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美しい漆黒の髪と涼しげな目元、すっと通った鼻筋に形のいい赤い唇。それはリヒャルトとよく似ている。ジークハルトとリヒャルトもよく似ているが、その女性はもはや生き写しの域だった。 ただ一つ、強い光を放つサファイアブルーの瞳だけが似ていないが、マシューはその女性が何者なのかすぐに悟り、勢いよく立ち上がった。 「あっあの…!」 挨拶をと口を開いたマシューが言葉を紡ぐよりも早く、女性は部屋の中を一瞥してピンヒール特有の音を鳴らしながらマシューの方に歩み寄ってきた。 「マシュー様と仰ったかしら。」 「はっ…はい、はじめまして…!」 「はじめまして。わたくしリヒャルトの母でオリヴィアと申しますわ。…ふふ、とても可愛らしいのね。」 ニッコリと微笑んだその表情はリヒャルトと本当によく似ている。決してリヒャルトが女性的であるわけでもオリヴィアが男性的であるわけでもないのだが、まるで少し年老いたリヒャルトがそこにいるかのようだった。 少し低い位置から手を伸ばされて、ふわりと頬を撫でられる。それはやはり柔らかく華奢な女性のもので、マシューは困惑した。その様子を可笑しそうにクスクスと小さく笑ったオリヴィアは、声をひそめてマシューの耳元で囁いた。 「…見窄らしい子。病気に蝕まれ王族の身分に縛られすぎたのね、可哀想に…わたくしの可愛いリヒャルトがこんな形で反抗してくるなんて…」 マシューは何を言われたのか一瞬理解が出来ず、目を丸くした。 オリヴィアはマシューにニッコリと微笑みかける。優しさと慈愛に満ちたその表情は王国の母とも言われる王妃殿下に相応しいものなのに、どこかそれは歪だ。どこがと言われたらわからない。ただ酷い違和感だった。 マシューが恐怖を感じて一歩後退ると、シャっとベッドの天蓋が開けられて、青白い顔をしたリヒャルトが美しい黒髪をを僅かに乱したまま顔を出した。 「…ご機嫌ようオリヴィア王妃殿下。何か急用で?」 不機嫌をこれでもかというほど露わにしたリヒャルトに、マシューはまた顔を強張らせた。ガラガラだった声は殆ど元に戻っているのに、氷のように冷たい響きとそれに匹敵する温度のない瞳はまるで別人のようだった。 ゆっくりと立ち上がったリヒャルトに、オリヴィアは駆け寄ってその頬を撫でる。マシューにしたのと全く同じ行為だが、それは母が子にする無償の愛に溢れているように見えた。 「ああリヒャルト!顔色が悪いわ、寝ていなくて大丈夫なの?こんなに熱を出して…可哀想に、苦しいでしょう?」 「今の今まで寝ていましたのでご心配なく。それより王妃殿下、御用件は。」 「もう!王妃殿下なんて、気軽に母と呼んで構わないのですよ、わたくしの可愛いリヒャルト…母が息子の心配をして部屋を訪ねるのはそんなにおかしなことかしら?」 「いえ、何も。ただ突然いらっしゃられても些か困ります。このように起きたままの姿で殿下をお迎えするのはあまりに無礼ですので。」 「無礼なんて!」 オリヴィアはショックを受けたように両手で口を覆い一歩後退る。マシューにはその仕草がどこか芝居がかって見えて、やはり酷い違和感を覚えた。 マシューは母を知らない。母の無償の愛を知らない。だからオリヴィアの姿に違和感を覚えても、それに確証を持つことが出来ずただ立ち尽くすしか出来なかった。 「ああ、可哀想に…リヒャルト、母は心配なのですよ、貴方がこの嵐の時季を無事に越えられるか気が気ではないの…」 オリヴィアはゆっくりとリヒャルトを抱きしめ、自分よりも頭一つ高い位置にあるリヒャルトの頭を優しく撫でた。少し離れた位置にいるマシューには、オリヴィアの言葉を全て聞き取ることが出来ない。それくらいの小さな声で、オリヴィアはブツブツと独りでしゃべり続けている。いや本人はきっとリヒャルトに語りかけているのだろうが、それはどう見ても彼女の独り言だった。 それは、見れば見るほど、異様な光景だった。 「…ねぇリヒャルト、わたくしやっぱり心配なの。貴方が選んだならと思ったけれど…やっぱりあんな兎に貴方を支えることが出来るとは思えないのよ。貴方は神に愛された特別な子なの。ねぇ、今からでも遅くないわ、やっぱりあの兎は捨て置いてエーベルヴァイン公子と…」 「母様、申し訳ないのですがそれは絶対にありえません。」 不穏な会話を繰り広げようとしたオリヴィアの話を遮ったのは、他ならぬリヒャルトだった。

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