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 やはり言っておくべきか。  潤は、片桐と颯真を前に迷っていた。思わず視線を手元に落とす。  片桐を信用していないわけではないが、マスコミ関係者に情報を漏らすということの重大性を考えると、どうしても躊躇ってしまう。  しかし、と考えが翻る。ペア・ボンド療法に対する世論を、マスコミのミスリードで道筋を作るわけにはいかない。  片桐に伝えたとして、彼がどう動くかわからないし、それがプラスに作用するか確信が持てないが、それでも託すことはできる情報だと潤は思う。  少しばかり、片桐に肩入れしすぎているのかもしれない。しかし、彼を信用することができなかったら、今後マスコミというメディアと、この件において良好な関係を築くのは難しい気がする。それくらいには片桐という男を信頼していた。 「片桐さん」  潤が呼びかけると、二人の視線が注がれた。  少し硬い響きが伝わったのか、二人とも真剣な眼差して潤を見つめている。 「その東都新聞社なのですが……」  潤が意を決し、そう切り出したのは、先日和泉から届いた、少し気掛かりな情報だった。 「先日、誠心医科大学病院とメルト製薬に取材が来たそうです」    片桐が静かに頷いた。 「そうですか。となると、やはり……」  もしかしたら、想像はしていたのかもしれないと潤は感じた。 「聞いたところ、取材に来た記者は、取材内容の掲載媒体については未定と話していたそうですが……。  誠心医大にはペア・ボンド療法の概要と横浜病院での実績を中心に話を聞いてきたようです。ただ、実績については論文になってから公開するという説明で納得して帰ったそうです」 「うちが断ったからだろうな、本院に取材が行ったのは……」  潤の隣で颯真が呟く。その言葉に同意した。 「まあ、それは仕方ないよね。先方も取材を受けてもらえるとは思ってないでしょ。あれだけのことをしたんだもん」  それも協定破りの影響というものだ。だからこそ、東京の本院の方が取材を受け入れるしかなかったのであろうが……。 「メルト製薬へはフェロモン誘発剤グランスの概要と日本での臨床実績、海外での使用実績などを、かなり丹念に取材しているようです」  片桐は腕を組んで考え込む。 「となると、確実にどこかのタイミングで、あの連載でもペア・ボンド療法については盛り込んできますね」 「時期的にも、取り上げない……いや、どうしても取り上げておきたい題材でしょう」 「きちんと報じてくれればいいのですが……」 「そこがどうなるか、心配ですね」  潤が唸る。  相手は東都新聞社だ。これまでのことを考えても、想像外の方向性から切り込んでくる可能性がないわけではない。というか、潤はそのような目に遭っている。 「森生社長、貴重な情報をありがとうございます」  片桐が潤に頭を下げる。潤は思わず確認をとってしまう。 「長谷川さんから片桐さんにご連絡は?」 「ないですね。長谷川社長とは最近連絡を取っていなくて。この件に関しては森生社長や颯真先生ほどに突っ込んで話をしていないのです」  長谷川はもちろん、片桐だって多忙だ。連絡を取り合うにも一苦労だろう。 「でも、こんな話を聞いては。連絡を入れてみます。  森生社長から話を伺ったと言ってしまって、問題はありませんか?」 「もちろんです」  潤は頷いた。長谷川に、自分と片桐との仲を悟られても問題はない。そのほうが片桐も長谷川の懐に飛び込みやすいだろうと潤は気遣った。  情報源の秘匿は大事だが、一方でそうやって話せるところは話して、情報を広げていくというのが、我々の仕事である、と以前片桐が言っていたのを、潤はふと思い出した。  ならば、と片桐も潤を見据える。 「私の方からも一つ。森生社長と颯真先生にお話しておいた方が良さそうだ」 「何をです?」  潤と颯真は二人で視線を合わせて、片桐を見る。  その片桐は、頷いてからさらりと報告した。 「実は、オルムに取材を申し込んでいるんです」 「え」  思わず潤は言葉を失った。  潤にとってオルムとは、片桐からその存在を知らされて以降、少し得体の知れない先鋭的な思想を持つ団体、というイメージがある。そのような団体に、直接切り込もうというのだ。片桐のことを気遣った。 「あれ、ちょっと驚かれています?」  片桐が苦笑を浮かべる。 「え、ええ。少しびっくりしました」 「電話ではすでに口頭で取材申込みをしました。向こうもすんなり受け入れてくれたので、取材日の日程調整まではスムーズにいきそうですよ」  潤の緊張をよそに、片桐は軽く応じた。 