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「番って父さんと母さんみたいな関係で、赤ちゃんができるんだろ? 俺と潤で赤ちゃんができるの? って。
今でも、あの時に安易に口に出さなくて良かったと思ってるよ」
言ったら大騒ぎだっただろうなと颯真は苦笑を浮かべた。
たしかにと潤も頷いた。ことの真偽はともかく、まずは颯真の精神的な発育状態が疑われただろう。そんなことにならずによかった。
「流石の颯真くんも、動揺していたんだね」
「だろ? 今だから笑って話せるけど、当時は真剣で深刻だった」
潤の言葉に颯真は頷く。
その頃には、自分はアルファで弟はオメガと、颯真の中では確信があったという。
「周りは潤をアルファだと言う。でも、俺はアルファもこんなにいい香りがするの? って思ってた。俺にとって潤の香りは離れ難くて大好きで、自分だけのものにしたくて。
身体の奥を揺さぶられるその意味は、精通して理解したけど」
弟を性的な対象として見る罪深さを同時に感じていたという。
「この感情をどう自分の中で決着をつけるのか、悩んだな。
俺たちは双子で兄弟だ。本来であれば、俺は弟に対して当然性的興味を持つはずがない。これは心理現象として指摘されていることでもある。なのに俺は潤を番として認識していて、肉親とは違った愛おしさを覚えていて、性的な欲求を抱いている、この感情に的確な名称が欲しくて、論文を読み漁ったのもその頃だった」
手当たり次第文献を探したというのが颯真が十一歳の頃の行動だ。このあたりに類稀なる頭脳を持つアルファとしての片鱗がうかがえると潤は思った。十一歳の自分ではそんなところまで思い至らない。
「で、何か見つかったの?」
颯真は首を横に振った。
「いや。俺のこの感情を、そんなはずはない、異常だ、タブーだと否定する理論や仮説はいくつもあったけど、端的に指摘するものはなかった。イレギュラーなんだろう」
颯真によると、兄弟間で性的な関係をもつことは「インセスト・タブー」とされるが、発現の原因については一致した見解がないとのこと。
しかし、インセスト(近親相姦)を避ける傾向は生物として普遍的にあり、人類にも存在する。遺伝子に刻み込まれたタブーとまでは言わないが、当たり前すぎて言うに及ばぬ常識という認識はあってもおかしくはない。そもそも、人は幼少期から同じ生活環境で育った相手に対して、性的な興味を持つことがないとされる。そのことからも、宗教や文化的に根付いた、人間社会に脈々と受け継がれる禁忌なのだ。
もちろん、そこから外れるというケースはないわけではない。禁忌を破ると制裁の対象となる。だからこそインセストはタブーとされ、そのような歴史が培われてきたのだ。
日本では三親等内の婚姻は認められていないが、恋愛関係に至ることは禁じられていない。しかし、それが明るみとなれば、社会的な制裁を受けかねない。
好きだから、といって簡単には口にはできない話と、当時の颯真は悟った。この気持ちを打ち明けるには、それ相応の覚悟が必要だ。
「少し落ち着く必要があると思った。きっと自分は少し感覚がバカになってるんだと思うから、少し潤から離れて客観視できれば、なんでそんなことを考えていたのだと、冷静に考えることができるかもと」
その思考回路は、潤にも記憶がある。
「そう考えていた時期に、ちょうど林間学校があったんだ」
「え、あの頃だったの……?」
潤の中でも急激に記憶が繋がった。
潤と颯真が通っていた小学校の行事には、五年生で林間学校、六年生は移動教室があった。林間学校は箱根だった記憶がある。
潤にとっては楽しかった記憶しか残っていない林間学校の記憶だが、その裏で颯真の中でそのような葛藤があったとは、これまで思ってもみなかった。
「あの時、珍しくお前と班が別れて、部屋も別々だったろ。覚えてる?」
たしか、林間学校の班わけの段階で、よくある話だが、女子が揉めて担任がキレて、完全なくじ引きになったのだ。潤は当然颯真と同じ班、同じ部屋だと思っていたのに、くじ運が悪く、別々になってしまった。
「正直、あれは助かったって思った」
「でも、ちょっと待って」
潤は記憶の端に引っかかる疑問。確かに行動班も部屋割りも別々だったと思うが、最終的に颯真と一緒に寝ていた気がする。
潤がそう言うと、颯真が苦笑した。
「そう。結局、就寝の点呼が終わってから、お前が俺のところにやってきたんだよ。枕持ってな。
やっぱり颯真の近くがいい、とか不安げな顔をされたら、俺は何も言えない。お前のために布団を半分空けるしかないよ」
「それは、ごめん……」
「いいんだ。結果的に、お互いに離れられないんだなって諦めることができた」
