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「さっき、西宮記者が話題にしていた、オメガの少年の暴行事件を、尚紀が気にしている様子なんだ」
社長室で、「相談」と江上が切り出したのがそんな一言だった。
西宮が口にしていた、最近ニュースになった、アルファの大学生のよる集団暴行事件。横浜に住むオメガの高校生が初めての発情期を街中で発症してしまい、ちょうど近くにいた複数のアルファの大学生がそのフェロモンに当てられて襲ってしまったという、痛ましい事件だ。それを西宮は性差の問題だけではなく、貧富や格差といった問題意識につなげて持論を展開していた。
「きっと俺がいない間もテレビを見たりネットをさらったりして情報を集めていると思う。それで時々塞ぎ込んでいる様子で、心配なんだ」
なぜ直接的に聞かないのかと思ったが、江上によるとどうも自分には話したくない様子なのだという。
これまでは色々と二人の間で話し合って決めて行くことが多かった。しかし、今回の件については、触れようものならば尚紀が意識的に話を逸らすことが多く、江上としては納得できない。
無理矢理に話をさせて、自分だけが満足することは避けたいが、ずっと理由もわからずに隠されたままだと、いずれ耐えきれなくなってやってしまいそうで怖いという。
江上にはそれとなく聞き出してくれないかと依頼されたが、勘のいい尚紀に、「それとなく」が通じるだろうか。無理だろう。直接聞いてみていいならと、潤は請け負ったのだった。
それに、尚紀の妊娠を知った今、その江上の心配はもっともであると潤も思う。
「オメガの少年が、自分に似ている」というのはどういう意味なのか。
「あのさ、被害者のオメガの少年や加害者のアルファの大学生たちの中に、尚紀の知り合いがいる、というわけではないよね?」
潤がそう確かめると、尚紀は頷いた。
「そうやって思い悩むのは身体にも赤ちゃんにも良くないと思うんだ。それに、廉に話せないって、余程のことだよね」
潤が優しく問いかける。
「抱えるのが辛いなら、僕に話してみない?」
以前、尚紀から前の番には発情期に襲われて項を噛まれ、無理矢理番にされたと聞いた。そんなこともあって、自分の過去とマスコミの餌食となっている少年がオーバーラップして見えるのだろう。
こういう時はスッキリするまで話させてしまう方がいいのか、それとも、もう言わせない方がいいのか。潤の中にもわずかな迷いがあった。
尚紀の顔がふにゃっと歪んだ。
「潤さん……ずるい」
尚紀が口を尖らせる。
「ふふ。いつでも僕を頼って、って言ったじゃん」
潤は苦笑して、尚紀に向き合うと、両手で彼の背中に腕を回した。
潤は尚紀を抱きしめながら、その華奢な背中をさする。今夜は特に頼りなさげな印象だ。
「……彼は、項を噛まれなかったみたいです。本当に良かったと思います」
そう尚紀はぽつりと呟いた。
アルファの大学生から数日に亘り暴行を受けた被害者の少年がその後どうなったのか、詳細は報道されていない。被害者のプライバシー保護によるものだろうが、ネットをさらえばどのような状態だったのか嘘か真かわからないような情報はいくらでも出てくる。
尚紀はその玉石混交のようなものをきちんと精査して、そのような結論を出したのだろう。それだけで彼の情熱の傾け具合が読み取れるというものだ。
「それを調べていたんだね」
潤は納得したように問うと、尚紀が頷く。
「そこがまず心配でした。望まないアルファに項を噛まれるなんて、絶望に近い経験はしてほしくない」
尚紀は、かつて望まぬアルファの番であった自分の境遇と重ねて、かつての自分の気持ちを辿っているようにも思える。彼の辛い記憶をそのような精神状況で辿るのは、健全とは思えない。
潤は思わず言ってしまう。
「ねえ尚紀。もう、調べない方がいいんじゃない?」
お腹の子供にも良くないように思えるのだ。しかし、尚紀は首を横に振る。唇を噛んでから言う。
「多分、気になって調べちゃうんです」
どうしてそこまで一つの事件にこだわるのか、潤には分からなかった。望まぬアルファに項は噛まれなかった、それでスッキリしたのではないのか。
「どうして、そこまで?」
尚紀は、潤の顔を見た。それはまるで、まだ彼が江上の番になる前、アルファ・オメガ科の病棟で一人不安と闘っていた時のような、儚く頼りなげな表情だった。
「潤さん……。
それは、事件の被害者の少年が経験したことを、僕もかつて経験したからです……」
「え」
「前の番には、そうやって番にされたんです」
潤は言葉を失った。
まさかそこまで力づくで無慈悲な方法によって番にされたとは思わなくて、潤は一瞬、無防備に反応してしまった。
そんな心中を敏感に読み取ったのだろう。洒落にならないような話ですみません、と尚紀は謝罪した。
件の少年だって、幸い番にされなかったものの、心と身体に大きな傷を負ったに違いないのに、尚紀はそれ以上……大きく心と身体を縛られるような契約を結ばされた。
「それって、初めての発情期で襲われたってこと……?」
「僕も、初めての発情期を街中で無防備に起こしてしまったんです。そこに偶然居合わせた、かつての番……夏木に襲われて、そのまま番にされました」
それが十七歳の時。あのオメガの少年と同じくらいの年齢でした、と尚紀が言う。
「正直、これはあまり思い出したくないことで……」
口を噤む尚紀に、潤はかける言葉が見つからない。
「颯真先生には、以前聞かれたので話しました……。でも、廉さんには言っていません。……まだ、言えません」
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尚紀の過去については
1章「一人のオメガと二人のアルファ」第14〜15話
2章「一人のアルファで一人の兄で」第40話あたりに詳しくありますので、復習されたいというありがたやな方はぜひどうぞ!
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