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森生メディカルが、誠心医科大学とメルト製薬が共同で行っているペア・ポンド療法の治験に参画するというニュースは、業界内を瞬く間に駆け巡った。
注目されていたフェロモン誘発キット製剤サーリオンとその中和剤のゾルフが異例の速さで薬事承認申請が叶ったことと、共同開発への参画の発表が同日で被ったことにより、業界関係者の関心を惹いたようだ。
さらに、それまで知られていなかったペア・ボンド療法の情報が、この共同開発契約をきっかけに広がり脚光を浴びたこと、そして国内外で多くの抑制剤を展開するメルト製薬と、アルファ・オメガ領域では群を抜いている誠心医科大学の共同研究に、国産の抑制剤を展開する森生メディカルが参加するという、領域のトッププレイヤーが揃い踏みという状況に、行政が関与している可能性も指摘する鋭い声も上がり、話題が沸騰した。
……と、ここまでは、森生メディカル、メルト製薬、誠心医科大学の三者も想定内だった。しかし、ここで想定外のことが起こった。
このサーリオンとゾルフを森生メディカルが薬事承認申請したニュースを、なぜか東都新聞が、大々的に報じたのだ。大手新聞社が発信する影響は大きい。
森生メディカルは、自社製剤が薬事承認申請を行った、という事実のみをプレスリリースした。しかし、東都新聞の記事はそれ以外の付随情報を入れ込み、大きく紹介されていた。サーリオンとゾルフがどのような薬剤であるか、から始まり、医療ニーズの高さや将来性などについても触れられたあと、先日の潤のインタビューから記事が引用されていた。
病院で処方される医療用医薬品は、その情報を開示する対象を法律で大きく制限されている。それゆえに新薬の動向も、主に業界関係者や医療関係者が購読する専門誌などで取り上げるケースの方が多い。
それ以外の一般紙では、一般人には関心が薄い専門的な分野であるためニュースバリューとしては小さく、このように大々的に報じられることはまずない。
これに関し、森生メディカル広報部から東都新聞社の編集局あてに問い合わせを行ったが、先方からは「ニュースバリューを鑑みた結果、このような記事構成となった」という曖昧な返事のみだった。
明らかに森生メディカルと東都新聞の関係は悪化した。
それでも誠心医科大学とメルト製薬、森生メディカルによる三者の共同開発は一気に進展する。
正式な契約はサーリオンとゾルフの薬事承認申請を待ってからとしていたが、森生メディカルでもすでに関係者と綿密なコミュニケーションを取っており、契約締結と同時に一気に動き出せるよう、手筈は整えられていた。
契約締結から数日後の週末。
誠心医科大学とメルト製薬、森生メディカルの三者は、誠心医科大学附属病院の会議室に一同に介し、新たな治験をスタートさせるミーティングを開催した。
通常であれば、開発部門の担当者が参加するべき実務的な会議だが、今回は治験の責任を担う立場の、誠心医科大学附属病院のアルファ・オメガ科医師、和泉暁からの誘いを受け、両社の社長である潤と長谷川をはじめとした経営幹部も参加した。
ミーティング自体は一時間ほどで滞りなく終了した。潤は側から聞いているだけの立場だったが、ペア・ボンド療法のこれまでの成績の良さからも、適応拡大に向けての関係者の意欲は高いように思えた。
会場内では、誰もがオメガのフェロモン治療が劇的に進展することに期待を寄せてる様子であった。臨床現場では、番を失ったオメガの精神的、肉体的な苦しみを劇的に和らげるような治療法もなく、対処療法で凌ぐしかない現状にやり切れなさを感じる場面も多いのだろう。苦しむ様子を目の当たりにすれば、どうにかしてやりたいと思うものだ。
やはりこの治験に参加することは、大きな意義があると潤は改めて認識した。
スタートアップミーティング後、適宜解散となった中、潤はメルト製薬社長の長谷川と挨拶を交わしていると和泉に呼び止められた。
和泉は、今回の治験の中心人物であり、この辺りのアルファ・オメガ領域の処方を左右するキーオピニオンリーダーであり、誠心医科大学病院のアルファ・オメガ科のナンバーツーといわれる人物だ。
自身はアルファであり、メルト製薬の社員を番に持つと聞く。
「お忙しいとは思いますが、少しお時間をいただけますか」
誠心医大のナンバーツーにそう言われては、断るわけには行かない。
今日のミーティングには、秘書の江上のほか、研究開発部長の西田やサーリオンとゾルフのプロダクトマネージャーの藤堂といった研究開発部のスタッフと参加していたが、彼らには先に帰るように伝えた。
二人は誠心医科大学病院内の応接室に通された。
どうぞお掛けになってください、と和泉が長谷川と潤にソファーを勧める。
「長谷川社長、森生社長、お疲れ様でした」
少し、現場の雰囲気を知っていただきたくて今回はミーティングにお誘いしました。土曜日でお休みのところ、申し訳ありません、と和泉に挨拶される。
もちろん、潤は仕事であれば土日は関係ないと思っている。
長谷川も同様であるようで、お気になさらずと和泉を気遣った。
「森生社長、当治験にご参加いただきありがとうございます。歓迎いたします」
和泉にそう言われて、潤は腕を伸ばし和泉と握手を交わす。
「弊社の薬剤が、この領域の進展にお役に立てるのですから、参加できたことを光栄に思います」
潤がそう返すと、長谷川と和泉が力強く頷く。
「会議に同席いただいて、雰囲気を共有頂けたかと思いますが、当院のスタッフの士気は高く、それは横浜の分院も同様です。
