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「え、片桐さん?」
颯真のオフィスに居たのが、あまりに意外な人物で、潤は驚きのあまり何度か無意識に瞬きをした。
「森生社長、こんにちは。
このような場所でお会いできるとは思いませんでした」
片桐は、少しこそばゆいのだろうか、照れるような表情を浮かべる。たしかに、颯真がここまで彼を迎え入れているということだと改めて思う。
自分でさえ、あまり足を踏み入れない場所だ。
「どうしてここに……。あ、兄に取材だったんですか」
潤がそのように問うと、片桐はうなずく。
「森生先生にはお忙しいなか、お時間をいただいてしまっていて。実は今回で三度目の取材だったりします」
「三度目!」
潤が素直に驚くと、片桐が苦笑した。
「それがさー、結構話が合うんだよ」
背後から颯真の声がする。
「颯真」
潤が振り返る。すると、颯真は完璧に兄であり医師の顔をしていた。
「片桐さんと接点があって、驚いた?」
颯真がそう聞いてくる。潤は素直にうなずいた。
「驚くよー。なんで、颯真と片桐さん? いつの間に? って思うよ」
颯真は立ち話もなんだし、と片桐にはこれまで腰掛けていたソファ、潤もその向かいのソファを勧める。そして本人も潤の隣に腰掛けた。
「片桐さんから以前から取材の依頼を受けていて、なかなか日程の折り合いがつかなかったんだけど、実際に会ってみたらとても熱心で、話も合う方でね」
颯真が潤にそう説明してから、片桐に視線を流す。すると、片桐も小さく頷いた。
「わたしも森生先生のお考えには共感するところが多く、今日はかなり話が弾んでしまいまして」
「それで気がついたらお前が来る時間になってて、ここで待っていてもらったんだ」
潤は納得した。
「そうなんだ」
たしか、片桐は一ヶ月ほど前だったか、ペア・ボンド療法の中心人物が、潤の実兄であると突き止め、連絡してきたことがあった。おそらく取材の仲介や情報提供を頼みたかったのだろうと思うが、あの時はまだペア・ボンド療法は公の情報にはなっていなかったし、潤自身が責任ある言動ができる立場ではなかったため、自分からは詳しいことは話せないと断った形となった。
いや、それ以前、それこそ年明けの頃から、彼は本気でペア・ボンド療法を探っていたのだから、今ここに、颯真の目の前にいるのは当然のことかもしれない。
マスコミ関係者の地道な努力と情熱は、凄まじいと改めて潤は思う。この熱が、時には不正を暴き、時には世論を作るのだろう。
潤は目の前の片桐を見る。柔和で穏やかなそうな外見からは想像もつかないような情熱を秘めている。彼もまたプロフェッショナルなのだ。
「片桐さんは以前、オメガの偏見をなくしたいって仰っていましたしね。颯真とはかなり気が合うんじゃないかな」
潤がそう頷くと、片桐は真面目な表情で同意した。
「森生先……、颯真先生はそのあたりにとてもしっかりした見解をお持ちなので、とても勉強になります」
そんな片桐の様子に、颯真は頷きあった。
「もし、もっと詳しく掘りたいというのであれば、誠心医大の本院にも取材をしたらいいと思いますよ。アルファ・オメガ科の和泉先生や、高城先生も高い見識をお持ちだ。きっと勉強になるはず」
颯真のその言葉に、潤は本気で颯真が片桐を買っていることを察した。でなければ他の医師に取材を勧めたりはしないだろう。
もし、ここにいる相手が、東都新聞社の西宮であったら、潤はさりげなく颯真を嗜める。だが、相手が片桐となれば、マスコミ関係者であるのに、心強いとまで思ってしまう。
いつの間にか、潤のなかで片桐への信頼感が大きくなっていたことに改めて驚いた。
「片桐さん、本当に颯真に気に入られましたね」
潤の少しからかうような言葉に、片桐はどこか照れた表情を浮かべる。
冷静な視点を意識して、改めて、目の前の人物を思う。
片桐要。真っ直ぐで人が良い青年でありながら、百戦錬磨の長谷川を味方につけるほどの魅力を持つ。ジャーナリストとしての可能性が大いにあるこの人物の、やはり最大の魅力は、この人懐こい人格にあるようだ。でなければ、あの老獪な社長の懐にするりと入り込んで信頼を勝ち得てしまうことなどないだろう。
