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相模原研究所に到着すると、潤と江上は、ファーマ部の研究開発部長である大西と新体制後には副部長として大西をサポートすることになっている現デバイス部長の磯貝と合流した。
早々にデバイス部門のミーティングに出席する予定となっていたためだ。
大西は、相模原研究所と品川の本社を半々くらいの割合で勤務している。磯貝はほとんどこちらを拠点にしており、会うのは週一回の部長会のみだ。
「社長。お疲れ様です。ご足労いただき恐縮です」
エントランスで出迎えてくれた磯貝の挨拶に、潤も応じる。
「もっと早めに来たかったのですが、スケジュールが合わずに、すみません」
そんな挨拶に、傍に立つ大西が大きく頷く。
「サーリオンとゾルフの申請に、ペア・ボンド療法の件と、先月末から案件が
目白押しですからなあ、仕方がありませんよ」
それに磯貝も頷いた。
「社長はどんと構えていてください。むしろ、多忙な中ご足労いただくことになったことが不甲斐ないと感じております」
磯貝も先々代が社長の時代からデバイス開発一筋の大ベテランだ。大西とは同年代だろう。大西同様、磯貝もかなり年下である潤を、しっかり社長として立ててくれている。
そして、潤もそんな磯貝を頼りにしている。
「いえ。やはり一度、私からやはりみんなには話した方がいいとは思っていましたから。良い機会だと思っています」
有意義なミーティングになれば嬉しいんですけど、そんな潤の言葉に磯貝と大西は頷いた。
ミーティングにセッティングされたのは所内一階にある会議室。普段は成果発表や部門ミーティングなどの大規模会議が開かれている百人程を収容できる、ホールスタイルの大部屋だ。予定の時間前だが、すでにスタッフが集まりかけている。
潤は、森生メディカルに入社してからここまで、デバイス部門に在籍したことはなかった。そのせいか知人はごくわずか。ほとんどは、若い社長を遠巻きに見て会釈をして席に着いていく。
潤自身、普段は品川で仕事をしているので相模原研究所まで足を伸ばす機会は少ない。そのため、どうしても面識がある社員は少なく、またその場の空気から、僅かにアウェー感を読み取った。
組織が変わったら、もう少しこちらの社員ともコミュニケーションを取りたいと思いを新たにする。
「社長。お時間です」
江上に促され、そして水分補給用のペットボトルを渡されて、潤は大会議室の演台に登る。
密かに大きく呼吸を繰り返した。これまで取締役会や記者会見など、この規模での登壇経験など、腐るほど持ち合わせていて慣れ切っているはずなのに、柄にもなく少し緊張しているようだ。
「お疲れ様です。業務で忙しいところ、集まってくれてありがとうございます。
四月の組織改正について、今日は少し掘り下げて説明したいと思って、時間をいただきました。皆さんに関係があるファーマ部門との統合の意義や狙い、期待される効果などについて、少しの時間ではありますがお話していこうと思います。しばらくお付き合い下さい」
潤は手元のノートPCのキーボードを叩いて、パワーポイントの画面を表示させた。手元の画面がそのままスクリーンに映し出され、照明が落とされた。
潤にとっては見慣れた組織図が映し出される。
昨年の半ばから、親会社の上層部をはじめ、幹部に説明し、説得のために使ってきた資料だ。
見慣れた図に触れて、少し気持ちが落ち着く。
潤は手元のマイクに口元を寄せた。
「まずは、スライドをご覧ください。現在の我が社の組織と四月以降の組織図になります」
その呼びかけを合図に、会議室に集められたデバイス部門の社員の視線が、一斉に潤に注がれた。
「お疲れ様でした」
「さすがの社長もお疲れですな」
応接室に案内され、大西と磯貝、さらに江上の四人でソファに腰掛けると、張っていた気がぐっと解れ、思わず大きな吐息を漏らした。これまでの緊張感を思い、江上と大西が労ってくれた。
