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「そういえば……」
思い出したように、口を開いたのは長谷川だ。
潤と和泉の視線が、合わせたようなタイミングで彼に集まる。
「先日、森生社長は、一般紙に横浜の事件にさも関係するような紙面構成でインタビューが載せられていましたな」
ああ、やっぱり見ていたか、と潤は諦めに近い気持ちになる。同業他社の社長インタビューなどは毎朝スクラップされて回ってくるから、確実に読まれているとは思っていた。いいように捻じ曲げられた記事を読まれたのは、いい気分ではない。正直にいえば、弁解したい気分だ。
潤は自然、唸るような声を出した。
「あれは、本当に予想外でした」
素直な反応だったのだろう。長谷川は苦笑する。
「あそこまで恣意的なレイアウトで掲載されれば、編集側の意図であると我々のような業界関係者は察しますが。大多数の読者にはそこまで伝わるかは疑問ですね」
そのストレートな指摘に、潤は頷くしかない。
「その通りです。当然、記事の撤回を求めたのですが……」
それで、どのような反応だったのかは、目の前の二人にも想像できたのであろう。長谷川は苦笑した。
「今回はたまたまかもしれません。ただ、メディアとの相性というのは少なからずありますしね」
その通りだと思う。
「弊社は、先日のサーリオンとゾルフの件でも記事の取り上げ方に納得がいかない部分があったので、もしかしたら東都新聞社とは相性の問題かもしれません」
「それについては?」
「先方からは、ニュースバリューを鑑みた結果、あのような記事になったと、返答がありました」
長谷川は口に手を当てて、吐息を漏らす。
「まあ……。記事にするしないは先方の自由ですからね」
それでも疑問が残ると言外に滲ませる長谷川の困惑に、潤も無言で同意した。マスコミ、特に在京五紙のうちの一紙にあれこれと書かれるのは、影響が大きい。好意的な論調ならまだしも、正直やはり身構える。
「たとえば、先日の記事のフォローという意味合いとは考えられませんか?」
隣の和泉が口を挟む。
潤は、可能性はあるかもしれません、と頷いた。
「ただ、彼らはそのようなことに紙面は使わないと。もし、そのような意図があれば、恩義せがましく連絡してくるだろうというのが、担当者の見解です」
その身も蓋もない返答に、的確な見解ですね、と、和泉が苦笑混じりで応えた。
「とはいえ、相手の狙いが読めないというのは、正直気味が悪く、気が抜けません」
長谷川も頷いた。
「森生社長はお若いのに、これまでマスコミとは巧く相手を選んでやってこられましたからね。ああいう反応は戸惑われるでしょう」
これまで潤自身が取材相手を選んだことはない。ひとえに部下の選別眼によるものだったのだろう。
「貴方は組織を率いるのに必要なカリスマ性を持ち合わているし、年齢や外見からも目立つ存在だ。マスコミはしつこいですから、気をつけてください」
同じく若くして日本法人の社長に就任した長谷川の実体験に基づいた忠告だろう。潤は、気を引き締めますと、素直に頷いた。
「となると、東都新聞社は要注意ですね」
和泉の結論に、長谷川も潤を見ながら応じた。
「御社だけでなく、我々も気を引き締めて進めていかねばならなそうです」
「とりあえず、すべきことをしていくだけです。
ペア・ボンド療法を軽症まで対象を拡大する必要があるのか、という議論は今後避けられないと思いますし」
今回対象となるペア・ボンド療法の対象患者は「重症」と「中等症」だが、今後は「軽症」まで広げていきたいのが関係者の本当の狙いだ。
軽症とは、番との離別を経験したオメガの中で、その番の症状に悩まされているものの、若くて体力があったり、合併症などがなく、現在では大きなリスクもなく発情期を乗り越えられている状態を指す。
治療の緊急性は高くないが、離別した番との症状が身体に残っているのはリスクそのものだ。いつ中等症や重症に進むかわからない。
