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 江上が退室してから、潤は彼が置いていった東都新聞の一面を改めて開く。  自分の主張がどのような事件の当て馬にされたのか、まず知らなければならないと思った。 「アルファを狙った恐喝集団を検挙 オメガの少年ら 横浜」  これが一面トップの見出しだ。  記事を読んでいくと、昨夜横浜の繁華街で、発情期を起こしかけているオメガの少年を囮にして、アルファに金銭などを脅し取っていたオメガのグループが検挙されたとのこと。彼らの手口は、先程江上が語った通りで、海外から不正に輸入したフェロモン誘発剤を使い囮となるオメガの少年を発情状態にさせ、通りかかったアルファにヒートを引き起こさせる。そのオメガがアルファに暴行されているところを映像に収め、後日慰謝料を要求するという、あまりに悪質な手口のようだった。  記事によると、アルファの被害者も十数人に及ぶらしく、被害額もかなりのものとのこと。逮捕されたのは、上が二十二歳から下は十八歳までのオメガの少年計六人。全員検挙されており、囮となってしまったオメガの少年も、被害に遭いそうだったアルファも無事であるとのこと。  潤は、紙面をぱらりとめくってみる。  中面の、潤の記事の隣に掲載されているのは、その詳報だった。文面からみると、東都新聞の独自取材記事のようだ。  このような悪質な事件は前代未聞に近いが、それでもそのような事件が起きるには原因があり、関連する背景があるものだ。この事件も、記事によると、オメガへの偏見や貧困といったものがあるらしく、逮捕された少年らはやはり高校をドロップアウトし、定職にも就けずあたりの繁華街をうろついていた輩であったという。  潤が驚いたのは、先日アルファから暴行を受けたという、あの少年もこの詐欺グループに囮として使われていたのではないかという話が掲載されていたことだった。    思わず、潤の脳裏に尚紀の顔が過ぎる。このニュースを知らないわけはないだろう。江上の話ではテレビでも取り上げているほどの大ニュースだというのだから、耳に入れないように努力しても難しいだろう。  尚紀は大丈夫だろうか。  初めての発情期を同じオメガに利用されて、傷つけられ、身も心もボロボロになってしまった少年を気遣い、気を病ませていなければいいのだが……。  いや、と潤はともすれば深みに入りそうだったが思いとどまる。尚紀の心配は番の江上が、被害者のオメガの少年の心配は颯真がしているに違いない。二人がいればなんら心配はないのだから。  自分は、まずこの失態について向き合わねばならない。  このような場所に、このような形で記事が掲載されるのは、本意ではない。  この事件を前に、製薬企業のトップという立場の、利害関係がある……いわばステイクホルダーにも属する自分が何を言っても、読者に意図が届くわけがない。  いや、下手をしたら会社に不利益を与えかねない。  潤は改めて先日のインタビュー取材のやりとりを思い出しつつ、隣に掲載されたインタビュー記事を読む。  記事は、一問一答式で掲載されている。  確かに記事の中で、潤の発言の中では「医療費は拡大傾向」とは書かれてはいない。それですでに見出しに恣意的な誘導を感じる。さらに、インタビュアーの質問が改竄されている。西宮は取材時に「アルファ・オメガ領域は拡大するか」と問うてはいたが、「アルファ・オメガ領域の医療費は拡大するか」とは聞いていない。  それに対し、潤は「拡大の意味合いがわからない」と言いつつ、フェロモン療法そのものは充実していくと答えた。  完全に内容を履き違えて書いている。これが故意でないはずがない。相手は取材と情報発信のプロだ。録音もしていたのだから。  あの西宮という記者に、何か恨まれるようなことを自分はしたのだろうか。いや、我が社が何かしたのだろうかと思うが、潤は初対面だった。  大学時代の同窓生だというが、もちろん潤には記憶はない。  それをはっきり言っても、気分を害した様子ではなかったように思う。  一体何が原因だったのか、思い当たる節がない。    これまでマスコミとはうまくやってきたつもりだったが、まさかこのようなことをされるとは思ってもみなかった。  潤は憂鬱な気分になり、頬杖をついた。原因が分からなければ、対処のしようもない。  就業時間になると、早速広報部長の香田と江上がやってきた。 「社長、このたびは大変申し訳ございません」  入室するなり、香田に平謝りされて潤も少し戸惑う。  