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背中を撫でてくれる手が心地良くてうっとりと目を閉じると、命の音が聞こえてくる。一定のリズムを刻む心音は、リヒャルトが確かにここにいて自分を抱きしめてくれていることをなにより感じさせてくれる。そっと顔を上げると、にこりと微笑んだリヒャルトはマシューの泣き腫らした目尻にそっとキスした。 「落ち着いたかい?」 「はい…すみません、急に。」 「謝ることじゃない。…何があった?」 リヒャルトの心配そうな一言に、マシューは思わず口を噤んだ。そもそもリヒャルトが敬愛する兄たちに対する不信感の相談なんて、嫌な思いをさせてしまいそうで、憚られる。 マシューの眉がへの字になり大きな耳が徐々に萎れていくのを見たリヒャルトは困ったように微笑んで、マシューに少し待っているように告げ天蓋の外へ出て行った。そしてすぐに紙袋を抱えて戻ってくる。中から取り出したのはスケッチブックと、沢山の色が入った色鉛筆だった。 「うわ、ふわあぁ…!すごい、いっぱい…」 「すごく熱心に絵を描いているから、いくつか画材を買ってみたんだ。…安心してくれ、選んだのはちゃんと絵画に詳しい人だから。」 「いいんですかこんなに、うわあ、これ絵の具…?」 「ああ、もっと他にも欲しくなったら言ってくれ。」 「ありがとうございます、すごい、嬉しいです…!」 両手に新品の画材を抱えて感動に顔を紅潮させるマシューに、リヒャルトは心底ホッとしたように表情を和らげた。 マシューを安心させるための微笑みとも、誰かと話す時に見せる愛想のいい微笑みとも違う、謂わば滅多に見られないリヒャルトの心からの笑顔に、マシューの胸がドキッと高鳴る。一気に顔に集まる熱を隠そうと、両手に抱えた画材にサッと隠れた。 「よかった、喜んでもらえて。これでもすごく悩んだんだ。君が何なら手放しで喜んでくれるのか…」 「えっ…」 「服や小物を贈っても戸惑うばかりだし、食べ物もマナーを気にしてしまうだろう。花は枯れると悲しんでいたし…こんなに誰かの為に悩んだのは初めてだ。」 「そんな、すみません、お手を煩わせてしまって…!あの、嬉しくなかった訳じゃ、」 「わかっているよ、大丈夫。何も気兼ねせず喜んで欲しかったのはただの俺の意地さ。それに君のためのプレゼントを考えるのは楽しいし幸せだからいいんだ。気にしないで。」 ふふ、とリヒャルトは笑った。 それはまるで嬉しさを堪えきれず笑いを漏らしてしまう小さな子どものようで、そのあどけない表情にマシューの胸がきゅんと切ない悲鳴をあげる。顔を隠した画材を退けてその表情をジッと見つめていると、不意にリヒャルトもこちらをじっと見つめてきて、そしてごくごく自然な流れでリヒャルトの手がマシューの頬に添えられて唇が重なった。 「っ…ん、ふッ…」 触れるだけのキスでは物足りない。そう思ってしまって、マシューは離れていく唇を追いかけるようにして再び唇を合わせた。 リヒャルトはすぐに応えてくれる。差し出した舌を絡め取られて口内を優しく刺激されると、途端に思考が蕩けて身体の力が抜けていき、ギュッとリヒャルトの服を握りしめた。 「はぁッ…、あ、リヒャルト様…」 ゆっくりと体重をかけられると、背中がふわふわのベッドに沈む。いつだって清潔な洗い立てのシーツはいい匂いがするけれど、今はそれよりもリヒャルトの甘い香りの方が強い。 顔中に降るキスの雨を甘受しながら、素肌に触れる手の温かさに酔い、ことが進むほど強くなる甘い香りに酔う。 「あッ…あ、あっ、ああッ…や、ッんあ、あー…ッ!」 自分はもしかして本当はΩなんじゃないかと、そんな馬鹿な考えすら過ってしまう程に、リヒャルトのフェロモンは濃い。βの自分がこんなにも溺れてしまうはずがないと。 そして同時に、Ωになりたいと、これもまた馬鹿な考えが過ってしまう。彼のフェロモンにとことんまで溺れてしまいたいと。そしてこの頸に所有印を残してもらえたなら、どんなに幸福(しあわせ)だろうと。 願っても願っても絶対に敵わない夢を、描いてしまう。 「あっ…あ、すき、大好きです、リヒャルト様…!あ、もう…ッ!」 けれどそれも、ラインハルトの一言を思い出すきっかけになる。『発情期に付き合う必要も孕む心配もない男のβ』、そこにこそマシューがリヒャルトの寵愛を受けられる意味があるとするなら、リヒャルトの欲するものとマシューの願いが一致することはないということだ。 それはとても、悲しくて、苦しい。 愛されているのはわかる。 けれど、利用するだけして捨てることができる程度の愛なのかもしれない。多くのものを守り支え導く立場にあるリヒャルトにとっては、恋愛感情なんてその程度のものなのかもしれない。 そんな考えが顔を出すのだ。 「…愛してる。」 耳元で囁いてくれるその言葉を、どこまで信用していいですかと尋ねることは出来ない。

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