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第9話:密かな、けれど確かな決心。

 場内は一万人を超える観客と、業界関係者で埋め尽くされていた。  軽快な音楽と色とりどりの照明に包まれた会場は、ところどころに大画面が置かれ、ランウェイを歩くモデルをアップで映す。その様子を横目に見ながら、奏人はセドリックが用意した関係者席に着いた。  席はちょうど花道の横。ランウェイが一番見やすい場所だ。 「遅れてごめん」 「イエ、大丈夫デスヨ。それよりケイの調子はどうデシタカ?」 「うん……まだ相当無理してるみたい。本人は頑張るって言ってるけど……」  心配だ、と視線を落とすと、柔らかく肩を叩かれる。 「不安になる必要はありまセンヨ。だってケイには奏人がいるんデスカラ」 「俺が?」 「ええ。どれだけ心が弱くても、奏人がいればケイは必ず大きく成長スル。私は実際にケイの変化をこの目で見ましたから、間違いアリマセン」  実際に見たとは、どういうことだろうか。首を傾げていると、セドリックは春の日差しのような微笑みを浮かべて話しはじめた。 「私が初めてケイのことを知ったのは、三年前。いい素材のモデルが日本にいると聞いて、写真を取り寄せたことがきっかけデシタ。でも、当時のケイは……はっきり言って使える素材ではナカッタ」  写真の中にいるケイは、容姿、体型共に申し分ないモデルだった。けれどセドリックが求めるモデルに一番必要な感情が、足りなかったのだと言う。  モデルは写真やショーに出ることが仕事。故にあまり喜怒哀楽を表情に出す必要はないが、モデル本人の魅力を引きだすには、感情が必要だ。しかし当時のケイには、それがなかった。 綺麗に映ってはいるが、人形のようで面白くない。彼に自分の服を着せても、恐らく輝かないだろうと直感したから、当時は声をかけなかったそうだ。 「でも、半年前に再び見たケイは変わってイマシタ。いつのまにか感情を手に入れ、モデルとして最高の状態になっていたんデス」  足りないものを手に入れたケイは、求めていた人材そのもの。セドリックはすぐにケイを専属にすることを決断したと言う。 「ケイを変えたのは、勿論奏人、貴方デス」 「俺が……?」  人は誰しもかけがえのない存在を見つけたら強くなる。そう語るセドリックだが、奏人には何故かピンとこない。 「う……ん、ケイが変わったのは事実だとしても、俺にそんなすごい力はないと思うよ」 「それは日本人独特の謙遜というやつデスカ?」 「いや、本心だよ。俺には誰かを変えるなんて力なんてない。実際、自分自身も変えられないんだし……」  彰文の下から逃げた日から今日まで、自分は何も変わらなかった。こんな人間が他人を成長させることなんて、できるはずがない。 「そう思ってるのなら、それは奏人の見誤りデス。そうですね……私の言葉が信じられないのなら、実際に見てみればいいと思いマスヨ」  ほら、とセドリックがランウェイを指差す。釣られて視線を指の方向に向けると、舞台の奥からケイが出てきた。 「ケイっ」  思わず声を上げ、前のめりになってしまう。自分が出るでもないのに酷く緊張して、掌が汗でびっしょりと濡れた。  ケイは大丈夫だろうか。途中で気分が悪くなったり、母親の幻想に苦しめられたりしないだろうか。 「頑張れ、ケイ……」  優雅に、そしてしっかりとしたウォーキングで、ケイがランウェイの先端へと向かう。  たった二十メートル強のランウェイを歩くのは数分もかからない。なのに、奏人には何十分にも感じた。  そして――――。  ケイがランウェイの先端の中央に立ってポージングを決めた瞬間、一際大きな歓声があがった。  控え室で聞いた不安が嘘かのような堂々とした姿に、胸が熱くなって言葉が詰まる。  続けて、頬に温かな雫が伝った。 「涙で視界を塞ぐのはもう少し後デス。最後までケイを見てあげてクダサイ」  どうぞ、これを使って下さいと、セドリックからハンカチを渡される。 「う……ん」  ケイの出番はこれで終わりじゃない。まだあと三回、衣装を変えて出てくることになっているから、自分はマネージャーとして最後まで見届けないといけない。奏人はハンカチで涙を拭きながら、冷静さを取り戻すために深呼吸をした。  そして二度目、三度目とケイの姿を見届ける。 「もうそろそろ、最後の出番デス」 「あと一回……頑張って、ケイ……」  上昇する心拍数にやや息苦しさを感じながらも、必死に祈る。その中、最後の衣装を纏ったケイが出てきた。  再び、会場が大きく盛り上がる。 しかし、ケイはそんな大歓声に圧倒されることなく、ランウェイを進んだ。  その姿には不安や恐怖など微塵もなく、逆に風格すら備わっているように見える。  目が、離せない。 「やはり、ケイはすごいデスネ。短時間でこれだけの人間を魅了してしまったんデスカラ」  隣でセドリックが満足げに頷く。奏人は相槌を打ちながらも、今は、瞬きすら惜しいと、一心にケイを見つめ続けた。 最後のランウェイ。センターでのポージングを決めたケイが身体を翻し、来た道を戻る。  