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パニック状態の城の中人通りの少ない道を的確に通り抜けて外へ出た二人は、いつか真夜中に訪れた裏手の小丘に来ていた。生い茂る木々をかき分けて開けた視界に広がる景色は、燦々と降り注ぐ太陽の光を受け止めた泉の反射で、目が絡むほどの光が溢れた美しい光景だった。 この日のために仕立てた純白のフロックコートを緑の葉で飾ったリヒャルトは、それを見てやっとマシューの手を離し膝に手をついた。 「すごい、綺麗…」 「はーっはーっ…だろ?やっと、昼間に、連れて来れ…ゲホッゲホッ!」 「だ、大丈夫ですか!?」 「基本的に…体力は、ゴホッゴホッ…ない…」 「ダメですよ無理をしたら…うわっ!」 ゼーゼーと荒い呼吸を繰り返すリヒャルトの背を撫でようと手を伸ばすと、その手を掴まれてグイッと強く引かれ、マシューはそのままリヒャルトの上に倒れ込んだ。慌てて起き上がろうとすると今度は両手で頬を包み込まれて、キスで行動を封じ込まれてしまった。 すぐに離れていった熱に名残惜しさを感じながら姿を現わす紫水の瞳に魅入られたのも束の間、リヒャルトが口にした言葉にマシューはカァッと赤くなった。 「体調を崩したら、看病してくれるんだろ?」 「…あ、ひどい、騙しましたね!?心配したのに!!」 「騙してないさ。」 不貞腐れたマシューをクスクスと笑うリヒャルトから微かな喘鳴が聞こえてきて、マシューはすぐにリヒャルトの上から退いた。この程度なら少し休めば大丈夫だろうが嘘ではなかったようで、マシューは良心がちくりと痛んだ。 体を起こしたリヒャルトはポケットに忍ばせていたらしい薬を口に含むと、太陽の光でキラキラ光る泉の水を両手ですくい上げて飲み干していく。 どこか幻想的な光景に、マシューはほうと感嘆のため息をついた。 「そのお水、飲めるんですか?」 「ああ、飲めるよ。この国で水を警戒する必要はない。飲んでみるかい?」 マシューはコクリと頷くと、リヒャルトに倣って両手で水を掬い上げて口に含んでいく。意外にも冷たくて、まろやかで微かな甘みがあり、走り続けて乾いた喉を優しく潤していった。 美味しい、と思わず呟いたマシューにリヒャルトはハンカチを差し出すと、その場に座り込んで天を仰いだので、マシューはその隣に膝を抱えて座った。 「…あの、よろしかったのですか…?」 「ああ、あれで母の信頼は地に落ちたな。あんな公の場で息子に暴言を吐いて…ふふ、いい気味だ。清々した。」 「いえ、そうではなくて…」 マシューが懸念したのは、ゲオルグのことだった。 マシューがこの城に暮らし始めて早一年が過ぎた。その一年の中で、リヒャルトには側近と言える従者がゲオルグの他にいないことに気付いていたマシューは、リヒャルトはゲオルグを手放すことをしないだろうと思っていたのだ。以前にルイと共に逃す計画をしているとは聞いていたが、現実的ではないと思っていた。 しかしリヒャルトはゲオルグを逃した。 王族の花嫁を拐った大罪人として、世界中に指名手配されるかもしれない。もう、ゲオルグがリヒャルトの前に姿を現わすことはきっとない。 「…前にここで話したことを覚えているかい?」 リヒャルトが欲する自由で平和な国。王族や貴族も当たり前に愛した人と一緒になる為に、誰かが動かねばならないという。その自由こそが、平和に繋がるという話を、マシューは頭の隅から引っ張り出してこくりと頷いた。 「抑圧されるから抑圧したくなるのさ。自由がなくて余裕がないから、権力で弱者を虐げて憂さを晴らす。民は溜まった鬱憤を謀反という形で晴らす。それが戦争だ。…弱者で憂さを晴らすなどあってはならない愚かなことだが、王族でも鬱憤は溜まる。だから憂さ晴らしの場を設けるんじゃなくて自由を渡してやればいい。愛した人と一緒になる自由…それをルイとゲオルグに先駆けてもらったのさ。後からちゃんと形を整えてやるのが、俺と君の役目だ。」 リヒャルトは顔を曇らせたマシューの頭をポンポンと撫でると、いつも通り柔らかく微笑んでマシューの目尻にキスを落とした。それはマシューを安心させるための行為であり、同時に「これ以上深入りするな」という意味を含んでいることにもこの一年で気付いていた。 「そんなことよりマシュー、手を出して。」 「手?ですか?」 「違う左手。…あ、いや、すまない俺が悪かった…」 「え?え?」 マシューが首を傾げて困り果てていると、リヒャルトは内ポケットから何かを取り出しマシューの左手を取って、その薬指にそれを嵌めた。 このラビエル王国の極一部の鉱山でしか採取できない紫水晶(アメジスト)に繊細な細工を施した小さな指輪。 「…これ…」 それは、マシューがラインハルトに拐われた折に危険を知らせるためにその場に捨てたあの小さな指輪だった。 リヒャルトに初めて会ったあの日に貰ってからずっとマシューが首から下げて持ち歩いていた、お守りのようなそれ。そして実際マシューを危機から救ってくれたそれは、手元に戻ってくるのを諦めていた。もう、お守りの役目を果たしたのだと理由付けて。 「…マシュー、実はそれは実物ではないんだ。」 リヒャルトはそう言って、また内ポケットから何かを取り出した。ハンカチに包まれたそれをゆっくりと開くと、見慣れたマシューの指輪が無残な形で横たわっている。 リングの(アーム)と石座が完全に分離しており、腕は錆びて爪が歪んでいる。爪が折れて外れかかった紫水晶は、くすんで透明感が失われていた。

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