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程なくして部屋に運ばれてきた夕食は、マシューがこれまでに食べたことがないようなものばかりだった。 野菜がたっぷり入ったスープは身体が芯から温まり、まあるく成形されたハンバーグは噛むとじゅわりと肉汁が溢れ出た。柔らかくてふわふわのパンにバターを付けて食べるのも初めてだった。食後に出された小振りで可愛らしいケーキがこんなにも甘くて幸せになるなんて初めて知った。 残飯のような飯ばかりを食べてきたマシューにはどれもこれも輝いて見えて、頬がとろけてしまいそうに美味で、一口頬張る度に大きな耳が無意識にぴこぴこと反応してしまうのがどうにも恥ずかしかったのだが、リヒャルトがそれを嬉しそうにニコニコと眺めていることの方が何倍も恥ずかしかった。 「たくさん食べてくれて安心したよ。美味しかったかい?」 これまで一度にたくさんのものを食べることがなかったマシューはすぐに満腹になってしまい結局完食することは出来なかったのが心残りではあるが、ベッドに腰掛け膨れた腹をさする幸せに浸っていると、リヒャルトが優しく声をかけながらふかふかの布団をそっとかけてくれる。 マシューは食事中に大人しくしていてくれなかった耳を思い出して僅かに赤くなりながら、こくこくと力一杯頷いた。 「よかった。兎獣人は肉は苦手かと思って焦ったが杞憂だったようだね。」 「苦手な人もいるみたいですけど…僕、好き嫌いないので。」 「本当に?凄いな、俺なんて恥ずかしい話だけどピーマンが嫌いだよ。パプリカもダメだな、付け合わせによく出てくるから困ってるんだ。」 「ピーマン、美味しいですよ?」 嫌そうに顔を歪めて首を振る仕草が幼子のようで可愛らしくて、くすくすと笑ってしまう。それを見たリヒャルトはばつが悪そうに唇を尖らせたが、すぐにいつも通り柔らかく微笑んだ。 「明日の昼前には首都ユリアナに到着するだろう。水の都と呼ばれる美しい街だ。案内するよ。」 マシューと同じ布団に潜り込みながら、リヒャルトは静かな声で語り出した。 「我が国がここまで栄えているのも豊富な水資源のお陰だ。生き物は水無しに生きられないからね。」 「水がたくさんあるんですか?」 「ああ。ユリアナには街中に水路が張り巡らされている。王城の前の広場には大きな噴水もあるよ。温かい時間帯になると子どもたちが水遊びをしにくるんだ。」 「すごい、楽しそうです!」 「一緒に混じるといい。容赦なく水かけてくるから楽しいぞ?」 屈託無く笑うリヒャルトは、きっと度々子どもたちと水遊びに興じるのだろう。大国の王子様がそんなことをするのは意外だし、まだ彼を深く知っているわけでもないのに、らしいなと思ってしまう。子どもたちに混じってびしょ濡れになりながら本気で水を掛け合うリヒャルトの姿は容易に想像できた。 気さくで優しくて、温かくて美しい。 まるで太陽みたいな人だと思う。 宝石のように輝くリヒャルトの紫水の瞳が優しく細められているのを見ながら、マシューは高鳴る鼓動とは裏腹に心が安らいでいくのを感じていた。 「現王の誕生日や結婚記念日、それから建国記念日にはそこで盛大な祭りが開かれる。もうすぐ建国記念日だからな、一緒に楽しもう。」 「そういう日って、リヒャルトさまはお仕事ないんですか?」 「朝のセレモニーでバルコニーから適当に手を振ったら終わりさ。」 悪戯にウインクしたリヒャルトは、マシューの肩をそっと押して布団に横たわらせた。柔らかい枕に頭が埋まると、ドッと疲れが押し寄せてくる。思わず目をこすったマシューの髪をさらりとすいて、リヒャルトは再び静かな声で語り出した。 「…多くのことを見聞きして、好きなものをたくさん見つけるといい。」 「好きなものを…?」 「そう。食べ物でも芸術でも武術でもなんでもいい。見つかったら教えてくれないか。」 常よりも低い声が心の奥深いところに染み込んできて、マシューは身体全体が温まっていくのを感じた。それが布団の温かみなのか隣に寝転んだリヒャルトの熱なのか、それともリヒャルトがもたらす安心感なのか、はたまた全てなのか。既に睡魔に襲われているマシューにはちっともわからなかった。 「リヒャルトさまは、なにが好きですか…?」 「俺は、そうだなぁ…絵本が好きかな。」 「絵本…」 「そう、絵本。夢と希望に溢れていて、優しくて素敵な世界が詰まってる。」 リヒャルトの好きなものを自分も一緒に楽しめたらと思ったのだが、生憎マシューは文字が読めない。こればっかりは学ぶしかない。一緒に楽しめるようになるにはかなりの時間がかかりそうだ。 マシューの感情に素直な大きな耳がへたりと垂れてしまうと、リヒャルトは小さく笑いながらそれを撫でてくれる。心地良いその手に、マシューはいよいよ瞼を持ち上げているのが辛くなってきていた。 「王立図書館には山ほど本がある。気になる本があったら持ってくるといい。読んであげるよ。」 「本当ですか…?」 「もちろん。」 「それは、すごく…楽しみ、です…」 優しい手がマシューの前髪をかきあげると、露わになった額にそっとキスが降ってくる。マシューは反射的に目を瞑り、そしてそのまま睡魔に抗えず意識を手放した。 「おやすみマシュー、良い夢を。」

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