諦めることができたという表現が、颯真の当時の葛藤した精神状態を表しているような気がした。
「颯真は結局、それを一人で乗り越えたの?」
潤には江上と尚紀がいた。しかし、当時はまだ江上とも出会っていない。颯真は首を横に振った。
「いや、さすがに一人では抱えきれなくて。悩んで、俺は天野先生に話した」
天野先生? 一瞬キョトンとしたが、森生家のホームドクターであるアルファ・オメガ専門医の天野と気づいた。予想外の名前が出てきて驚く。
大晦日に松也の車で送ってもらった際に、ふと再会したその姿が思い浮かぶ。
潤にとっては十年以上ご無沙汰していた元主治医だが、颯真が「天野先生」と呼ぶ声には、馴染みと親しみが感じられ、片割れの、把握せぬ人間関係を垣間見た気がした。
「身内にも友人にも容易に話せるものではない。
となると、身近にいる大人は天野先生だけだったんだよ」
いよいよ一人で抱えきれなくなった颯真は、密かに天野医院を訪ねたらしい。
診察室に通され、相対してもどう説明していいのか迷っている颯真に、天野は優しく誘導しながら、じっくりと話を聞いてくれたという。
「自分の番が近くにいる。俺のものだと思うけど、本人には自覚がない。関係も近過ぎるし、第二の性だって判明してないのだから、そんなことを言うわけにはいかないし、戸惑っているって」
「天野先生、困ってた?」
「いや、俺も相手をはっきり言わなかったから、まさか潤とは思っていなかったみたいだ。ただ、俺が自分のことをアルファだと自覚していたのは驚いていたかな。
正直、天野先生に聞いてもらって気持ちが楽になった。潤に言うか、俺が壊れるか、っていうところまで追い込まれていたから」
当時の心情を語る颯真の口調は、穏やかだった。
「話を聞いてもらっても、別に何が解決したわけではない。でも、それだけで救われた。
親には言わないでって口止めをしたけど、天野先生は最後まで言わないでいてくれたよ。父さんと母さんが信頼している意味が、その時にわかった気がした」
その口調からも颯真が天野を現在でも信頼しているのがわかる。そして、先輩ドクターとしても尊敬しているのだろう。
潤が知らない颯真の顔だった。
「天野先生はなんて言って颯真の気持ちに寄り添ってくれたの?」
「相手の子……この場合はお前だな。その立場で考えてあげてって言われた」
颯真によると、アルファ・オメガ科のドクターから見れば、アルファとオメガが互いの相手を選ぶ「本能」は、感覚的なものだが決して軽視はできないという。潤も、先程のアルファとオメガの互いを認識し合う香りの話を聞けば頷ける。
だから、その時の天野も、颯真の主張を気のせいなどと否定することはなかった。本能は間違ってはいないと思うが、第二の性は十五歳くらいまでは定まらないものだから、二人ともその歳まで第二の性は確定しない。だから、今は相手の子に本能を引き合いに出して告白しても、戸惑わせるだけと説得されたという。
「でも、颯真くんの番ならばいずれ分かってくれるから、それまで颯真くんはその気持ちを大切にしつつ、相手の子の近くにいてあげてって」
颯真くんにとって初恋だねって、天野先生が喜んでくれたんだよ、と颯真は優しく笑んだ。
「初恋か」
潤は呟く。潤自身は、あまり初恋の記憶はないのだが、それでも甘くて甘酸っぱくて、しんどくて、胸が苦しくなった記憶はある。
それがアルファとオメガの、本能で惹かれる生々しい関係とは少し距離を置いた、淡くて新鮮な感情に思えた。
「アルファとオメガの本能の関係は、身体と心の結びつきによる関係だ。広義では恋愛に入るんだろうけど、それだけでは言い尽くせないものがある。
多分、天野先生もアルファとオメガの番を単純な恋愛とは言わないだろう。でも、俺は、そう言われて嬉しかった」
潤は思わず問い返す。
「嬉しかった?」
「この気持ちを否定される文献ばかり読んでいたからな。この気持ちに『初恋』と名前がついたことが嬉しかった」
このとき、颯真は、潤のことを想っていてもいいんだと許してもらえた気したという。
天野に相談したことは颯真にとって、大きな転換だったようだ。それから、追い込まれることが少なくなったいうのだから。
「たしかにお前と一緒にいると、煽られることも多くてしんどかった。それを少しずつコントロールできるようになった。近くにいることがメリットだと、実感できるようになった」
潤は思う。颯真は本当に強い。
これまでだったら、翻って自分は……と自己嫌悪に陥ったところだったが、今はそのような感情は湧かなかった。ひたすらに、自分の番の強さが眩しくして、尊敬できて。そんな颯真に相応しい自分でありたいと思った。
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