その途中、ケイは何故か不自然に足を止めた。 「ケイ?」  予想外の動作に、不安が過ぎる。まさか、ここで気分が悪くなってしまったのだろうか。心配して席から立ちあがろうとすると、隣から「大丈夫デスカラ、そのままで」というセドリックの声が聞こえた。  それでも不安が拭えず動向を見つめていると、足を止めたケイが真っ直ぐこちらを見てふわりと綺麗な笑みを浮かべた。  慈愛に満ちた、温かい笑顔のケイと視線が重なる。 「ケイ……っ……」  胸が早鐘のように躍り、ギュッと締まる。  同時に会場内がこの日一番の大きな歓声と、女性達の黄色い声に包まれた。 「ね、私の言ったとおり、ケイは大丈夫だったデショウ?」 「うん、そうだね。でも……突然リハと違うことするから驚いたよ」  ケイが舞台裏に戻った後、鼓動を落ち着かせながらセドリックの方を向くと、そこには可愛い悪戯を成功させた子供のような笑顔があった。 「驚きマシタカ? フフッ、ではケイのサプライズは成功デスネ」 「サプライズ?」 「ショーが始まる前にお願いされたんデス。もし自分が最後まで失敗することなくランウェイを歩くことができたら、最後の出番の時、貴方に笑顔を送ることを許してホシイと」  どうやらケイは奏人の知らないところで、そんな話をセドリックとしていたらしい。 「全くケイったら、こんな大舞台でそんな我が儘を……」  文句を言いながらも、笑顔を抑えることができなかった。  奏人のために成功させるという目的を達成したうえ、さらにこんなプレゼントまでしてくれるなんて、これ以上嬉しいことはない。  「それだけ、ケイが貴方を愛しているということデスヨ」 「もう、二人してそればっかり。そう言えば何でも許されるってケイが味を占めたら、後で困るのはセドリックだよ?」 「これぐらいのお願いで最高のショーを見せてくれるなら、いくらでも聞きマスヨ」  自分が描く理想を手に入れるためなら、どんな無理難題も乗り越えてみせる。そう話すセドリックは、控え室で見たケイと同じように強い目をしていた  ケイもセドリックも、自分の望みは自分の力で手に入れている。  羨ましい。  自分も、二人みたいに強くなりたい。 「このショーが終わった後、きっと世界中のファッション業界がケイを注目するデショウ。ケイにはそれだけの魅力があるし、まだまだ多くの可能性も満ち溢れてイル。…………奏人は世界で華々しく活躍するケイを、見てみたいと思いまセンカ?」 「世界で……」  問われ、考える。多分ケイ本人は、有名になりたいとは考えてない。  でも、今日の舞台を見て思ってしまった。  世界の舞台で輝くケイを、見てみたいと。 「……そうだね、俺も見たいと思うよ」 「でしたら、奏人はケイの側から絶対に離れないでクダサイネ」 「え、どう……して?」 「ケイは貴方が隣にいる限り輝き続けることができますが、貴方という支えを失えば、また昔のような感情のない人間に戻ってしまうからデス」  昔に戻ってしまう。それはケイがまた生への執着を棄ててしまうということ。そんな姿を想像すると、全身が震え上がった。  二度とケイには不幸になって欲しくない。そう切に思うが、願えば願うほど脳裏に浮かぶ彰文の影が濃くなる。  奏人がどんな策を講じても、絶対的に勝てない相手。ケイのためを思うなら、彰文に立ちむかわなければならないのに、その勇気が持てない。 「辛そうな顔をしてますが、体調が悪いのデスカ?」  彰文のことを考えて表情が暗くなっていたのだろう。セドリックが心配そうな顔で、こちらを覗きこんできた。 「ああ、ごめんね。何かケイとセドリックを見てたら、自分が情けなくなって……」 「どういうことデス?」 「だって二人は自分の願いを叶えるために、どんな苦難も乗り越えちゃうだろ? 俺にはそんな力がないから」  内に湧いた弱さを、苦笑いと共に吐露する。すると、セドリックは「何を言うかと思えば」と笑った。 「貴方だって強い願いを持てば、簡単に困難を打ち破ることがデキマス。奏人には何か、『これだけは譲れない夢や願い』はありまセンカ?」 「夢や願い……」  自らを奮い立たせることができるほど、強い願い。  言われて一番に浮かんだのは、ケイが舞台の上で見せてくれたあの温かな笑顔だった。 見ているだけで胸が躍り、幸せな気分になれる、奏人にだけ向けられた微笑み。 「俺は、ケイにずっと笑ってて欲しい。それと……」 「それと?」 「笑ってるケイを、側で見ていたい」  簡単なようで、今の自分には何よりも難しい願い。だが、紛れもない本心だった。 「素晴ラシイ。その願いを忘れないかぎり、奏人は必ず強くなれマスヨ」 「忘れないかぎり、か……」  何故かセドリックに言われると、本当にそう思えてくる。もしかしたらケイとの未来を掴むために、自分にできることがまだあるかもしれない、と。  ならば動かなければ。  奏人は気づかれないよう頷くと、胸の内で小さな決心を固めた。 

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