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「リヒャルト様を愛せたら良かったのにって何度も思ったよ。」
いつもの調子が嘘のようにゆっくりと静かにルイは語り出した。
「類稀な才覚のある素晴らしい方で、そんなお方の婚約者でいられることは本当に誇らしいことなのに…リヒャルト様への想いは尊敬の域を出ない。大貴族の長子で人間にも関わらずΩというだけで厄介者扱いされていた僕に本当によくしてくださったのに、どうして僕はリヒャルト様を愛せないんだろうってものすごく悩んだ。どうして目の前にいる僕の王子様じゃなくてその後ろにいる顔の怖い側近ばかり気になっちゃうのかなって。…気持ちの整理がつかないまま発情期を迎えて、リヒャルト様に恥をかかせてしまった。」
初めて二人が閨に入った時、ルイは泣いてゲオルグの名を呼んだという。それ以来、ルイの発情期はゲオルグに任せて禁書室に籠っているとも。
その話を聞かせてくれた時のリヒャルトの無表情では、彼がその時何を思ったのかはわからなかった。
「婚約解消どころか一族揃って首をはねられるんじゃないかと思ったよ。でもリヒャルト様は全く気にしてなくて、ケロッとしててさ。好きにしろっていうの。民に不安を与えるようなことがなければ別に何をしててもいいって。…どこまでも国民が第一なんだよね、あの方は。」
ルイはどこか遠くを見つめている。昔を懐かしむような、なにかを悼むような眼差しに、マシューは口を挟むことが出来なかった。
「僕とリヒャルト様の間には何もないよ。ただ人目のあるところでは仲良くしてるように見せてるだけ。その方が都合がいいってリヒャルト様が言うから。…そのリヒャルト様が、都合がいいからっていう理由で何年も仲のいい婚約者を演じてた僕との婚約を蹴ってまで君を欲したんだ。凄いことだよ。凄いことだし、きっと何か考えがあるんだと思う。」
ルイはニコッと笑ってマシューの肩を叩いた。花のような可愛らしい微笑みに、リヒャルトは心惹かれなかったのだろうか。地位も教養も理解もあるこの人よりも自分を選んでくれた理由はなんなのだろう。
どこをどうとっても勝ち目が無いのにあまりに不可解で、ズンと重いものが肩にのしかかったような気がした。
「そんな顔しないで、自信持ってよ。リヒャルト様、本気で君を愛してて、本気で君を伴侶にしようと思ってるんだよ。あの人がそうするって言ったらそうなるよ、だって世界中を探したってきっとあの方より頭の切れる人なんてそういないもの。」
マシューは胸元をギュッと握った。
リヒャルトがそうすると言ったら、そうなる。それはリヒャルトの凄さを知らないマシューでもなんとなくわかる。あの自信が過信ではないことは、ラビエル王国に来て彼に接する人々を見ていれば一目瞭然だ。
しかし、それでも胸に引っかかるものはある。仮に自分がリヒャルトの正式な伴侶の地位におさまったとして、その時ルイは?王子に捨てられた悲劇の人としてどこかでひっそりと暮らすのだろうか。今までリヒャルトの伴侶となるために努力してきただろう人が。
それは、なんだかすごく、後味が悪い。
ちらりとルイを見ると、その視線に何かを感じ取ったのかルイは困ったように笑った。けれどマシューが何を思ったかまでは分からなかったようで、ぽりぽりと頬をかくと少しだけ残っていたハイビスカスティを飲み干した。
「でもさ、アレはないよね!マシュー様がこんなに泣き腫らした顔をしてるのに、一体どうしたんだ!?って、バカじゃないの!?お前がハッキリしとかないからだろうがー!!って思うよね!?」
「え…え?えっと…」
「なぁんかあのなんていうの?人を小馬鹿にしたような感じ?斜に構えてるっていうかさ!なんかムカつくよね!?」
「あの、えっと…」
「そりゃね!リヒャルト様はすごいよ!すごいけどさ、けどムカつくよね!ていうかどこが好きなの?騙されてない?」
「あの、あのあの…」
「それに引き換えゲオルグ様の素晴らしいこと…!謙虚で誠実でお優しくてそれでいてちゃんと厳しくて…あの鋭い眼差しにもふもふの厚い胸板….ああもう、カッコいい!かっこいいとしか言えない!好き!どこぞのワガママ王子とは大違い!どこがいいの!?」
「あの…」
マシューが後退るほどの勢いでまくし立てたルイは、ずいっと顔を寄せた。
困り果てたマシューは頬を掻いて視線を泳がせる。改めてどこがいいのと聞かれると、困ってしまう。マシューは懸命に言葉を探し、しどろもどろ話し出した。
「…カッコよくて、綺麗で…」
「そう?ちょっとヒョロくない?まぁしかたないんだけどさ。」
「お優しくて…」
「優しい!?どこが!?」
「なんでも出来るし…」
「そういうとこほんと嫌味だよね〜なんか弱点ないのかな…」
「粉薬が苦手とか、ちょっと可愛いし…」
「そうなの?いいこと聞いた!子どもかよ!」
「…神様みたいですよね?」
「…………え、ごめんちょっとよく意味が…」
ルイが白い視線を向けていることなど露知らず、マシューはリヒャルトの姿を脳裏に思い浮かべて頬を染め口の端を緩めた。悩みの種であったルイ本人と直接話を出来たことで心がいつのまにか軽くなっていたマシューは、今脳裏に浮かぶ優しい笑顔が堪らなく恋しいと感じている。
会いたい、もう暫くあの優しい手に触れていない。熱くなる頬を両手で覆って隠すマシューに、ルイは温かい微笑みを浮かべて静かに口を開いた。
「…よかった。マシュー様、リヒャルト様のこと、よろしくね。」
かくして、リヒャルトの正妻の座につくルイと公妾の座につくマシュー、一見対立するであろう二人の奇妙な友情が芽生えたのである。
そうして二日後、リヒャルトとゲオルグとマシューの3人だけに見送られてルイは生家へと帰っていった。
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