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閑話:年初の恒例(2)

 それにしても、三が日の人出はすごいものだと、潤は改めて、あたりを見回しながら思う。仲見世通りの先にある大山門をくぐるだけでも入門規制がされており、潤たちは三十分ほど待って、ようやく入ることを許された。さらに参拝をするためには大本堂にいかねばならず、少しずつ大本堂に近づく列に、三人はのんびりと並んでいた。  ようやく参拝の順番が回ってきたのは、大山門をくぐってからさらに三十分以上並んでからだった。  賽銭を入れて手を合わせる。潤は今年一年の健康と実りあるものであるよう、そして余計なことかもしれないが、兄の颯真に良い縁があるようにと祈った。颯真の潤への世話焼きぶりに、江上から母親みたいだと呆れられたので、大切な人ができれば兄も変わるだろうと考えたのだ。  祈ってから、この兄にもし番が出来たら、自分はどうなるだろうと思ったが、自分に構っていたら、いい出会いも逃してしまいそうな気がした。自分に番ができるなんてことは想像もできないから、颯真に番ができる方が現実的だ。  参拝が終わり、大本堂の脇に逸れると、御札場が目に入った。お守りなどが頒布されていて、参拝客でごった返している。  その奥にはお御籤の授与所があり、さらに境内には多くの露店が立っていて賑わいを見せている。それを見た颯真が潤に問いかける。 「なにか欲しいものは?」  すると、江上が間髪入れずに割って入る。 「お御籤は必須じゃないか」  潤は僕はいいと遠慮したが、そのまま颯真と江上に巻き込まれて授与列に並ぶ。お神籤箱をかしゃかしゃと揺らして御籤棒を引く。渡されたのは中吉。 「……長い間の悩みや苦しみも時が満ち、まもなく自ら去り、何事も花の咲くように次第に栄えていく……? なにこれ」 「仕事運はどうだ?」 「商売は、……待て、やがて好機到来す」 「ほう、恋愛は?」  颯真の質問に鼻で笑ってしまった。 「良い人、幸せあり……だってさ。相手もいないのにね。颯真は?」 「末吉……お前よりも下だな」 「へえ。なんて書いてあるの?」  手にしている神籤を颯真は読み上げる。 「……何事も思うも任せなく、悩み多いが、諦めず努力を続ければ幸せとなり望みも叶う。今は辛くとも耐え、時を待てば吉なり……今は待てってことか」 「じゃあ、恋愛は?」 「恋愛……。相手に意識なし、待て、だってさ」  意識なし、ってどうよ? と颯真が複雑な表情で潤に問う。 「あはは。僕、いまさっき大師様に颯真に番が出来きますようにって祈念してきたばかりなんだけどな」  颯真が憮然とする。 「お前は俺より前に自分の心配をしろ」 「廉は? どうだった」 「あは、俺は大吉だ」 「俺たちのなかで廉が一番の強運の持ち主か」 「なんて書いてあったの」  潤の言葉に、江上は手にしていた神籤を読み上げる。 「晴れ晴れとした日々を迎えたような、幸せに満ちた時が訪れます……だって」  へぇ、と潤と颯真の二人で声を上げる。 「待ち人、来る。悦びあり。願い事、思うままに叶うだってさ。商売、好機到来。利、ありだってさ、潤」 「僕?」 「俺のボスはお前だからな。商売は好機到来、覚えておけよ」  三人はじゃれ合いながらお神籤をポケットに収める。  潤はお札場で破魔矢を購入した。 「それだけでいいのか?」  颯真の問いかけに潤は頷いた。 「あ、そうだ。あとは母さんからくず餅をリクエストされてて。帰りがけに咳止め飴も欲しいな。あれ美味しいんだよ」  潤の言葉に颯真と江上も頷く。 「あとは甘酒かな」 「参道にあるやつな」 「甘麹のやつね。美味しいんだよね、あれ」  初詣をしなれたような会話を三人で繰り広げていると、背後から思いもよらない名前で声がかけられた。 「あれ、森生先生?」  自分のことを呼ばれたわけではないが、とっさに振り返る。すると、立ち止まっていたのは若い男性。自分たちよりもいくらか年上の印象だ。黒いコートに青いマフラーを首元に巻いている、出で立ちは美丈夫といっても差し支えないくらい。視線が自分ではなくやはり颯真に向いていた。   「和泉先生じゃないですか」  颯真の反応に、潤もとっさに潤は記憶を巡らせる。すぐに誠心医大病院の、和泉暁医師のことかと思い当たった。  