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ラビエル王国は王族だけでなく国の重鎮や上級貴族の殆どが人間だ。 宰相を始め各大臣や軍の上層部、そして広い国内の各地を治める領主一族も大半が人間である。その中で、獅子という最高位の獣人とはいえラインハルトが第一王子としてやっていくのは相当の苦労があっただろう。本人が言うように馬鹿にされることも、臣下であるはずの人間たちの知性の高さについていけず唇を噛んだこともあったに違いない。 そして、弟であるジークハルトとリヒャルトは人間なのだ。 医者として人々を救うジークハルトは民や貴族たちからの信頼も厚いだろう。飛び抜けて高い知力と信じられないほどの知識で国内だけでなく世界各地の情勢を瞬く間に整えていくリヒャルトなんて、誰もが彼こそ王にと願うに違いない。 マシューが、自分を奴隷商店の下働きという地獄のような生活から救い出してくれたリヒャルトを神様のように感じたのと同じように。 ラインハルトにとっては、それは脅威だっただろう。でも、それでも。 「でも、第一王子はラインハルト様じゃないですか…第三王子のリヒャルト様を殺す必要なんて、そんなこと、それこそ王位継承権を剥奪されたりしないんですか!?」 マシューの焦りと困惑を多分に含んだ声は、地下水路の濁流を掻き分け大きく響き渡って反響した。 水の流れはますます早くなっているように感じる。雨水がここに流れ込み人々の生活用水として浄水されていく造りなら、地上は嵐で酷い有様なのかもしれない。 リヒャルトは、大丈夫だろうか。 一抹の不安に辺りを見回したマシューに、ラインハルトはニタァと見たこともない嫌らしい笑みを浮かべた。 「殺しはしない。…勝手に死んでもらうだけだ。」 ゆらゆらとラインハルトの背後で細い尾が揺れている。空腹の獣が獲物を前に興奮を抑えきれず涎を垂らしながら息を荒げるようなその姿に、マシューはヒッと喉を鳴らして恐怖を露わにした。 「ふふ、そうやって怯えているとより一層可愛らしいな。ここで死んでもらうのが惜しくなってしまうよ。どうだ?ここで見聞きしたことを決して誰にも漏らさず俺に従順であり続けると誓えるなら、殺さず遠い地でお前を飼ってやろう。」 ラインハルトがぐっと顔を寄せ、恐怖のあまり大きな耳をピンと立てて全身を強張らせる。それを見て益々笑みを深くしたラインハルトは、ゆっくりとマシューの耳の付け根を愛撫した。 「ヒッ…いや、やめ…」 「重度の喘息と肺炎に苦しむリヒャルトがこんなところまで助けに来ると思うか?ゲオルグ卿がそれを許すと思うか?くく、仮にゲオルグ卿が許したとしてもジークハルトが許さんだろうな。その為にジークハルトをリヒャルトの元へ行くように唆したのだから。だがな…」 「やっ…!」 耳元に優しく息を吹きかけられると、ぞわりと背筋を這う嫌悪感、と、僅かな快感。その反応を見て気を良くしたのか小さく笑ったラインハルトは、太い指先に生えた鋭い爪先でマシューのうなじをカリカリとかいた。 「リヒャルトは来る。2人の目を搔い潜って、必ずな。…君が父王に謁見したあの日気付いたよ、リヒャルトは本気で君を愛していると。だからリヒャルトは来る。」 「や、あ、やめ…」 「ふふ、気持ち良いか?人間のリヒャルトではこうはいくまい。…だがな、あの調子のリヒャルトがこんなところに潜り込んで、広い地下水路を徘徊して、無事で済むわけがない。すぐに野垂れ死ぬさ。…あとは簡単だ、何者かに拐われた愛する人を追いかけて命を落としたリヒャルト王子の遺体を、懸命の捜索の末にラインハルト王子が見つけて持ち帰る。国中が悲しみにくれる中悪魔と呼ばれた奇才リヒャルト王子の遺志を継ぎ貴族も軍も纏め上げた猛将ラインハルト王子の戴冠式…というわけだ。」 「そんなの、そんなにうまくッ…」 「うまくいくわけない、か?本当にそう思うか?」 ラインハルトが与え続ける緩い快楽にふるふると震えていたマシューの尻尾を大きな手でふわりと包み込まれ、マシューはびくんと大きく身体を跳ねさせた。 この人は、獣人だ。 獣人だから、獣人がどこをどう触られるのが快感に直結するのか、よくわかっている。それは確かに、人間であるリヒャルトには難しいことだった。 「ああ、お前がΩならここに噛み付いてリヒャルトから名実ともに奪ってやったのに。だがしかし、お前はβだからこそ価値がある。βだからこそリヒャルトもお前を選んだのだからな。」 「ぃやだッ…!やめてください…!」 たっぷりと唾液を含んだ長い舌でそこを舐められると、肉食動物特有の棘のあるざらりとした感触がマシューの被捕食者の本能を刺激して、無意識に身体を逃げさせる。ガチガチと歯を鳴らすマシューの滑らかな頬を伝う透明な雫をその恐ろしい舌で舐め取られて、マシューはいよいよ恐怖と嫌悪感に力一杯ラインハルトを突き飛ばした。 が、マシューの細い腕では、奴隷解放宣言から絶えることのない各地の暴動を治めるべく数々の戦場を駆け巡り死線を乗り越えてきたラインハルトを突き飛ばすことなどできず、両腕で突っ撥ねるのが精一杯だった。 「ふ、くくッ…ははは、ハーッハッハッハ!やっぱりお前を飼うのはやめだ!決めたぞ、犯してボロボロになるまで甚振って、前後がわからなくなるほど可愛がってから殺してやる…そして地下水路の入り口に捨ててやろう、リヒャルトの怒り狂う様が眼に浮かぶ!」 地下水路にラインハルトと高笑いだけが、王族に相応しくどこまでも響き渡る。嵐の雨水を受け止める濁流でさえ、その声を妨ぐことは出来なかった。 力任せに硬く冷たい床に押し倒され、逃げようにも体制を整える間も無く大きな身体が覆い被さってくる。マシューはギュッと目を瞑り、両腕で顔を覆い隠して意味のない防御をした。 (ダメだダメだダメだ、助けを願っちゃダメだ、リヒャルト様はこんな所で僕なんかの為に死んでいい人じゃない…!) でも、それでも。 「いや、嫌だ…!助けて、リヒャルト様…!!」 もう一度、あの尊い瞳に映りたい。甘やかな声で呼んでほしい。強く温かい腕で、抱きしめて欲しい。 そう願わずにはいられなかったその瞬間、マシューの鋭い聴覚が風を切る音を捉えた。

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