これまでは番と離別したオメガは、その身体的な症状に耐えながら、残りの人生を進むしかなかった。相手を見つけさえすれば、再び新たな番契約を結ぶことが叶う。おそらく実質的なニーズが高い層だ。しかも、軽症であるゆえに新たな番関係を結びたいと考え、行動に移すオメガも少なくない。
現状では身体的な切迫度合いは低いものの、ペア・ボンド療法で新たな番との絆を結び直せれば、将来的なリスクはかなり減らせると考えられる。
しかし、社会の大多数を占めるベータが、それを医療として許容できるのか、というのが問題だ。
直接的にいえば、そこまで医療で面倒をみなければいけないのか。
ペア・ボンド療法が先行する米国では、粗悪なフェロモン誘発剤が広がり、それらを掴まされたオメガが被害に遭っていると聞く。ならば日本では一刻も早く治療法として確立させるべき。番契約を結び直すには、抑制剤の投与量やタイミングなどの匙加減があり、医師の指導の下でなければ簡単にはいかないという。軽症のオメガでも、きちんと医療として保険診療の中で賄っていくほうが望ましい。
「啓発は必要ですね。幸い、ナオキさんが復帰される際に取り上げてくれるマスコミはいくつかあるでしょうから、やはり情報開示の窓は閉ざすべきではないのかもしれません」
たしか尚紀の復帰記事の掲載は、ペア・ボンド療法が世間に公表される足並みをそろえると聞いていた気がするのだが。
「アカデミアへの論文はいつ頃になるのでしょう」
潤の問いかけに、和泉はこれでもかなりのスピードで進めていただいているのですが、来月になりそうですと答えた。
「来月、ですか」
「五月に開催されるアルファ・オメガ学会で発表を予定しています」
アルファ・オメガ学会は毎年五月に開催されている。今年は横浜で開催される予定だ。すっかり頭から抜けていたが、あと二ヶ月半ほど先。国内の専門家が集まるその場で発表することを見越して、全て組まれたスケジュールなのだろう。
しかし、と潤はふと思う。
このような状況で、尚紀がペア・ボンド療法なる最新の治療法で新たな番を得て体調を回復し、モデル業に復帰するというニュースは歓迎されるものであろうか。
ナオキの復帰は望ましいニュースだ。それに彼が復帰のインタビューでこの治験についてどのくらい詳しく言及したのかは聞いていない。
しかし、ペア・ボンド療法という新たな治療法で番を得てモデル業に復帰できたことを明らかにして、尚紀に負担はないのか心配だ。
先月の上旬、極秘で撮影を行った時と状況は大きく変化している。尚紀のお腹には新しい生命が宿っていることがわかっているし、今は何よりも身体を優先してほしい時期だ。それに、和泉や颯真が言うように、現在は少しオメガに対する視線が厳しいようにも思う。
もちろん、素人の自分が考えることなどすでに想定されていることは重々わかっている。そのようなこと全てを含めて尚紀のモデル事務所も対応を考えていると思うのだが、それでも気になってしまう。
あとで江上に確認しておいたほうがいいのだろうと結論づける。
「森生社長?」
潤がそのようなことに思考を囚われているうちに、長谷川に訝しげに名を呼ばれる。潤は我にかえる。
「あ、失礼しました」
「外部からの取材依頼については、少し慎重に対応する必要がありそうですね」
長谷川の言葉に和泉は頷いた。
「そもそも治験中の事案に関しては、個人情報や機密情報も絡むために、外部からの取材対応は難しいと思います。我々は粛々と、やるべきことを進めるだけだと思っています」
和泉の返答に長谷川と潤は頷き、トップ三者の密談はお開きとなった。
しかし、三者の思惑に反する形で、週明けの東都新聞に見出しが踊った。
一面の準トップ記事部分に、東都新聞社会部特別編集班の署名入りで、「“性差”医療を問う」と題する連載の第一回の記事が掲載されたのだった。
性差医療、とは通常、男女間における性別の差を指す言葉だが、この場合は、アルファとオメガにフォーカスされた「性差医療」を指しているのは明快だった。
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