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「颯真は忙しいみたいで、同じ家にいても全然姿を見ないわ」  茗子の一言に、先日の松也の話が蘇る。もしかして、未だに少し無理をして仕事を詰め込んでいるのだろうか。 「僕が……年末拘束したから。そのしわ寄せが来ているんだと思う」  颯真は基本的にマインドコントロールが自分より巧いと潤は思っている。だから心配はしていないが、それでも気になるのだ。  江上とは連絡を取り合っているのだろうと思うから、様子を聞いてみるのも手だろうか。……そう考えて否定する。今は余計な情報を入れて、精神的に再び不安定になるのは怖い。 「この間の発情期の時。あなたたちの絆を実感したわ」  茗子が突然言い出した。発情期初期の時に様子を見に来てくれて、自宅に帰ろうと提案してくれたにも関わらず、兄弟で拒絶した時のことを言っているのだろう。  あの時、もし茗子の提案に乗って帰っていたら、颯真とあのようなことにはならなかっただろう。  でも、発情期はもっと長く続いていたかもしれないし、そうであった場合、今以上にメンタル的なダメージが大きかったと思う。あの時は、かなり敏感になっていて、颯真以外の医師に身を委ねるのも抵抗が大きかった。子供の頃から世話になっている天野医師でも拒絶感があった。 「僕達はずっと一緒だったから」  互いを片割れと思っている。今でも。  茗子が苦笑する。 「そうね、わたしたち夫婦が結構放っておいたから、あなたたちは二人で大きくなっちゃったんだもの」  放っておいた、とは過激な表現だ。確かに、幼い頃から両親は側に居なかった。父はもちろん、母も仕事で家を空けることが多かった。そのため、潤と颯真は自宅から徒歩五分ほどの母方の祖父母宅に預けられることが多かった。  実家と比べるとこじんまりとした洋館で、二階で颯真とふたりで遊んでいても、一階に居る祖父母の気配を感じることができた。 「そんなことないよ」  潤は否定する。 「僕たちは、ばーちゃんの家ばかりにいたから、寂しい思いはしなかった」  両親に放っておかれたという感覚はなかったが、時には、側に居てくれないことや、祖母がいるだけでは寂しいと感じたこともあったかもしれない。 「ただ、颯真が居てくれたから寂しくなかったっていうのは、本当なんだ。多分、颯真もそうだと思う」  祖父母は潤が大学生の時に相次いで亡くなった。今その洋館は空き家になっている。潤自身あの家には十年近く行っていないが、あの場所は祖父母と颯真との思い出でいっぱいだ。今、おそらく行けば、実家のように颯真との思い出があふれ出てくるのだろう。  颯真と裸足になって登った、庭の梅の木は今もあるのだろうか。隣家との往き来ができた……というか颯真が密かに作った、植木のトンネルや、裏庭のブランコ。時間が許す限りずっと颯真と戯れた。 「あなたたちがべったりなのは、そのせいかなって思うのよね」  茗子の指摘は鋭いかもしれない。しかし、環境によってそうなったというより、双子だったからという要素が大きいと潤は感じている。  二人が感じるものが似ているから、一緒にいても心地が良いのだ。  潤は颯真のことを躊躇いもなく片割れと思うし、颯真もそう思っている。互いのことを半身と思うのは双子だからだ。  その片割れに「番ができるかもしれない」と思ったのが一ヶ月前。  尚紀が受ける「ペア・ボンド療法」の相手が颯真なのかもしれないと思い至り、一人で焦って、気持ちを整理した。自分に義兄ができるかもしれない……。いや、颯真の中で片割れである自分よりも大切にする人ができるかもしれないというのは、自分の中で想定外だったことに驚いた。  颯真に大事な人ができるというのは喜ばしいことだと思っていたのに、寂しさに加え、大切な人を取られるという焦りもどこかにあった気がする。  それは結果として早とちりだったのだが、あの感情を突き詰めていくと……。  いや、考えるのは止めようと潤は判断する。 「先月、ちょっとしたことで、あれ、颯真に番ができるのかなって思ったことがあったんだ」  潤がそう切りだすと、茗子が驚いたような表情を浮かべて視線を向けてくる。  まあ、結局は僕の勘違いだったんだったんだけどね、と一瞬色めき立った茗子を宥めつつ、潤は口を開く。 「いろんな感情が渦巻いたよ。颯真に番ができるのは嬉しいことだから祝福したい。颯真にとって大切な人は自分にとっても大切な人だから。でも、颯真を取られたようで少し悲しい……。  それは両方本音で。  だから、それが自分の勘違いだったと分かって、安心したっていうのも本音で」  茗子は溜息を吐いた。 「複雑な感情ねえ。あなたたちの関係はいくつになっても変わらないのね。もし潤に番ができたら、颯真はどうするのかしら……ねえ」  茗子の何気ない疑問に潤はどきりとする。   「で、潤は?」  直接的な質問すぎて、何を言われているのか一瞬分からなかった。 「え、僕?」 「そう。颯真が慌てるような、番いたい相手とはかいないのかしら?」  突然の質問に潤は戸惑う。とっさにその颯真の顔が浮かんで、継いで松也の顔が浮かんだ。 「僕は……、もう少し仕事が安定してからかな……」  その冴えない返事に茗子は不満を漏らす。  そんなことを言っていたら、いつまで経っても番なんてできないわ……。  その指摘は、この話題を曖昧にしておきたい潤の本音を鋭く突いており、何も反論できない。  しかし、茗子の興味はそれだけで終わらなかった。 「ねえ、天野先生のところの松也君と会ってるって聞いたけど?」  潤は驚いた。なぜ知っているのか。 「あれ、なんで……って……」  口を開いて気が付く。情報ルートなんて明快ではないか。茗子の主治医が松也の父親なのだから。  気を落ち着けるために息を吐く。 「なんでそんなわざわざ」  それにしても、情報が早すぎないかと思う。期待をしているから、情報が早いということなのかということに気が付く。ならば、はっきり言っておかねば。   「何もないよ。時々会って、ご飯をしたりしてるだけ」  番契約を求められたことはあえて隠しておいた。 「そうなの。松也君がかなり乗り気って聞いたんだけど」 「誰から」  野暮な質問とは思うが、念のため。 「天野先生に決まっているじゃない」  やっぱり。  潤は納得した。もしかしたら、このために来たのかなと茗子の突然の来訪の意図も察した。    実は、松也とは先日会った時に次に会う約束も交わしていた。というか、約束させられた。  来週の土曜日、横浜の水族館に行かないかと誘われたのだ。  松也によるとこれからしばらく連勤になるらしいが、土曜日は昼間が奇跡的に空いているので、職場の近くで会えると嬉しいと言われたのだ。  松也の意図を知った今、潤は慎重にならざるを得ない。しかし、松也のあの手この手の誘い文句を躱しきれずに、帰ってきてしまった。  正直、今から憂鬱なのだ。 「今のところ、僕の中ではご期待には添えないんだよね。その気がほとんどないんだ」  潤の迷いのない言葉に茗子も溜息を吐く。  アルファとオメガは惹かれ合うもの。しかし潤はそんな様子を全く見せなかった。 「松也君には気の毒だけどそういうことね。うちの息子達はいつになったら相手を見つけるのかしら」  茗子は天井を仰いだのだった。

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