確かに、結果としては広報部の取材アレンジ不足と言えなくはない。フォローアップが十分ではないためにこのような事態になったといえば、加賀谷の上司である香田が責任を負うのが当然だが、これはやはり想定外だろう。 「いや……、別に香田さんのせいでは……」  そう言いかけて、潤は気持ちを切り替える。 「いや。この際、はっきりさせましょう。香田さん、この件に関し、私の取材対応を含め、我が社に落ち度はないと思っています。  毅然としてください」  潤がそう言うと、香田は気がついたように顔を上げる。  彼はベテランの広報マンだ。このような事態には遭遇した経験もあるだろう。 「承知しました。取り乱して、申し訳ありません」 「もし、加賀谷君も責任を感じているようでしたら、私がそのように言っていたときちんと伝えてください」  潤が僅かに江上と見ると、彼は心得たように頷いた。 「紙面構成としてあり得ないと思いますので、弊社として東都新聞社宛に抗議の意図をまず伝えてあります」  正式な書面としても送る用意があると、香田がその文書案を持ってきていた。潤はそれを受け取る。  森生メディカルの広報部長の名で、東都新聞社編集部社会部長宛に、本日の記事の撤回と、謝罪を求めたものだった。  潤が頷こうとすると、背後から少し不満げな声が上がった。 「……少し甘くないでしょうか」  口を挟んできたのは江上。このような場に同席することが多い秘書だが、口を挟むことはほとんどない。なのにあえて声を上げた。 「そう思う?」  潤がそう問うて、彼に発言を許すと憮然とした表情を浮かべた。 「せめて、記事の撤回を求めるなら、こちらがチェックした記事の再掲を求めた方がいいと思います」    江上の提案に、香田が頷く。 「江上室長がおっしゃることはごもっともです。ただ、彼らにも編集権があり、ジャーナリストとしてのプライドもあります。それを下手に傷つけると態度が硬化する懸念があります」  香田の意見は慎重だ。 「こちらでチェックをした記事を載せろ、というのは彼らのプライドを踏み躙る、ということですね」  潤がそう確認すると、香田は頷く。 「発信した情報に絶対の自信を持っているのが、記者という人種です」    なるほど、と潤は頷く。意図せずに喧嘩を売ることになりかねないということか。潤としては、あえてこちらから仕掛けるつもりはない。このまま終わってくれればいいのだが……。 「記事の撤回と謝罪より、書いた記事に手を加えられることの方が重いのか」  無意識にそう呟いていた。  おそらく謝罪をされても、軽い扱いになるのだろうと思う。ただ、しておかないという選択肢はない。  潤は顔を上げる。 「これではどうかな。今回の記事に関しては、謝罪と撤回はもちろん、記事掲載の経緯について説明を求める」  江上は無言で頷いた。香田も頷いた。 「もしこれでさらに仕掛けてくるようであれば、我が社はこちらでチェックした記事の掲載を正式に求める。さらに必要があれば……」    潤の言葉に、香田と江上、三人の視線がかち合う。 「企業広告の撤退も視野に入れる」  この案に、二人とも納得するように頷いた。  そして潤はさらに香田に指示を出した。 「香田さんには悪いけど、東都新聞社の編集部と営業部の力関係がどうなっているのか、調べてもらうことは可能ですか?」 「可能です」 「じゃあ、お願いします。今後、何か仕掛けてきたときに、どこに圧力をかけるべきなのか見極めたい」 「承知いたしました」  潤はくれぐれもと加賀谷へのフォローを頼んで、香田が退出した。  室内は江上と二人きりになる。  何か彼も用事がある様子だ。 「社長、すでに遅いのかもしれませんが……」  江上の、そんな切り出し方は、珍しい。 「そんなことはないよ。この間の話?」  潤の確認に、江上も頷く。 「はい。遅れましたが、先程確認が取れました」  先程の西宮の件では、彼と人権団体「オルム」との関係性について調べるように指示を出していた。情報が上がってこないと思っていたが、どうやら苦戦していたようだった。それでも情報を得てきたらしい。流石だと潤は思う。   「聞こうか」 「西宮記者ですが、社長が懸念されていたオルムとの直接の関係はありませんでしたが……」 「が?」 「西宮記者は以前より、佐賀前管理部長と交流があったようなんです」 「佐賀?」  ここにきて、佐賀の名前か、と潤はうんざりした気分になる。  もういい加減、忘れたい名前だった。

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