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誰もが顔を見合わせ、再び中央の二人を見た。
リヒャルトの表情は、入場した時と変わらない。真っ直ぐにルイを見つめる視線はきらきらと輝いてとても美しいのに、彼が今何を考えているのかその輝きの中に隠してしまっていた。
困惑の表情で瞬きを繰り返すルイに向かって、リヒャルトは再び問いかけた。
「君は、これでいいのか?名門貴族の長子にも関わらずただΩというだけで当たり前に一夫多妻制度が蔓延る王族に、それも王位を継ぐことのない第三王子に差し出されて、それでいいのか?ルイ」
その場が騒然とした。
リヒャルト殿下はなにを、とあちらこちらから聞こえてくる。二人から目を逸らしていたマシューもなにが起きているのか理解出来ずにキョロキョロと周りの様子を伺った。
そんな中いち早く彼の意図を汲み取ったらしいオリヴィアが玉座から立ち上がり、大声を上げる。
「リヒャルト!ああリヒャルト、一体何を言っているの!?神父様のお言葉をきちんと…」
「恐れながら、王妃殿下には伺っておりません。私は今ルイに尋ねているのです。」
「なっ…母に、わたくしにそのような口をきいて、…ああ、ああリヒャルト、わたくしのかわいいリヒャルト…いけませんよリヒャルト、母に逆らってはいけません…わたくしはいつだって貴方を想って…ですから、ですからわたくしの言う通りに…」
オリヴィアは立ち上がったまま、独りでブツブツと喋り続けている。笑みの形を作った口元は酷く歪で、その瞳には狂気の色が見て取れた。その様子にまた、周囲がざわめく。クラウディア王女とモニカ王妃の顔は、何か汚らわしいものを見るように歪んだ。
「…もう終わりにしませんか。王族貴族の雁字搦めの結婚に。我々も自由恋愛を謳歌すべきです。」
「黙りなさいリヒャルト!母の、母の言いつけを守れないのですか!?エーヴェルヴァイン公子よりも相応しい相手なんて…」
「彼が私の相手に相応しいのではなく、貴女の都合に丁度いいのでしょう?エーヴェルヴァイン家出身のオリヴィア王妃殿下。」
「ちがう、違います!わたくしは…!」
「黙れオリヴィア。見苦しいぞ。」
ヒステリックに泣き叫ぶオリヴィアを一蹴したのは他でもない、彼女の夫である国王クラウスだった。
「…王族貴族の雁字搦めの恋愛に誰よりも苦しんだのは貴女でしょう、オリヴィア殿下。そして誰より悩んだのは、国王陛下、貴方ではありませんか。」
ざわめきだっていた謁見の間は、今やしんと静まり返っている。誰もがリヒャルトの話を耳を傾け、ぽかんと口を開けている。国王陛下でさえも、玉座に腰かけたまま微動だにせずリヒャルトを見つめる。リヒャルトはその視線に、挑むように睨み返している。
「…ふん、相変わらず生意気な…」
その言葉とは裏腹に、国王の視線はどこか柔らかいように感じた。
それをリヒャルトはどう受け取ったのか、再びルイに向かって問いかける。
「いいのかルイ。生涯のパートナーが私で。」
「…僕、は…」
「病めるときも健やかなるときも、最期の時まで隣にいるのが私でいいのか?」
ルイがキュッと唇を噛んだ。
リヒャルトは構わず進めた。
「その身に宿すのが、私の子でいいのか?その子を産み落とす激痛に耐える時…その手を握るのが、私でいいのか?ルイ。」
その時ルイは、やっと顔を上げた。
大きなサファイアブルーの瞳にたくさん涙を浮かべて、顔を歪めてそれがこぼれないように必死に堪えている。男性にしては厚くふっくらとした唇を戦慄かせて、ルイは漸く口を開いた。
「…殿下、申し訳ございません…僕、僕貴方と結婚出来ません…!」
「ルイ!何を…」
「ああリヒャルト、わたくしのかわいいリヒャルト…どうして…」
ルイの父親と思しき壮年の男性が慌てて口を挟んだが、ルイはそれに目もくれず涙を振りまきながら振り返って、そして頭一つ飛び出た漆黒の毛並みが美しい愛する人に向かって叫んだ。
「ゲオルグ様…!!」
その時、広い謁見の間に大地を揺るがす獣の咆哮が響き渡った。皆が怖気付いた。その刹那の瞬間、その獣は前に飛び出してルイの首根っこを引っ掴むと己の背に乗せて目にも留まらぬ速さで走り出し、あっという間に謁見の間を飛び出していく。
「とっ…捕らえよ!」
叫んだのは、宰相だった。
「し、しかし…獣化したゲオルグ様に追いつける者なんて…」
「ええい追いかけるだけが手段ではない!各関所を全て封鎖して駐屯兵に臨戦態勢を取るように伝えろ!」
「は…はっ!」
騒然とした謁見の間で、連れ去られた花嫁を救い出すべく衛兵が一斉に出て行く。かと思えば数人が武器を手に戻ってきて悲鳴が上がり、混乱状態に陥る。
末席に立つマシューの近くに、助けてくれる知り合いはいない。その様子をどうすることもできずに立ち尽くしていると、突如腕を引っ張られた。
「リヒャルト!待ちなさいリヒャルト!母の言いつけを破って、この、愚息が…覚悟なさいリヒャルト!!」
王族の結婚式で花嫁が拐われ花婿が逃走すると言う前代未聞の事件は、世界中に号外が出されラビエルの長い歴史の1ページを飾ることになった。
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