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ゲオルグが飲ませた薬が効いたのか、いくらか落ち着いたリヒャルトが一旦眠りについたとき、マシューはゲオルグに別室で休むように促されリヒャルトの自室を追い出されてしまった。
眠っているのに苦しそうに眉根を寄せるリヒャルトの側にいたいという気持ちは勿論あったが、自分がいたところで何もできない。むしろ邪魔かもしれない。そう思うと反論することもできず、マシューは以前ルイが寝泊まりしていた客間で眠れない夜を過ごした。
そして長い夜が明け嵐が過ぎ去り暗雲の隙間から朝日が顔を覗かせたころリヒャルトの自室に戻り小さくノックすると、ゲオルグが珍しく少し疲れた顔をして迎え入れてくれた。その向こうではいつもの大きな鞄を脇に置いたグスタフ医師がリヒャルトを診察している。
リヒャルトはマシューが戻ってきたことに気付くと、にこりと微笑んで手招きしてくれた。その顔は昨夜よりも生気がある。それでもまだ顔色は真っ白だ。マシューが痛む胸をギュッと抑えながらリヒャルトが横になっているベッドの脇に立つと、リヒャルトが手を伸ばしてくるのでなにかと思って屈んでみれば頬にチュッと軽いキスをされた。真っ赤になってパッと勢いよく離れると、クスクスと可笑しそうに笑う。
昨夜よりは元気そうで、ホッとした。
「ほっほっほ、久々に派手な発作を起こしましたなぁ。マシュー殿もさぞ驚かれたじゃろうて。」
グスタフは聴診器を耳から外し、カルテにサラサラと何かを書き込みながらいつもの穏やかな調子でゲオルグに問いかける。
「熱は何度まで上がりましたかな。」
「2時46分に40.1度です。その後2時50分に解熱剤を。」
「おやおや、それはお辛かったでしょう…他に薬は使いましたかな。」
「熱を測る前に咳止めと気管支拡張剤を使っています。」
「ふむ、分かりました。いくつか追加の薬をお作りしましょう。今年の嵐はなかなか気性が荒いようですじゃ。殿下にはちと厳しいかもしれませんのぉ…」
「先生、喉が痛くて敵いません。何か無いですか。」
そこで今日初めて聞いた
リヒャルトの声に、マシューはギョッとしてリヒャルトを見た。
「ほっほっほ!すごい声ですな!何度吐きましたかな?」
「2…3回か?」
「私が数えている限りで3回ですね。」
声を張り上げなくても遠くまでよく通る美しいテノールは見る影もない。たった数時間でガラガラのダミ声に変貌を遂げたリヒャルトはまるで声だけが別人のよう。きっと今後ろから声をかけられたらリヒャルトと気付けないだろう程だった。
「ほれ、口を開けて。…よいせっと、お、申し訳ないちょっと奥に入れすぎましたな。」
「んぐッ!うえ、………ありがとうございます…」
薬を染み込ませた太い綿棒のようなもので喉の奥にぐりぐりと直接薬を塗りこまれたリヒャルトは青い顔をしてボフンとベッドに沈んだ。
心配で顔を覗き込むと、またにこりと微笑まれる。マシューはその微笑みに笑みを返すことが出来なくて、リヒャルトは苦笑いしてマシューの萎れた兎耳ごと頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ではではとりあえずこちらから順に朝食後昼食後夕食後…と、こちらがいつもの頓服2回分。残りは弟子たちに手伝わせて明日までにお届けします。ふむ…一月分くらいは用意しましょうかの。」
「はい、お願いします。」
「いつも通りになりますが水分をよく摂って栄養滋養云々よりも好きなもので構いませんから食べれるものを召し上がってくだされ。でも酒はいけませんぞ。」
「はい…」
「ゲオルグ殿、よろしく頼みましたぞ。他に変わったことがありましたらすぐにお呼びくだされ。この老いぼれ真夜中でも馳せ参じましょう。」
「はい。ありがとうございました、先生。」
「では私も朝食を用意させますので失礼致します。殿下、本日の公務は全てキャンセルしますのでくれぐれも大人しくしておられますよう。」
グスタフはよっこいせという掛け声とともに軽々と大きな鞄を抱え、リヒャルトに一礼して部屋を後にし、続いてゲオルグも部屋を出て行く。人が減ってしんと静まり返った部屋には、昨夜の嵐が嘘のような小鳥の囀りがよく響いた。しかしマシューの大きな耳が一番に捕らえるのは、昨夜よりは随分マシだがやはり荒い呼吸とその度に鳴る喘鳴音。
マシューは昨夜の今にも死んでしまいそうなリヒャルトを思い出して胸がギュッと痛んだ。
「…マシュー。ちょっと、こっちに来てくれないか。」
顔を上げると、いつものように優しく微笑んだ、しかしどこか覇気の無いリヒャルトが自分の隣をぽんぽんと叩いている。
マシューは少し躊躇して、ベッドに乗り 上げた。リヒャルトはマシューの頬に手を添え、ゆっくりと撫でる。昨夜のような弱々しさはなくなり、代わりにいつもよりも優しい手つきだ。
マシューは漸くリヒャルトが今無事にここにいることを実感した。すると今度は、沸々と湧き上がる怒りにふるふると身体が震え始める。
ちっとも平気じゃないくせに。どうしていつも通りのような顔をして触れてくるんだろう。今頭を撫でてくれたって抱きしめてくれたってキスしてくれたって、ちっとも安心なんかしない。
それどころか、胸のざわめきが増すばかりなのに。
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