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翌早朝、柔らかな布団と温かな体温に包まれてぐっすり眠ったマシューがゆっくりと目を開けると、そこには誰もおらずガランとした宿の一室が広がっていた。 唯一、リヒャルトから貰った小さな紫水晶(アメジスト)の指輪だけがベッドサイドのテーブルで寂しそうに輝いている。 マシューはのそりと起き上がると、スリッパを履いて部屋の外へ出た。しんと静まり返った廊下の先に明かりが漏れている。あれは宿のフロントだ。 マシューはゆっくりと歩みを進める。次第に話し声が聞こえてきて、マシューは大きな耳をピンと立てた。 「殿下、本当に王城に住まわせるおつもりで?」 「どういう意味だ?」 「…いえ、貴方らしからぬ愚直な行動だと思いまして。」 「そうか?母や兄の目の届かない遠く離れた離宮に置いて、それで安心か?それこそ愚直な考えだ。お前らしくないぞゲオルグ。」 ゲオルグの厳しい声色に対し、リヒャルトはいつも通りの調子だ。なにやら不穏な空気を感じ取ったマシューはその場から動くことができず、よくないと思いながらも耳をそばだてる。 「しかし…」 「マシューが王城に住むことを嫌がったらその時離宮を用意すればいい。」 「…御意。」 突然自分の名前が出てきて、マシューはビクッと大袈裟に飛び上がった。どうしようと辺りを見回してみたけれど、二人がこちらにくる様子はない。マシューは再び息を潜めた。 「出立の準備は?」 「あとはマシュー殿を起こすだけです。」 「ありがとう。」 マシューはふらふらと部屋に戻り、ドアを閉めるとその場に座り込んで考え込む。 リヒャルトの側にいたいと住み慣れた街を飛び出してきたが、王族は皆αの人間だろうし、仕える人も位の高いαの獣人がたくさんいるんだろう。自分のような兎の獣人なんていないに違いない。 ましてやβだ。子どもを産めるわけでもない。特筆すべき力もない。例えリヒャルト本人がいいと言っても、自分のようなものがお側にいては体裁が悪いのかもしれないし、風当たりも強いだろう。自分だけならまだしも、リヒャルトまで悪く言われてしまうかもしれない。 一緒に行っても、本当にいいのだろうか。 そんな考えが(よぎ)ったものの、帰る場所もないマシューは引き返すこともできず、部屋に迎えにきたリヒャルトに手を引かれ馬車に乗り込み数時間後、ラビエル皇国首都ユリアナの地を踏んだ。 ─── 街中の水路を流れる水が晴天の空から降り注ぐ太陽の光をキラキラと反射して、視界が何倍も明るく輝いて見える。ゴミひとつ落ちていない綺麗に整備された石畳の道を彩る花々は豊富な水を喜ぶように活き活きとしていて、まるでこの街全体が舞台のようだ。 舞台に響くのは商売人や道行く人々の元気な話し声。陽気な歌声も楽器の音も聞こえてくる。 馬車を降りた瞬間からマシューはこの美しい街並みに魅せられ、瞬きをしながら大きな耳をあちこちに傾けて人々の活気を肌で感じ取った。 「気に入ってくれたかい?」 続いて馬車から降り立ったリヒャルトがポンと優しく肩を叩きながら尋ねてくる。マシューは瞳をキラキラさせて目一杯頷いた。 「はい!とても…凄く綺麗で、元気で、凄いです!」 「それはよかった。この辺りは店も多いし特に賑わっているよ。少し見て回ろうか。」 「はい!」 「あっ!リヒャルトさまだー!!」 「ほんとだ!リヒャルトさまー!!」 「こら!待ちなさい!」 先の不安は何処へやら、目の前の景色に心躍らせたマシューを遮ったのは子ども特有の高い声だった。可愛らしい声がひとつ上がるとまたひとつ、またひとつ、その中に保護者らしき大人の声も混じり、マシューがその勢いに驚いているうちにリヒャルトはあっという間に囲まれてしまった。 「やあやあ未来の英雄たちよ、今日も元気だな!」 「うん!げんきー!リヒャルトさまもげんき!?」 「んー?うーん今帰ってきたからちょっとお疲れかな…みんながぎゅーってしてくれたら治るかもしれないな…」 「ほんとー!?ぎゅーする!!」 「お、来るか?来るか?よし来い!ぎゅー!!」 「ぎゅーーー!!」 元気の良い子どもたちと本気で戯れるリヒャルトの姿は、とても王子の身分にある人だとは思えない。さながら、近所の子ども好きなお兄さんのようだ。 猫の子に犬の子、身なりのいい虎の子も混じっているかと思えば、少し古びた服を着たネズミの子もいる。皆一様にこの広場で仲良く遊び、自国の王子に出会って興奮している。 兎というだけで蔑まれ、βというだけでガッカリされてきたマシューにはにわかに信じがたい光景だった。

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