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「うん……。このままでいけば、次の発情期は十二日前後でやってくるかな」  久しぶりにフェロモン量を測りにおいでと颯真に言われ、潤はその週の土曜日の午後に、誠心医科大学横浜病院を訪れていた。  潤からみると、両親に番う許可を得にいく直前に診てもらって以来のため、およそひと月ぶり。    もう気がつけば三月も半ば。今日は少し空気が冷えているが、桜の開花時期や桜前線の話もちらちらと聞こえ始めてきた。まだまだ気の早い話だと思っていたが、どうも今年の南関東は桜の開花が少し早めなのだとか。都内は月末には満開を迎えるらしい。  潤の人生で三回目の発情期は、今月の下旬に来る予定だが、それに向けての投薬コントロールは全て颯真が行ってくれている。ただ、どんなにきっちりコントロールしていても、ズレることがあるらしく、予定日から数日の幅が必要になるらしい。  あと十二日前後であれば、前後二日を折り込んで、十日から十四日程度を見る。  潤はちらりと颯真を見る。  目の前の颯真は、今日も変わらず白衣姿が凛々しい。白衣の下はストライプのワイシャツにネイビーベースのネクタイ。どこから見ても、落ち着いていて信頼できるドクターそのものだ。  その颯真の体調も変化がないようで、潤は安堵していた。  先日、潤が帰宅したら颯真が寝込んでいて驚かされたが、翌朝にはあっさり復活して、元気に仕事に出かけていった。あれは添い寝が効いたのかななどと思っている。 「ん? どうした? 気になることある?」  その視線に気がついて颯真が問いかけてくるが、潤は首を横に振る。 「ううん。大丈夫。  ただ、今度の発情期で番になるのは難しいよね。父さんたちの承諾はどうしても必要だし……」  少し未練がましいなと潤は自分でも思った。でも、今回を逃すと次は六月。それも遠いなと思うのだ。三ヶ月がこんなに遠く長く感じる時間だと、今ほど思ったことはなかった。 「そうだな」  潤の呟きに颯真も頷いた。  颯真は何も感じないのだろうかと思ってしまうほどに、冷静な反応だ。 「やはり父さんと母さんには、きちんと筋を通しておきたい。父さんに言われたこともあるし。  ただ、このタイミングは最後のチャンスではないし、俺たちはこれからもずっと一緒だ」  唇を噛むなよ、と颯真に嗜められる。  そう言われて、自分がたいそう不満気な表情を浮かべていたことに潤は気がついた。いけないいけないと思う。自分より颯真の方がよほど悔しいと思っているに違いないのだ。 「ごめん……」  負の感情を持て余しているようで、潤は俯いた。颯真の前ではつい本音が出てしまう。自分の至らなさを恥ずかしく思うが、颯真は潤は可愛いなと満たされたような表情で言った。  残しておいたほうがより楽しみは増えると思っておいて、と颯真は言った。 「次の次の発情期で番えたら、その後はすぐに夏休みだ。今年は廉にも言っておくけど、長めに取れよ。どこかでゆっくり二人で過ごそう?」  颯真は、二人きりで旅行をしたいと考えているらしい。颯真と二人で旅行なんて楽しいプランしか思い浮かばない。潤の気分は幾分か癒された。  口元に笑みが浮かぶ。 「それ、いいね。僕も楽しみだなあ」 「だろ。しかも、そのタイミングとなれば新婚旅行みたいだろ。テンション上がるよな」  新婚旅行なんて単語を出されて、潤は照れた。  どこに行こうかと思いを馳せる。  海外で新しい風景を二人で見るのは刺激的だ。それでいて、国内でゆっくりというのも捨てがたい。なんだかんだと言っても、この片割れがそばにいれくれれば、どこでもいいのだ。 「今週末か来週末、父さんと会いたくて連絡を取ったんだけど、生憎仕事みたいでさ。忙しい人だし、捕まえるのも一苦労だ。焦らずに行こう」  颯真の視点は冷静で、理性的なロードマップに潤も頷く。  発情期に間に合わなくても仕方がない。 「颯真は抑制剤どうするの?」  オメガは発情期の間はフェロモン抑制剤をあまり服用することはない。むしろ、日常的に服用することで、フェロモンバランスを整えてバランスの波を作る。  対してアルファが服用するヒート抑制剤は、発情期のオメガの香りを感じる時に服用する頓服薬だ。即効性があり、効き目も強い。今目の前にいる発情期のオメガの香りから身を守る薬剤だ。  そのため、彼らはオメガの発情期の間も、必要に応じてヒート抑制剤を服用する。 「お前のフェロモンに完全に飲まれたら、理性が吹っ飛んで項を噛んでしまいそうだしな。コントロールしつつ乗り越えるよ」  颯真は年末の潤の発情期の際に、大量のヒート抑制剤を持っていた。そういうことなだろうと思うが、あの薬剤の強さを考えると、身体にもかなりの負担になりそうだ。 「大丈夫?」 「慣れてるからな」 「あまり飲みすぎないでね?」  颯真が苦笑する。安心を伝えるように潤の頬を両手のひらで包む。 「じゅんー。俺は医者だよ」  それは本当に重々分かっている。  でも……なのだ。 「そうだけど。この間のこともあって心配で」  並外れた体力があるとされるアルファだが、颯真はどこかで無理をしていないだろうかと潤は心配になる。  颯真は楽しそう笑みを浮かべた。 「俺は嬉しかったなー。ああやって潤に甘やかされるの。悪くない」  懐かしかった、と颯真が一言漏らした。その言葉で潤が思い起こすのは、昔の自分たちだ。

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