108 / 215

(18)

 颯真との晩酌の話題は、先程の江上家での晩餐の出来事に戻っていった。江上が潤に密かに相談していたことを颯真に話したためだ。 「尚紀が気にしているらしくて、廉に相談されたんだ」  そう潤が切り出したのは、横浜でのオメガの集団暴行事件だ。横浜の繁華街の中で、オメガの高校生が突然発情期に見舞われて、アルファの大学生に襲われてしまったという痛ましい事件だ。それを尚紀は過去の自分の姿と重ねて辛い思いをしていた。  もちろん颯真もその事件については承知しているようで、眉根を寄せた。 「あれか……」  多忙な颯真でさえ耳に入るくらい、マスコミの報道は過熱さを増していたとも言えるだろう。 「ずいぶん騒がれているけど、ああいうのを気にするのは、少し心配だな」  颯真が表情を曇らす。 「赤ちゃんにも良くないと思うんだけど、やっぱり過去を思い出して辛いみたいで……」 「お前も聞いたんだ」  何をとは颯真は聞かなったが、この場合は「過去の話」を指すのだろう。尚紀から「以前、颯真先生には聞かれたので、話している」と聞いている。 「うん、聞いた。あと、廉にもさくっと話しておいた」  潤が頷くと、お前すごいな、と、あの颯真が素直に感嘆した。 「俺もその話を聞いた時に、きちんと番に話した方がいいって勧めたんだけど、自分では話せないってきっぱり拒絶されてなー。  じゃあ、俺から話すと言ったんだけど、颯真先生にそこまで迷惑をかけられないって固辞されて、気になってたんだ」  知られるのが怖いからっていうのは、伝わってきたから無理強いはできなくて、でもそれ以外にはどうにもできなくて……、と颯真が言った。 「お前からちゃんと廉に伝わったなら、安心したよ」  颯真でさえ受け入れて貰えなかったことを、尚紀が自分だから受け入れてくれた、という事実が、潤には単純に嬉しかった。 「……ここだけの話。あの被害者の子。うちの病院にいるんだ」  颯真が切り出した言葉に潤は驚き、一瞬挙動が止まったが、よくよく考えてみれば、あの事件の現場は横浜であるし、颯真の勤務先は地域の基幹病院なのだから、なにも不思議なことではなかった。 「あの子、入院してしてるんだ」  その後の被害者の動向が報道されていないのが気になっていた。報道されていたら、それはそれで追いかけ回されているのかと心配ではあるのだが、あれだけのことがあって元気で生活しているとは到底思えなかった。 「うん。マスコミ対策で箝口令が敷かれているがね」  颯真が頬杖をついて、グラスのステムを触る。  聞けば、アルファ・オメガ科の特別室に入院しているとのこと。通常であれば発情期のオメガを収容する役割を持つ特別室であるが、今回ばかりは面会謝絶、個人情報管理の徹底のために特別室が使われているらしい。 「精神的にも参っていて、見ていて可哀想だよ」  颯真がそんな感想を漏らすのは珍しかった。 「尚紀があの子を気にするのはすごくよく分かる」    潤はしばらく前までほぼ毎日見ていたあの事件報道を思い起こす。出社後に情報収集としてさらう新聞朝刊や、帰宅後に軽く流すニュース、週末のワイドショーなど、なんとなく耳に入れていただけだが……。  被害者の少年の学校や自宅、友人宅に押しかけては、様々な人から情報を拾い、その少年の評判を聞き回っているレポーターの姿を想像しては、なんともいえない気分になった。あれをされる方は気持ちが参ってしまうだろう。 「マスコミの追及が容赦がなかったもんね」  颯真も頷く。 「子供相手に、よくあそこまで残酷になれるよ」  颯真の侮蔑を含んだ言葉に潤も無言で頷く。  被害者のオメガの少年の情報は多く報道されていたにも関わらず、加害者のアルファの青年たちに関してはほとんどなかった。その報道の偏り具合にも潤は解せないものを感じた。 「マスコミの過熱報道に触発されているんだろうけど、最近はネットも酷い」  颯真によると、匿名掲示板などは目も当てられないらしい。  その多くはガセなのだろうが、嘘か本当かの判別もつかない実名が書き込まれ、「注意力が足らない」「オメガのくせに」と批判的な書き込みがされているという。酷いものになると、わざと誘ったのではないかと、したり顔で分析するような、見るに耐えないような書き込みもあるとのこと。 「本人にとっては、ああいった二次被害のショックも大きいんだよな」  颯真の言葉は、本人を診ていてのものなのだ。実感がこもっている。  あの守られた特別室で、外からのネットの声に傷つき苦しんでいる少年の姿が、脳裏に浮かび、痛ましさを覚える。 「尚紀がいろいろと情報を精査した結果、項は噛まれていなかったって言っていたけど、それは本当?」  颯真が頷く。 「それは本当」  それを聞いて、ひとまずは安堵した。  ただ、無事だった項以上に、心の傷が心配になるところだが。 「箝口令が敷かれているなら取扱注意の情報だけど、尚紀が知ったら安心すると思う。信頼する颯真先生のところにその少年がいるならば一番安全な場所だもの」 「そうだな。さりげなく伝えておくよ」  潤の言葉に颯真も頷いた。  双子の晩酌の話題は、潤が想像しない方向に進んでいった。きっかけは颯真の一言。 「最近、少し危いうなと思っていることがあるんだ」  颯真が傾けるワイングラスの中身が半分くらいになった頃、そんなことを言い出した。潤はその話の方向性が読み取れずに、首を傾げる。 「どういうこと? 危ういって?」 「世間……っていうと広いけど、オメガの人たちに対する世間の見方が」  颯真は腕を組んだ。  少し偏ってないかなって思うんだ、と颯真が持論を述べた。 「世間の見方ねえ……」  潤が反応しかねていると、颯真が口を開いた。本人もモヤつきを言語化できていない様子で、言葉を探っているような印象だ。 「なんていうのかな、こうでなければならないと決め付けが強いというか。理想化しているのかな。  とくに『アルファとオメガ、番とはこのような関係でなければならない』という、イメージを押し付けられている印象がある」  確かに、小説や映画などのフィクションで第二の性をテーマに盛り込んだ作品は、アルファとオメガが登場すると、最終的に幸せな発情期を経て番になるというのが定番のエンディング。運命の番が結ばれるのは、シンデレラストーリーの王道だ。  現実はそうではないと、頭の端では承知しているのだろうが、それでもアルファとオメガがいれば、そこには優しい愛情と幸せが溢れていると思われがちだ。  とかくアルファとオメガというのは、ベータと同じ世界であるにもかかわらず、そのような役割を求められがちなのだ。   「これは現実だ、といっても、アルファとオメガの番は絶対数が少ないのだから物珍しんだろうなぁ」  周りにいなければ、現実味がないからフィクションに近づいてしまうのだろう、と颯真は分析した。 「みんな、結局は見たいものしか見ないからね」 「全く、その通りかもしれない。それに逸脱すると責められるんだよな。世の中の閉塞感なのかな」  尚紀の罪悪感も、そのような中で生きてきたら、当然抱いてしまうものなのだろう。

ともだちにシェアしよう!