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閑話・殿下の憂鬱
人が3人はゆったり眠れそうな大きな大きな天蓋付きベッドに小さく小さく三角座りをしたラビエル王国第三王子リヒャルトは、苦しい呼吸でやれる範囲の最大のため息をついた。
「はぁあ…ゲホッゲホッ…」
「ため息をつくな、余計に咳き込んで体力を消耗するだろう。」
「だって…」
「だってもクソもない。」
「………はぁぁ…」
そしてまた咳き込んだリヒャルトにジークハルトはその眼鏡の奥の美しい瞳に呆れの色をありありと見せて、今度は自身が大きくため息をついた。
「何をそんなに落ち込んでいるんだ。またあの兎か。そういえばあの兎はどうした。」
「兎兎言わないでください。彼にはマシューという可愛らしい名前があるんです。マシューは今マルクス先生と図書館です。」
「わかったわかった、それで?」
流石は兄と言うべきか、それとも多くの患者を相手にしている名医の技か、あるいはリヒャルトよりも身分の高い第二王子という希少な地位がそれを可能にするのか、ジークハルトはぽんぽんとリヒャルトの肩を叩き顔を上げさせると、ちろりと覗いた熱で涙目の瞳をしっかり見つめて話を聞く姿勢を見せた。
その姿勢に背中を押されたリヒャルトが、重い口を開く。
「…こんなに愛しているのに伝わらないんです…」
「…………ほう。」
「どこぞの余計な大バカ者共が俺の可愛いマシューに『リヒャルトに限って愛だの恋だの言うわけない』とか吹き込みやがったから…』
「すまんな、その余計な大バカ者共の一員が私だ。」
「兄様のバカ、アホ、堅物眼鏡。許す。」
「子どもか………」
この誰より賢い悪魔とまで呼ばれる弟は、他所では余裕綽々で斜に構えた態度を崩さないが、ひとたび内に入ると割と面倒臭い子どもそのものだ。その姿を見せるのは兄である自分と護衛のゲオルグ、そして主治医でジークハルトの師であるグスタフ医師だけ。
この分だと愛するマシューの前ではカッコつけてキラキラの優しい王子様を演じているに違いない。
ジークハルトの推察は的確だった。
「なんで伝わらないんでしょう…こんなに毎日愛でてるのに…」
「あのな、ちゃんと言葉にしているか?仕草ひとつで多くを悟り言葉一つで真意を見抜くお前と一緒にするんじゃない。そんな芸当が出来るのははっきり言ってお前だけだ。」
「………えっ………?」
「なんだその信じられないような顔は。」
そして結構自己中心的だ。
子どもの頃外に出られずベッドの上で本を読むしかすることがなかったから自分の世界に浸りがちなのだろうが、それにしたって少し世間知らずにも程がある。大きくなって丈夫になってからは諸外国を転々としているというのにだ。
ジークハルトはまたため息をついて、鞄の中から本来の用事である薬を差し出した。紙袋の中には小袋が山のように入っている。これからの嵐の時期をリヒャルトが生き抜くための薬たちだ。
「…とにかく、今はしっかり養生してこの時季を乗り越えることを考えろ。人のことより自分のことだ。今年の嵐は厳しいぞ。」
「………マシューの笑顔なしに元気になれません。」
「馬鹿を言うな、そんなわけあるか。お前嵐にやられてるんじゃなくて恋の病じゃないのか。」
ふん、と小馬鹿にした意味を含めて鼻で笑い飛ばしてやると、これまでずっと膝を抱えて伏せっていたリヒャルトがガバッと顔を上げた。
熱に浮かされた涙目の瞳が爛々と輝いている。とても40度近い熱があるとは思えないその瞳にジークハルトが気圧されると、リヒャルトは今日一番の大声を出した。
「…そうかもしれない…!!!」
「………………寝ろ。」
紫水の悪魔が存外おバカであることを知っているのは、ごくごく一部の者だけである。ジークハルトは眉間に寄ったシワを揉みほぐしながら白衣のポケットに手を突っ込んで、隅に控えるゲオルグに哀れみの視線を投げた。
「…あのバカに一日中付き合わされる君には労いと感謝しかないな。」
「恐れ入ります。」
ゲオルグは瞳を閉じて現実逃避の真っ最中だ。彼はこうしてリヒャルトのワガママとマシンガントークをやり過ごしているらしい。
後で愛用の疲れを取るお茶をゲオルグに届けさせようと誓ったジークハルトだった。
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