない。 「そんなに同性婚がしたいなら、二人で勝手に行って結婚してこい!」  人を無視して好きなことばかり話す姿に、とうとう我慢ができなくなって怒鳴りつける。すると目の前の男達は『しまった』と顔を青ざめさせながら、同時に振り向いた。 しかし、全てはもう後の祭り。  奏人は二人に背を向けると、さっさとスタジオの外へと歩きだした。 「え、奏人さん待って!」 「私達を捨てないでクダサーイ!」  背後から慌てふためいた二人が、軽鴨の子どものように続く。けれど奏人は一切無視し、撮影が終わるまで謝罪を受け入れることはしなかった

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