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第2話

 そしてあれよあれよという間に物事は進み、次の日曜日には、瑞貴は都内の高級老舗ホテルの日本料理店の個室で、新しく父となる人と会っていた。  緊張で躰がガチガチだ。  一体、何がどうなって、こんなことになったのか、ここ数日のことをよく覚えていない。母の再婚相手があまりにも衝撃的だったので、仕事以外、何も考えられなかったのだ。  あちらは早くに妻を亡くし、男手で息子二人を育ててきたとのことだった。  肝臓を悪くし、入院していたところに、瑞貴の母に出会い、母の仕事ぶりと優しさに惚れ込み、二度目の人生を送ろうと決めたらしい。  それで母と結婚するにあたり、組長の座を長男に譲り、隠居生活をするとのことだった。  組長。それぞれの地域の住民をまとめる代表。回覧板を管理したりするあの組長では、もちろんない。正真正銘の任侠の世界の組長である。  思わず頭を抱えたくなる。心中はムンクの叫びだ。  どうしたらいいんだ、父さん――!  今は亡き父に答えを求めても返事があるわけはない。いや、返事だといって、枕元に立たれても困る。  瑞貴はあまりの急展開で、心の準備はもちろんのこと、このまま母の結婚に賛成してしまってもいいのだろうかとか、いろんなことがぐるぐると頭の中を回り、答えが出ないまま、今日という日を迎えてしまっていた。  相手がヤクザでも、母さんが選んだ人なら素直に祝福するべきだろうか……。  大体、ヤクザがよくわからない。テレビドラマで観たり、時々警察がなんたら組に家宅捜査に入ったとか、そんなことをちらりとニュースで観るくらいだ。  どれも悪いイメージしかないが、母が選ぶ人なら、そんなイメージとはまったく逆の人かもしれないと思いたい気持ちがある。  今までヤクザなんて非日常的な存在、想像もつかない雲の上の世界だった。簡単に受け入れられないのも事実だ。  だが、瑞貴は実感もなく出向いた個室で、いきなり本物のヤクザを目にすることになり、一種のカルチャーショックに陥った。  新しく父になる人はまだしも、個室の前に立っている護衛か何かの男たちは、目だけでも人を殺せそうな勢いだったのだ。  ととと……父さん!  心の中で天国にいる父に縋りたくなるほどの殺気が漂っていた。その中で新しく父になる人だけは、温和な笑みを浮かべて瑞貴を見つめていた。そのギャップがかえって怖い。 「さすがは房江(ふさえ)さんの息子さんだ。うちの愚息たちと違って、しっかりしているし、これまた房江さんに似て、べっぴんさんだなぁ」  新しく父親になる人は、ロマンスグレーというのか、スーツの似合う、とてもヤクザには見えない、それどころかどこかの上流階級の人間とも思えるような気品のある壮年の男性であった。和製リチャード・ギアといった風貌である。  そして、にこにこと笑みを浮かべる義父の隣に座る義兄の一人、長男も品に溢れ、とてもヤクザの組長には見えなかった。 「瑞貴君はとても女性に人気がありそうですね、お父さん」 「ああ、そうだな」  そうやって親子で話す姿を見ても、ドアの外に立っている強面の男たちがいなければ、とてもヤクザには見えない。 「そんな……勝正(かつまさ)さんの息子さん、敏晴(としはる)さんのほうがずっと頼もしくてハンサムですわよ」  母が少女のように華やいだ声で話す隣で、瑞貴は思わず敏晴と呼ばれた長男である男性をじっと見つめてしまった。  瑞貴のヤクザのイメージは、角刈り頭で、胸の開いた着物。そして袷の間からは白い晒が見え、日本刀を振り回したり発砲したり、座頭市の親戚みたいな感じか、怖い姐さんが登場する仁義なき戦い風だ。  だが、目の前の長男からはまったくそんな雰囲気を感じない。細いシルバーフレームの眼鏡といい、医者や弁護士と言われたら思わず信じてしまうだろう。  ……そういえば、あの勧善懲悪ドラマの教師の実家もヤクザで、実はいい人だったよな。それにどこかの大きなヤクザのグループの組長が出家したとかもニュースで聞いたことがある。そうだ、ハロウィンには菓子を配ったとかもあるよな。もしかして実際にも、いいヤクザがいるのかもしれない。  ふとそんなことを考えたくなる。  瑞貴が現実逃避をしようとしていたところで、部屋の外が少しだけざわつく。二人目の義兄がどうやらやってきたようだった。仕事で緊急な用件があったそうで、遅れて顔を出すことになっていた。 「親父、悪い、いろいろ手こずって遅くなった」  ドアのほうを見ると、そこにはストイックな長男とは違い、無駄に男の色香を振り撒く、かなりの男前がいた。やはりとてもヤクザには見えない。 「雅弘(まさひろ)。遅かったじゃないか。さあ、早く房江さんにご挨拶をしないか」  それまで穏やかで紳士的だった義父の目が一瞬、鋭さを増したのを瑞貴は見逃さなかった。  ひっ……。  恐怖で声が出そうになったが、どうにか押しとどめる。母がいる手前、義父を怖がる素振りを見せたくなかった。  どきどきしながら見つめていると、遅れてきた次男がテーブルの横に立ち、一礼した。 「失礼しました。次男の雅弘です。今日は遅れてきてしまって、申し訳ありませんでした」  瑞貴は改めて雅弘と名乗った男を見上げた。  この家族、誰一人、ヤクザになんて見えないよ……。  瑞貴の脳裏に浮かぶ座頭市の映像にバリバリとヒビが入る。 「まあ、どこかの俳優さんみたいな……。勝正さんがお若い頃はこんな感じだったのかしら」  母が嬉しそうに声をかける。メンクイの母にとって、イケメンの息子が二人も新たにできることに、心躍らせているようだ。  ある意味、肝の据わった母であることを再確認させられる。多少のことでは、へこたれないし、病院でもヤクザの患者相手に堂々と叱責を飛ばしていたらしい。 「いやいや、このせがれもまだまだでしてな。見かけだけはいっぱしですが、房江さんにも迷惑をかけるかと思いますよ」 「親父もいろいろとご迷惑をかけるかと思いますが、どうぞ宜しくお願いします」  雅弘が義父の言葉に続いて、そんなことを冗談っぽく付け足すのを聞いて、また母が楽しそうに笑った。  相手がヤクザというのは大いに問題があるが、母がこんなに楽しそうにしているのを久しぶりに目にし、瑞貴も次第に母の結婚を認めることができるようになってきた。  母さんが幸せになれるなら、それ以上のことはない。  瑞貴はそう思いながら、母の笑顔を横から見つめた。

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