さすがの潤でも、自分がメインで進めるミーティングを二つ、立て続けにこなせばぐったりだ。そのほとんどを一人で話し通したのだから。
「いや……大丈夫です」
そう強がるが、特に最初のデバイス部門を対象にしたミーティングは精神的に少々抉られた。ミーティング自体はスムーズに進んで終わり、当初想定していた一時間の予定が、かなり早く……、具体的には十五分も早く終わった。
スピーディーでスムーズと言えば聞こえは良いが、演台から潤はあまり好意的ではない空気を感じていた。最初に感じていた、どこかよそよそしいアウェー感は最後まで拭えなかった。
続いて行われたファーマ部門のミーティングは対照的だった。大西がトップであり、見知った顔もあり、終始和やかな雰囲気でミーティングは進んだのが救いだった。
「まあ、デバイス部門の空気が悪かったですな」
「申し訳ありません……」
大西のストレートで的を射た指摘に、磯貝が謝罪する。潤は手を振って否定した。
「いや、そうではありません。なかなか伝わりにくいと感じただけです」
デバイス部門のミーティングでは、社員の反応が特に薄く、質疑応答はほとんどなかったため、予定よりも早くに終了した。
ただ、その薄い反応が、今回の組織改正を好意的に捉えているかというと、そうではなさそうだと報告は受けている。
本来であれば、もう少し時間をかけて納得を得ながら進めていくべきなのだろうが、トップダウンの決断に、そこまで時間をかけている余裕はない。
ミーティングの終了間際、それでも潤は目の前のデバイス部門の社員に語りかけていた。
「今回の組織改正に不安を感じている方は多いと思います。特に、ファーマ部門と統合されることで、デバイス部門が培ってきた良き文化が失われるのではないか、そういった懸念も聞いています。
皆さんによくよく承知していて欲しいのは、我が社が発展するその原動力は、ファーマとデバイスの両輪にあり、そのどちらが欠けてもあり得ないと言うことです。これは森生メディカルの基本スタンスです」
森生メディカルが掲げるその立ち位置は先々代の頃からのもの。時代を経て、会社を取り巻く環境が変化しても変わらない根幹のようなもの。潤が社長に就任し、今回の組織改正くらいで揺らぐ話ではない。
「その直近の成果が、サーリオンとゾルフの薬事承認申請と言っていい。本剤は医療ニーズの高さから、優先審査項目となりました。本剤への評価の半分は、確実に皆さんの努力によるものです。
今後、アルファ・オメガ領域はさらにその体制を強化していく方針です。それが今後の医療ニーズに我が社が応えられる手段だと、判断しました。
私から皆さんに言いたいのは、デバイスはファーマを、ファーマはデバイスを互いを理解して、進めて欲しいと考えてほしいということ。互いへの理解が、今後の新薬と新製品の、スピーディーな創出につながると思っています」
あの言葉は繕ったものではなく本心だ。それが潤の身近にいる人々のはわかったようだった。
「社長の最後の言葉は、さすがに響いたと思うんですがねえ」
大西は潤を見て、意味深な視線でそう言う。
ただ、潤にはその手応えが掴めない。
「どうでしょうね。今後、大西さんと磯貝さんがやりやすいように、私なりに心は砕きましたが」
そう答えると、大西は我々の手腕が問われていますなあと磯貝と視線を交わし合った。
そこで、コンコン、と応接室の扉がノックされた音がした。
室内の時計をみると、約束の時間だった。
江上が扉を開けて応じる。
「社長、開発本部の藤堂さんがいらっしゃいました」
そうオフィシャルな顔で報告してきた。
潤は気を引き締める。さて、もう一仕事だ。
立ち上がって、扉に視線をやると、長身の男が入室してきた。
相変わらずの飄々とした態度。
「社長、お疲れ様です」
潤が出迎えると、藤堂はいつものファニーフェイスでにこりと笑顔を浮かべた。
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