潤の思考など全く気がついていないであろう片桐は、嬉しそうな表情を浮かべる。
「いろいろと教えていただけて本当に勉強になります。森生社長にも」
そして、彼は真面目で誠実なのだ。人が良さそうな外見に、人懐っこくて、真面目で誠実。メディア関係者なのに、長谷川や颯真が信頼するのも分かる気がする。
「それは片桐さんのお人柄でしょう」
潤がそう言うと、颯真が即座に無言で頷いた。それが少し嬉しい。
「片桐さん」
今度は颯真が呼びかける。少し硬い声色。
そんな変化を片桐も潤も敏感に察知した。少し空気が変わった気がした。
「潤もいる中ですが。私からも少し伺えればと思うんですが……」
少し改まった切り出しに、二人でさりげなく居住まいを正す。
「なんでしょう。私で分かることであればいいのですが……」
颯真は少し考えて切り出す。
「他社のことを聞くのはいささかルール違反かもしれませんが……。東都新聞社のことです。片桐さんたちマスコミの方々から見ると、横浜での一連の事件での彼らの姿勢はどのように評価されているのでしょう」
東都新聞の首都圏版に潤のインタビューが掲載されたあの日。その隣の紙面には、同紙社会部による特ダネ記事が掲載されていた。
発情期になってしまったオメガの少年がアルファに襲われた「暴行事件」と、アルファをターゲットにしたオメガの少年グループによる「集団恐喝事件」。双方の事件に関連性があったことが明らかとなり、颯真がいう「オメガの少年らを巡る横浜での一連の事件」とまとめて言われるようになった。
東都新聞社は、暴行事件の被害者であるオメガの少年が、実は集団恐喝事件の犯人グループの囮として使われていたという事実を、あっさりと報じた。被害少年の精神的なダメージを考慮して、誠心医科大学横浜病院と神奈川県警が記者クラブに対して報道の自粛を申し入れていたにも関わらずだ。
東都新聞社の記事は大きな話題となり、報道自粛はなし崩し的に無視され、話題は沸騰した。後日、記者クラブの規約にのっとり、東都新聞社にはペナルティが科されたという。それは一ヶ月間の県警記者クラブへの出入り禁止というもの。出禁中は県警記者クラブへの出入りはもちろん、提供される記者会見やプレスリリースなどの情報も一切取得禁止となるため、かなりの痛手だ。
「協定破りはリスクが大きいためおおよそは守られます。損得勘定で考えれば、あの記事掲載は悪手であった、という声は多い」
片桐はそう評した。
「ただ、目的があれば、多少の無理もするかもしれません。話題の主導権を取りたければ、敢えて報じるという選択肢も。雑誌に特ダネを持っていかれるわけにはいきませんし、その協定破りさえ話題になります」
東都新聞社としては「性差医療を問う」という連載を始める前には必要なことであったということか。
「それほどまでに、あの特集記事に注力していると読めますね」
颯真の問いかけに、片桐は、ええ、と頷いた。
「彼らにとってみれば、リスクを冒してでも盛り上げたかった」
その読みは鋭い気がする。
「ということは、これで終わらず、まだ何かしら仕掛けてくる可能性も……」
颯真は唸った。片桐は頷く。
「否定できません。正直、このまま終わって欲しいですが、もし自分が担当だったら、このまま終わらせることはしません」
まだまだ気をつけて見ていた方が良さそうです、片桐は忠告した。
すべて片桐を介しての情報ではあるが、潤の中で、東都新聞社のイメージがどんどん形作られてくる。それは、最初に西宮から取材を受けたときに抱いた違和感と差異はあまりなさそうだった。
不意に、潤の脳裏に蘇る記憶があった。先日、誠心医科大学病院の応接室で長谷川と和泉の三人で交わされた会話。
和泉がこのようなことを言っていたのだ。
「マスコミがこのような姿勢を堅持したままペア・ボンド療法に注目したら。これでペア・ボンド療法の是非を世論に問いかけたら。世論の是非がマスコミのミスリードで決まってしまう」
悩ましげな表情で語られた和泉の懸念はもっともだ。まだ何も仕掛けられてはいないと思うが、東都新聞社の動きには充分すぎるくらい注意した方がいい。東都新聞社の近くにオルムがいるのだから。
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