江上が仕事の顔で潤の耳元に寄せ「誠心医大の本院の和泉暁先生ですね」と言い添えてくれ、頷く。本当に頼りになる秘書だ。  和泉医師が颯真に向かってくるので、潤は邪魔をしないように少し颯真から離れた。たしか、和泉医師は颯真よりもいくつか先輩だった気がする。年齢はかなり上で、今はアルファ・オメガ領域に強い誠心医大の本院でナンバーツーだったはず。  二人は差し障りなく新年の挨拶を交わす。横浜と東京で勤務地は違うが、よく顔を合わせるのだろう。驚いたのは和泉医師が、十歳ほど年齢が離れていて、卒業年もいくつか下の颯真を、丁寧な言葉遣いで同僚の医師として扱っていることだった。颯真はこのアルファ・オメガ領域で、きちんと認められた存在なのだなと、自分のことでもないのに潤は誇らしい気分になる。   「あ、和泉先生、紹介します。弟の潤です」  颯真がいきなり潤を振り返る。潤は少し慌てたが、江上が潤の腰を押し、絶妙にアシストしてくれた。 「あ、初めまして。弟の潤です。いつも兄がお世話になっております」  潤が自分はどの立場で挨拶すればよいのだろうとふと思ったのだが、颯真が弟と紹介したのでそのまま乗っかった。  しかし、和泉は苦笑を浮かべていた。 「これまでご挨拶する機会はありませんでしたが、おそらくどこかではお目にかかっていると思います。誠心医大の和泉と申します。森生先生の双子の弟さんということは、森生メディカルの社長さんですよね。このたびはご就任おめでとうございます。いや、お若いのに立派です」    和泉は思った以上に潤のことを知っていた。まさか業者の社長人事まで把握しているとは思いもよらなかった。驚いて、慌てる。 「あ、ありがとうございます。そこまでご存じとは思い至りませんでした。大変失礼しました」 「御社の製品にはいつも助けられております。担当のMRの方にはいろいろと無理ばかり言っていますが、日本人のための抑制剤や誘発剤を開発する、その技術力や開発力には期待しています」  思った以上の言葉かけられて潤は嬉しくなる。 「ありがとうございます。現場の先生にそのように仰って頂けるとありがたいと思います。そして、ご期待に応えられるよう、気が引き締まります」  潤は頭を下げて一礼した。  それでは失礼と、和泉とその連れの男性を、三人は見送った。その背中を見ながら、颯真が潤に言った。 「個人的に和泉先生と繋がりが出来て良かったんじゃないか。あの人、メルト製薬のMRを番にしていて、割とメルトの製品を贔屓にしている人だけど、いいものはちゃんと評価する人だし、間違いなく森生メディカルの製品も評価している。医師としての腕も確かだ。発情期のコントロールを抑制剤でやるのが巧いんだ」  颯真の言葉に潤は頷いた。  そういえば、和泉医師といえば、数年前にメルト製薬のMRを番にして、関連病院や同業他社が大騒ぎになったと聞いたことがある。 「……あの人、アルファなんだ」 「番いるぞ?」  颯真の言葉に潤は苦笑する。隣に控えめに立っていた同年代くらいの連れの男性が番だったのだろう。 「じゃなくてさ、あんまりアルファっぽくない人だなって」  アルファ特有の圧みたいなものを、和泉からはあまり感じなかったのだ。空気を作るのが巧い人なのかもしれない。 「あの人、番を作るまで完璧にベータと思われていた人だからな。第二の性ってあまり人に言うものじゃないけどさ、なんとなく雰囲気で分かる部分もあるだろ。あの人はアルファ・オメガの医師っていうだけじゃなくて、雰囲気も完璧に隠してたんだ。だからこそアルファと分かって大騒ぎになったんだけどな。なんでベータと偽っていたのはかは知らないけど、言われてみれば納得したな」  その颯真の言葉で、医師としてどれだけ和泉暁医師を信頼しているのか、潤は理解した。 「食えん人だけどな」  颯真がにやりと笑う。 「あー、腹減ったな。飯食ってくか」  颯真の提案に頷いたのは江上。 「そうだな。潤、何食べたい?」  潤は即答する。 「ラーメン」  こってりとんこつ系希望というと、颯真が肯く。 「お、いいな。ラーメンにしようぜ」  二人の提案に江上も異論はなく、三人で再び仲見世通りを歩き始めたのだった。 【了】

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