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「何か、ご懸念が?」
長谷川の気遣うような問いかけに、和泉が綺麗な眉を寄せた。
「ええ、風を読む、という言葉がありますが、今はオメガの人たちにとって、あまり良い方向に風が吹いていないように思えます」
長谷川は首を傾げた。
「風向き、ですか」
和泉の言葉に長谷川の反応は鈍い。意図をつかみかねている様子だ。
一方、和泉も言葉を選んでいる様子。
「この社会を構成する多数派のベータの視線が厳しくなっているような。閉塞感がある時代、と言ってしまえばそれまでなのでしょうが……」
和泉の言葉に、不意に先日、颯真との会話が脳裏をよぎった。
オメガの人々に対する世間の見方が、少し偏ってきているように思うと言っていた。それに和泉の言葉が被る。
「注目されるのは悪いことだとは思いません。むしろ知って欲しいと思う。
しかし、あまり良くない角度から、思った以上に世間の注目を浴びてしまっている」
和泉が言う、良くない角度。
たしかに、オメガに関して、最近は「良くない角度」のニュースばかり取り上げられてるような気がしている。もちろん、それは多くのオメガには無関係で、ごく一部での話に過ぎないのだが、ベータの中でも興味がない層からみれば、マスコミに取り上げられていればそれが全てのように見えてしまう。オメガというのはそういう人たちなのかと先入観が植え付けられる。
「和泉先生のご懸念は、あの横浜の事件ですかな?」
長谷川の問いかけは直接的であった。
長谷川が言う「横浜の事件」とは、発情期になってしまった少年が暴行された事件と、アルファをターゲットにしたオメガの少年グループによる集団の恐喝事件、双方を指しているように思えた。
「ええ。マスコミ報道が、あまりにひどい」
和泉は言い切って捨てた。
あの二つの事件には接点があった。結果として、東都新聞のスクープとなったが、暴行事件の被害者の少年が、少年グループの集団恐喝事件で囮として使われた被害者でもあったという話だ。
少年への心理的なショックや社会的な影響を考え、神奈川県警と少年を受け入れている誠心医科大学横浜病院側は、オープンにするタイミングを図っていたと聞く。それをすべて破り、独自記事の特ダネとして世間に公表してしまったのが東都新聞社だ。
颯真は、あの記事が出た日、激怒していた。さらに潤の記事の扱いを見て、火に油を注いだのはいうまでもない。
被害者のオメガの少年に関するマスコミの報道姿勢で潤が感じたのは、真実を伝えるという報道の前では、全てを白日の元に晒すというのが何より大切なこと。関係者への配慮は二の次で、それによって傷つく人がいるのも仕方がないという、傲慢で強い意志だ。
「彼らはオメガへの無遠慮とも言える反応を見せ始めています。今後は何かしらの影響を及ぼすと?」
潤が問いかけ、和泉を見る。
「しかし、あれは我々の事案とは無関係と思うのですが」
長谷川の言葉は、正論だ。それらとペア・ボンド療法との関連性は皆無だ。
しかし、和泉の懸念は晴れないようで、首を小さく横に振る。
「私の心配のしすぎであればそれでよいのです。しかし、受け取る側にとってみればオメガはあくまでオメガで、それ以上は深く知ろうとは思わないでしょう。あくまでおなじオメガ、集団として捉えます」
風とはそのような意味なのです、と和泉が言う。
「風潮とも言い換えることができる。雰囲気なのです。いくらこちらがそれは違うと言っても、何か大きな価値観の転機がなければ、それを変えることは難しい」
「たしかに……」
長谷川も頷いた。その通りだと潤も思う。
マスコミが横浜の事件を引き合いに出すことで、「オメガってそういう人たちなのか」と、報道のままを鵜呑みにする層は少なからずいる。
マスコミが、そのような姿勢を堅持したまま、ペア・ボンド療法に注目したら。
もし、マスコミが彼らに対し、ペア・ボンド療法の是非を問いかけたら……。
世論の是非が、マスコミのミスリードで決まってしまう可能性がある。
三人は沈黙した。
「積極的な情報開示を行なっていくべきか、最小限にしていくべきか」
「コントロールはしていくべきかもしれません」
二者択一の和泉の問題提起に、長谷川が腕を組んでそう絞り出した。
潤にはあえて異論を口にする。
「積極的に開示していくことで、そのような一部の声は消えていくかもしれない。最小限にしていくことに対しては批判を受けかねません」
「そのように狙った通りになるか分からないところが悩ましい」
和泉も唸る。
「しかし、年末に横浜の分院でペア・ボンド療法を受けたモデルのナオキがいずれ復帰を公表します。アカデミアへの学会誌掲載と歩調をとっていると聞いていますが、そうなると、情報開示を最小限に絞っていくのは難しいかもしれません」
潤がそういうと、和泉がおっしゃる通りです、と頷いた。
尚紀のマネージャーによると、彼のファンは、これまで番がいることを隠してこなかったナオキを応援してくれていた存在だという。それゆえに項の噛み跡が変わっていることに気がつくに違いないと言われている。彼らはペア・ボンド療法を受けた尚紀を、おそらく暖かく迎えてくれるだろうし、ペア・ボンド療法そのものの必要性についても理解していてくれるに違いない。
きちんと知る機会があれば、きっと理解してくれるだろう。
「いずれにしても、リスクのある選択になりそうですね」
三人の間で重い沈黙が舞い降りた。
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