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少しの粥と大量の薬を飲んで比較的穏やかに眠っているリヒャルトの傍ら、マシューはゲオルグがわざわざ手書きしてくれたメモを握りしめて何度も読み上げていた。
簡単にやっているように見えたがその全てに基準と決まりがあって、覚えるのも一苦労だ。そして実際にリヒャルトがまた倒れた時に行動できるかはもっと難しい。難しいけれど、やるしかない。出来るようになりたい。
眉間にしわを寄せながらメモを読み上げるマシューに、ゲオルグは水を差し出しながら静かに口を開いた。
「これが私がお世話させていただいている全てですが、殿下ももういい大人ですからほとんどご自身でなんとかされますよ。基本的に朝起こしに行った時にグスタフ医師を呼ぶように言われるだけです。成長されるにつれて酷い発作もかなり減りました。」
「…小さい頃は、頻繁だったんですか?」
「そうですね、初めてお会いしたのは殿下が6歳の頃でしたが…少し庭園を散策しただけで翌日は寝込んでいましたから。」
そんなに、と小さく呟いたマシューにゲオルグは頷きを返すと、窓の外を見やる。そこから見える庭園は連日の嵐で少し木々が折れてしまい、庭師が懸命に整えているところだった。
「それなのに窓を伝って外に出ようとするものだから肝が冷えました。死にたいのかと怒鳴ったこともありましたね。狭い部屋で長生きするより外で早死にした方がマシだと怒鳴り返されましたが。」
寡黙なゲオルグが、その時ふと表情を緩めた。
「恐ろしく賢い子どもでしたよ。全く可愛くありませんでした。」
言葉はとても厳しいものなのにその表情は柔らかく、まるで弟を見るような厳しくも優しい温もりが感じられる。護衛だからとかそういう立場的な理由ではなく、ゲオルグが本当に心の底からリヒャルトを大切に思って、命をかけて守ってきたのがわかる。
幼いリヒャルトが発作を起こし命の危機に扮する度に誰よりも心配していたのも、今リヒャルトが無事立派な大人になって誰よりも安心しているのも、この人なのだろう。そしてリヒャルトが誰より信頼しているのも、この人なのだろう。
マシューは少しの嫉妬心を覚えた。
「…少しおしゃべりが過ぎましたな。隣の部屋で急ぎの公務だけ代理で済ませて来ますので、何かありましたらお呼びください。昼食はこちらに運ぶよう侍女に伝えておきます。」
ゲオルグはそう言って一礼すると、足早に部屋を出て行く。マシューは慌てて礼を返したが、顔を上げた時すでにゲオルグの姿はなかった。
静かになった部屋に微かに響く穏やかな寝息。リヒャルトの様子を伺うと、薬が効いているらしく随分と呼吸が落ち着いて顔色も良くなっていた。マシューはホッと息を吐き、今度は机に向かい始める。そして買ってもらったスケッチブックと色鉛筆を広げて、少し考えてから真新しい赤色の色鉛筆を手に取った。
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静かな部屋の中、スケッチブックの上を滑る鉛筆の音だけが響いている。何のモデルもなく記憶の中だけのお手本ではなかなか上手くは描けないが、それでも満足のいくものが描けるととても嬉しい。これからはそれに色をつけることもできる。マシューの心は軽快なステップを踏み、チラチラと色鉛筆を見てはそれぞれの色で何を描こうか考えた。
リヒャルトは、どうも苺が好きらしい。
晩餐のデザートには苺を使ったスイーツがよく出て来るし、苺そのものもよく出て来る。そしてその苺をご機嫌に頬張る姿がとても可愛らしくて、マシューは密かに苺が出るのを楽しみにしていた。
そうだ、今度は苺を描いてみよう。
マシューが絵描きに没頭していると、突然力強い無遠慮なノックの直後にガチャリとドアが開いて、マシューは飛び上がった。
王子であるリヒャルトの部屋に許可なく入ってくる者などいない。護衛としてほぼ一日中共に過ごすゲオルグだってきっちり4回ノックして声をかけてから入室する。
何か緊急の用事かもしれない。
マシューが強張った顔で振り返ると、そこにいたのは豪奢な深い紫色のドレスに身を包み鋭い視線でマシューを真っ直ぐに見つめる女性の姿があった。
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