すでに被験者の選定も済んでおり、これから具体的に内容を説明し、同意書を取り付けることになります。かなりスピーディーに進むと考えていただいて問題ありません」
三人がソファに座ると、スタッフがコーヒーを運んできた。普段はあまりコーヒーは飲まないが、普段は参加しない会合に参加して緊張したせいか、喉が乾いている。美味しくいただく。
いつも颯真が淹れてくれるコーヒーよりもすっきりとした味わいだ。
これから着手する治験は、以前、長谷川の自宅でペア・ボンド療法の発展性について語った時のそのものの話だった。治療の対象となる患者を広げ、更なる適応追加を狙うもの。
これまでは、番を亡くしたオメガに現れる番を求める症状を改善するための治療だったが、今回はさらに一歩前進する。
「対象となる患者がかなり広がります」
和泉の言葉に、潤も長谷川も無言で視線を向けた。
「これまでペア・ボンド療法の対象となっていたのは、番と死別してもなお番の影響を受けていたオメガの患者さんです。本来、オメガは生涯で一人のアルファと番とし、そのフェロモンの影響を受けますが、番が死亡した場合は、項の噛み跡が消え、その影響も消失するとされています。それが何らかの原因で残ってしまったという、いわばさほど多くはない稀な症例を対象にしていました」
和泉に言葉に、二人の社長は頷く。
アルファとオメガの番契約はよく知られているが、アルファが死亡した場合のオメガへの身体的な影響は、あまり解明されていない。番の死去により、医学教科書通りに番契約から解放されるオメガもいれば、そのまま縛られたままのケースもある。後者は多いわけではないが、年に数人程度は診るらしい。
「それがこれから行われる治験ではかなり対象が広がるんですよね」
長谷川の言葉に、和泉も鋭い視線を投げる。
「番と離別したたがゆえに、番の症状に悩む患者を対象にします」
簡単にいえば、今回からは番に捨てられたオメガを対象にするのだ。
納得して離別した者から、一方的にアルファから別離を突きつけられた者まで、別れたパターンは多岐にわたるが、その辺りは考慮されない。
今回対象となるのは、唯一無二の番との「別れ」を経験したことで、身体や精神に重大な影響を残し、生命の危険を危ぶまれるような発情期を毎回乗り越えている、「重症」や「中等症」のオメガの患者が対象だ。
これらも医療ニーズが高い分野とされている。
聞けば、颯真もそのような患者を何人か担当してるらしい。
そのような場合は、抑制剤で無理矢理発情期を抑えるという治療も行われるが、患者の中にはすでに別離したといえど、アルファの気配を感じる発情期を忘れられないケースもあり、全てを抑えたくはないと言い出す患者もいるとのこと。
いくら待ってもやって来ない番を思い求めて、泣きながら自分を慰める行為に没頭する姿は、診ていて痛々しいと颯真が話していた。
彼らは、精神的にも肉体的にも新たな番候補を見つけるのは困難だ。しかし、それでも過去に決着をつけ、未来を向こうとしているオメガの患者には、できるだけサポートをしたいと思う。
「今回の治験も前回同様、大きな意義があると感じています」
潤がそのように述べると、和泉が話題を向ける。
「おそらく森生社長は、お兄さんの森生先生から色々と伺っているのではないでしょうか?」
この三人の間では、潤の兄は誠心医科大学横浜病院の森生颯真医師であることは周知の事実のだろう。
潤は頷いた。
「ええ。兄がこの分野の専門家であるということを、恥ずかしながらも最近知りました」
和泉は少し意外そうな表情を浮かべる。
「ドクターとメーカー社長では、なかなか情報交換もしにくいですか。領域もとても酷似しているのに」
「そうですね。仕事についてはこれまでは踏み込み過ぎると機密事項に触れかねませんでしたから。あまり話したことはありませんでしたが、弊社がペア・ボンド療法に参加することになり、色々と話すようになりました」
「……真面目ですねえ、森生社長のところは」
長谷川が呟き、和泉が頷く。
「森生先生も慎重な方ですしね。腕も情熱もあって真摯に患者に向き合う良いドクターだ。横浜病院の方は彼がいてくれるので心配はしていません。今回もこちらで数例実施したのちに、横浜病院の方でも数例やってもらうつもりです」
和泉は颯真を高く買ってくれている様子。それが潤には何よりも嬉しい。
しかし、和泉は少し憂鬱そうな目を向けた。
「話は変わりますが、最近少し心配なこともあります」
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<補足です!>
※今回突然出てきた感のある誠心医科大学病院の和泉暁医師ですが、じつはちょいちょい出ていて、同じ世界観の拙作「PRETEND」の攻め様です。何度か書いているのですが、PRETENDはFORBIDDENの数年前という設定で、舞台は東京の誠心医科大学の本院の方なので、FORBIDDENをお読みの方ならば楽しめると思います。こちらもよろしければどうぞ!(番外編で颯真がお邪魔してしていたり、今回話題になっている番を亡くしたオメガの話などを書いています)
※ちなみに潤は和泉とは初対面ではありません。
1章と2章の間に書いた「閑話・年初の恒例」で初遭遇しており、さらに2章6話あたりでも回想していますので(割と何度か会っているようです)、こちらもよろしければどうぞ。
※潤と長谷川がペア・ボンド療法の将来についてどんな話をしていたか、2章24〜26話あたりで話しています。復習したいというありがたやな方はこちらも!
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