「マスコミの方は、大胆なことをされるんですね」  潤が驚嘆すると、片桐は苦笑した。 「これが我々の仕事です。知りたいことは正面から取材を申し込んで、きちんと話を伺って報道するだけです」  片桐の答えに、潤もなるほど、と頷いた。 「しかし、タイミング的に先方も警戒しているのでは?」  颯真が見せる懸念に、片桐は頷いた。 「わたしもそう思ったんですが、杞憂であったみたいで。とりあえず電話では驚くくらい気軽に応じてもらいました。ただ、企画書の提出は求められているので、やはり少しは警戒心もあるんだろうなと」 「どのようなことを聞こうと?」 「ストレートに、すべてを」  片桐のその一言に、潤は思わず息を詰める。真っ直ぐで真摯な目は、どこまでも澄んでいる。 「具体的には、前身団体であるフローラとの関係性、現在の団体としての主張。そして今後の発展について、でしょうか。  その中で、森生社長から伺った、資金源である大同東邦科学振興財団との関係性や将来展望、オメガレイシストと呼ばれる人々との交流の意義、さらに元森生メディカル取締役の佐賀氏の存在。  それはもう、すべて当ててこようと思っています」  正攻法で行くんですね、と颯真が唸ると、片桐は頷いた。 「話せるものは説明してもらい、話せないことは話せないでいいと思うのです。無理矢理聞き出すつもりはありません。正攻法は疚しさがないだけ強いですよ。  そして、こちらもさりげなく彼らにプレッシャーは与えることもできると思うんです。東都新聞社との関係を突き止めているメディアがある、と」  それが過激な行動への抑止力の一助になればなお良いと片桐は語った。  その言葉で、潤は片桐が完全にこちらに肩入れしていることを感じた。  それが良いことなのか、悪いことなのかは、マスコミの立ち位置からみると是非はあろうと思う。  どのようなメディアでも、ニュースの取捨選択や記事の切り口からおのずと立ち位置は見えてくる。物事に完全に中立でいることはありえないのに、中立と見せつつ事件が起こればニュースにして煽り立てる媒体もある。  片桐はそれから一歩踏み出して、プレッシャーを与えることで事前に火種を摘む、と立場を明確にした。  その判断に、正直少し頼もしさを感じる。  ただ、と片桐は言葉を止め、潤を見た。 「オルムに取材をかけるにあたり、一つ教えていただきたいことがあるんです」 「なんでしょう」 「森生社長に伺いたい。  佐賀氏はなぜ、取締役を降り森生メディカルを退職されたのでしょうか」  片桐が潤を見つめる目が変わっていた。全てを見逃さないと構えるジャーナリストの目。  これまではなかった、初めて見据えられる表情に捕まれ、思わず息を詰めた。 「佐賀氏はなぜオルムと関係を持つようになったのでしょうか」  潤の心拍数はわずかに上がった気がした。  佐賀の取締役の退任理由。  そして退職理由。  なんと言ったらいい。  潤は言葉に詰まった。躊躇いが反応に現れた。そしてそれを見透かされたのだろう。 「……すみません。少し踏み込みすぎましたか」  片桐が気遣ってくれた。  潤は表情を繕いながらも、首を横に振る。 「いえ。すみません、少し予想外の質問で」  すると、颯真の手が潤の手に触れた。思わず横を見ると、心配そうな表情を見せる颯真の顔があった。 「潤……」  潤はふっと息を吐いた。そして、颯真に笑みを見せ、頷くくらいの余裕をもつことができた。 「……大丈夫」  片桐はやはり真実を追うジャーナリストであり、プロフェッショナルである。自分の予想を軽く超えてくる。  面白いではないか。  潤は、片桐に向き合った。 「すみません。少し取り乱しました」 「こちらこそ、いきなり不躾な質問をしてしまい、失礼しました」  それで、彼の退職理由ですね、と潤はあえて自分で質問を引き戻す。 「正確には、彼は昨年末の取締役会で取締役を退任したのち、年内で退職しています」  この情報は外部はもちろん、社内にも公表はしていない。  片桐が息を詰めるのを感じた。 「取締役の退任理由は、簡単に言えば他社への情報漏洩。そして退職理由は、傷害罪で解雇になっています。こちらは示談成立により不起訴になりましたが、製薬会社として医師法や薬機法に触れた社員をそのままにはしておけませんから」  片桐の目が煌めいた。 「それは具体的にどのようなことがあったのでしょう」  きた、と思った。  潤は、無意識に息を止め、唾を嚥下した。

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