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ぴく、と身体が跳ねた。 ゆっくりと薬を塗る手は酷く優しいのに、ざらつきのある薬草の感触が痒みを絶妙に刺激してくる。それはある種の快感で、マシューはギュッと目を閉じて刺激に耐えた。けれど視覚を失ったせいか、他の感覚が鋭敏になってしまう。 兎獣人が元から発達している聴覚は僅かな布擦れの音を捉え、リヒャルトの動きが視覚を閉ざしてなおダイレクトに伝わってくる。薬草のツンと鼻をつく臭いを和らげるのは、リヒャルトからいつも漂う甘い香りだ。風呂上がりのせいかいつもより強く感じるそれは、きっとα特有のフェロモンというやつなんだろうと思う。 奴隷商店で働いていたマシューはαもΩもたくさん見てきたが、βのマシューはその誰のフェロモンにも魅力を感じたことがない。それぞれ異なる微かな甘い香りを感じることはあっても、それはマシューにとってただの体臭でしかなかった。 だから、この脳髄を揺さぶるような香りに免疫がない。 そして同時に、βなのにこんなにも揺さぶられてしまうことに戸惑いを隠せない。 「ッ…!」 「痛む?」 「いえ…」 至極真面目に薬を塗ってくれているリヒャルトに、まさか感じているなんて言えるはずもない。直接的な性的快感とは違うのに、腰にズンと走る甘い痺れ。それは段々と強くなり、身体中の血液が温度を上げて中心に集まってきているのをマシューは感じていた。 まずい、と思った時にはすでに遅い。そこは既に主張し始めていて、マシューはリヒャルトに気付かれまいと足を固く閉じてさり気なく股間を隠した。 どうか気付かれませんように。 なんて、淡い期待だ。薬を塗り終えたリヒャルトが顔を上げた瞬間、乱れたバスローブの中下着を持ち上げるものの存在に視線が釘付けになったのをマシューはいっそ卒倒したいような思いで見ていた。 「えっと…」 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい! リヒャルトの声に戸惑いの色を感じて、マシューは大きな耳をぺたんと畳んで真っ赤になった顔を両手で覆った。 「…すまない、もしかして毎晩…」 「ち、違います!違うんです、ごめんなさい僕…!」 顔を隠したまま首を振るマシューは、自分でも一体何を否定したいのかわかっていなかった。 毎晩こうなっていたわけではない、それは間違いない。けれど毎晩興奮を覚えていたのも間違いじゃない。 心配して丁寧に薬を塗ってくれていただけのリヒャルトに申し訳なくて、浅ましい自分がただただ恥ずかしい。穴があったら入りたい。 真っ赤になった顔を覆うマシューの手をゆっくりと外したリヒャルトは、目尻に浮かんだ涙を親指で優しく拭い、そこにキスをした。 「どうして泣くの?」 柔和な微笑みを飾る美しい紫水晶に、どこか戸惑いの色が見える。 いつも自信に満ち溢れているリヒャルトのその表情に、マシューはますます目を赤くした。 「だって…だって僕、リヒャルト様はただ僕のためにお薬を塗ってくださっているだけなのに、こんな、こんな…」 つかえて出てこなかったその先は、リヒャルトの唇で塞がれた。 触れるだけのキス。 ゆっくりと離れていったそれが名残惜しい。交わった視線が熱を帯びていることに気付いてしまうと、どくんと体の内側が沸き立った。 頬に添えられた手が優しい。大切に触れてくれていることが十分すぎるほどに伝わってくる。逸らせなかった視線は、再び重なろうとしている唇を受け入れるためにそっと閉じた。 「ん、…」 触れるだけだった唇は、どちらからともなく深くなっていく。 初めて感じる絡み合う舌の熱さに戸惑いを覚えてリヒャルトの寝巻きをぎゅっと握りしめると、首と背中をしっかりと支えながらゆっくりとベッドに押し倒された。 絡み合った舌は銀糸を引いて離れていく。名残惜しさを感じてそっと目を開くと、僅かに濡れた紫色の瞳に今まで見たことがないリヒャルトを見た気がした。 真っ白な天蓋のヴェールが、まるで天使の羽のよう。 マシューがすっかり見惚れていると、ふわりと頬に触れる掌。ごく自然にその手に擦り寄り、己の手を重ね合わせた。 「マシュー…触れても?」 遠くまでよく通る(たっと)いテノールが囁くように自分の名を呼ぶ。その問いが何を意味するのかわからないほど、マシューは子供でも初心でもなかった。 小さく小さくうなずいたマシューに安堵の表情を浮かべたリヒャルトは、マシューのざんばらな前髪をかきあげ現れた額にそっとキスを落とした。

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