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いつまでもここに座り込んでいても仕方ない。 マシューが泣き腫らした顔を上げようやく腰を持ち上げた時、すでに空が赤く染まっていた。泣きすぎたせいか頭が酸欠でクラクラする。腫れた目は視界が狭く、マシューは危なっかしいよろよろとした足取りで歩き出した。 今一体どこにいるのかもよくわからなかったが、思いのほか遠くまでは来ていなかったようで、直ぐに城の中に戻ってくることができた。見慣れた長い廊下の先、自然とリヒャルトの自室に戻ってきていた。他に行くところがないのもあるだろう。 中から人の気配はしないが、もうリヒャルトは中にいるだろうか?ルイは?いつのまにか辿り着いたこの部屋の前で佇んでいると、後ろから人の気配が複数近付いてくる。そして、甘いテノールが驚いたようにマシューの名を呼んだ。 「マシュー?」 大きな耳が大好きな声を捉えてピクッと反応して、マシューはゆっくりと振り返る。隣に連れだつルイの姿を認めると、マシューの泣き腫らした目が大きく見開かれた。 そのマシューの充血した目を見て、リヒャルトの表情が驚愕に染まる。そしてその口が何かを言いかけた。 「マシュー、一体どうし…」 「あーーーっ!!大変!!僕マシュー様にお渡しするものがあったんだ!!なんで僕ってばこんな大事なこと忘れちゃってたんだろ!?リヒャルト様、マシュー様お借りしますね!すぐ済むから!ごめんねーーー!」 リヒャルトの声を遮って突如大声を上げたルイは、グイッとマシューの腕を見た目に反する馬鹿力で引っ張りズンズン歩いて行く。リヒャルトの制止もなんのその、足がもつれてついていけていないマシューも気にせずどんどん歩いて行き、おそらくルイが寝泊まりしているのであろう部屋に連れて来られた。 扉を開けにこりと微笑みながら招き入れてくれるルイに、マシューは戸惑いながらも逆らうことができず部屋に一歩踏み入った。 「さ、どうぞ!客間だから何にもないけどね。適当に寛いでよ。」 王城の華やかさに反してシンプルな調度品はどんな相手にも好まれそうなインテリアだが、その隅々に質の良さがある。 寛いでと言われてもどうしていいかわからず立ち尽くしているマシューに、ルイはカバンをゴソゴソと漁って上品な花の模様がつけられた缶を取り出した。 「じゃん!家からこっそり持ってきたお菓子ー!甘いもの平気?すっごく美味しいよ!座って座って、食べよう!」 マシューの背中を強引に押してソファに座らせると、ルイは冷蔵庫からアイスティを用意してくれた。そしてまたカバンの中から瓶に入った何かを取り出すと、そのアイスティーに入れる。ひらひらと舞うそれは花弁のようだった。 「エーベルヴァイン家が治めるアンネリースの街はね、花の都って呼ばれてるんだ。ユリアナの次に大きな街だよ。今度リヒャルト様と遊びに来て!お花を使った食べ物や飲み物がすごく美味しいんだよ!」 ニコニコと可愛らしい笑顔で弾丸のように喋り続けるルイに、マシューはうんともすんとも返事をする間もなく目の前に置かれた花弁の散る美しい紅茶をしげしげと眺め、そして口に含んだ。昼間に次女が入れてくれた、リヒャルトがお気に入りだというお茶と同じ味がする。 「これハイビスカスティ。リヒャルト様のお気に入りだよ。リヒャルト様はホットがお好きだけどね、僕はアイスが好きなんだ。このクッキーは王家の御用達で薔薇の花びらをたくさん使った超高級品!美味しいよ〜どうぞどうぞ!」 皿を出してきてクッキーをぽいぽいと何枚か取ってくれたルイは、最後についでと言わんばかりに一枚自分の口に放り込んで、「ん〜美味しい!」と満面の笑みを浮かべた。 明るくて優しくて、よく気がつく人だ。(やかま)しいとリヒャルトは言っていたが、嫌な感じがしない。マシューは小さな声でお礼を述べてから、超高級品だというクッキーを一つ齧った。 サクッとした食感、バターの香りと花の香り。何枚でも食べられてしまいそうな幸せの味が口いっぱいに広がると、マシューはなにかが決壊したようにまた泣き出した。 「…う、ふえっ…!」 嗚咽を零しながらぽろぽろと透明な雫を零し、齧りかけのクッキーを握りしめて肩を震わせるマシューに、ルイは隣に腰掛けてポンポンと肩を叩いてくれた。 嫌な人だったらよかったのに。 高飛車で意地悪で自分勝手で傲慢だったら、徹底的にこの人を嫌えたなら、憎しみを向けることができたのかもしれない。その方がいっそ楽だったかもしれない。ゲオルグを愛していながらリヒャルトとの結婚を受け入れ、祝福どころか誰にも知られてはならない恋を抱えているのに、こんなにも輝かしい。 塞ぎ込んで泣きじゃくるしか出来ない自分の方が、よほど嫌なやつだ。 自分が恥ずかしい。 昼間に枯れるほど泣いたと思ったのに、マシューはまたわんわん声を上げて泣いた。

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