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第4話
◆ Ⅱ ◆
そしてあれから二ヶ月。母の結婚式も無事に終わり、瑞貴は苗字を義兄らに脅されるまま『簗木』に変え、現在、彼らと同居という形になってしまっている。
母が再婚したことにより、瑞貴を取り巻く環境が目まぐるしく変わっていった。
さらに新入社員として、伯父の会社で研修を受けながらの毎日でもあったので、あっという間に日々は過ぎていき、ここまで流されるまま来てしまっている。
「お先に失礼します」
「あ、悪い。帰りがてら、これ、課長に持っていってくれないか」
就業時間も過ぎ、多くの新人研修生が帰る中、瑞貴は先輩社員に声をかけられた。
会社の先輩が電話を肩に挟みながら、席の後ろを通りかかった瑞貴に書類を振り向きざまに渡そうとしてきたのだ。
「あ、はい」
と、にこやかに返事をした途端、先輩は頼んだ相手が瑞貴であったことに気づき、その顔色を変えた。
「や、簗木……あ、いや、やっぱり……俺が後で持ってくからいいよ」
あたふたと書類をデスクの上に戻す。別に瑞貴が嫌そうな顔をしたわけではない。原因は背後から女性社員がひそひそと囁く内容が説明してくれていた。
「橋本さんったら、よりによって簗木君に頼まなくってもねぇ……。おうちがヤクザなんでしょ? そんな人をパシリに使ったら、後で何をされるか、ねぇ」
「この間も、簗木君に八つ当たりした上司、会社の裏口でチンピラに絡まれていたんだって」
それはうちの組とは関係ない人が絡んだんです!
と心の中で弁明しても、誰にも聞いてはもらえない。
「まあ、あの上司なら一発殴られたって、仕方ないけどねぇ」
「でも、簗木君、あんなに可愛いのに、家族がヤクザだなんてねぇ……宝の持ち腐れっていうの? せっかくアタックしようと思っても、ヤクザと縁を持つと思うとねぇ」
瑞貴は入社当時、家族のことが知られる前は社内でも女性からの人気は一、二を争うほどのものだった。
それは大学卒業まで母子家庭であったため、父親がいないからといって甘えていては駄目だとばかりに、母の躾が厳しかったお陰かもしれない。女性社員からは、箸の持ち方一つにしても、綺麗だと言われるのをはじめ、日常の動作にどことなく品があると言われたりし、好感度は抜群だったのだ。
さらに、人からよく『綺麗』『可愛い』と言われる瑞貴の甘めのマスクが相乗効果を成し、大いに女性心を擽ったようだった。入社当時はよく声をかけられたし、食事にも誘われた。それが――。
「でもどうして簗木君、この会社で働いているのかしら?」
「社会勉強の一環じゃない? どうしてこの会社なのかは知らないけど」
「ああ、それ? なんだか簗木君のところの組が、ここの社長の弱みを握っているとか、かなりの借金を背負わしているとか、いろいろ噂があるらしいわよ」
「じゃあ、それで社長を脅して息子を入社させたってこと?」
「そうみたい。コネらしいから」
コネ……であることは間違いない。だがそれはここの社長が母の兄だからで、ヤクザとはまったく関係ない。
子供のいない伯父は瑞貴を小さい頃から可愛がってくれ、できれば後継者にしたいと、かねてから口にしていた。
そのため伯父の強い要望もあり、瑞貴は他の会社で内定を貰っていたが、伯父に口説き落とされ、この会社の入社試験を受けたのだった。
「まあ……あまり関わらないほうがいいってことよね」
「そうそう。良さげな物件には裏があるってやつよ」
などど好き勝手なことを言って、さっさと仕事を終え、帰っていく。
瑞貴は小さく溜息をつくしかなかった。しかしこんなことで滅入っていてはいけないのも事実だ。なぜなら今からまだ難関が待っている。これを乗り越えなければ、瑞貴は家にも帰ることさえできないのだ。
***
「お勤め、ご苦労様です。坊ちゃん」
瑞貴が会社から出ると、ガタイのいい、どう見てもヤクザにしか見えない男が二人、会社の前に横づけされていた黒塗りのレクサスの前で立っていた。
それだけでも充分に通行人から不審な目を向けられるというのに、彼らは会社の前の、しかも公道で、直角に腰を曲げて頭を下げ、瑞貴を迎えるのだ。
これが瑞貴の難関だ。
悪目立ちをし、通行人が何事かと瑞貴をちらちらと盗み見してくる。瑞貴はこの場から逃げたくなるのを必死で堪えて、男に小さな声で頼んだ。
「お願いですから、もう迎えに来ないでください」
「そう言われましても、自分は組長に直に命令されておりますんで、坊ちゃんに頼まれても、従うわけにはいかねぇんですわ」
「なら、もう少し目立たないようにしてください」
「目立っているようには思えませんが?」
意味がわからないというふうに瑞貴を見つめてくる男の格好は、濃いパープルのシャツにスーツは黒色ではあるが、大きく縦縞の入ったものだ。これを目立たないといったら、何を目立つといったらいいのかわからないし、とてもサラリーマンが着るスーツではない。ホストかヤクザだ。そして彼の風貌から、誰もが後者だと納得するに違いない。
「じゃあ、せめて会社の前に車の横づけはやめてもらえませんか? 近くの駐車場まで歩きますから」
「それは駄目です。もし歩いている最中にどっかの組のもんに狙われでもしたら、えらいことになります」
男はさっさと瑞貴の背中を押して、車に押し込めてしまう。見る人が見たら、まるで瑞貴が誘拐されたかにも見えるだろう荒業だ。前にも二度ほど通行人が誘拐だと勘違いし、警察に通報してしまい、瑞貴が警察官に説明をしなければならないことがあったくらいだ。
迎えに来た男らは瑞貴を車に乗せると、車の後部座席の両側から乗り、瑞貴を挟むようにして座る。これではまるで瑞貴が犯人か何かのようだ。
護衛の意味もあるかもしれないが、瑞貴が逃げないように見張られているような気がしないでもない。
瑞貴は迎えに来ることに対して文句を言うのを諦めて、隣に座った男に尋ねた。
「今日、敏晴義兄さんは家にいる?」
「組長は、今夜はまだ香港です。おやっさんは戻ってきています」
おやっさんこと義父は、仕事を兼ねて母と新婚旅行に香港へ行っていたのだが、どうやら長男の敏晴を置いて先に帰ってきたらしい。
義父さんに言って、どうにか対処してもらおう。このままでは益々会社に居づらくなる。
瑞貴は微かな希望を胸に、簗木組、本宅へと戻ったのだった。
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