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颯真がいてくれて、本当に救われた。
それは潤にとって本音以外のなにものでもないのだが、含みがある一言のような気がして、片桐から変な疑念を持たれなかっただろうかと、少し心配になった。
片桐はわずかな緊張感で硬くなった潤に視線を移し、さらにそれを颯真にも向ける。
このジャーナリストの視線で、何を考えているのだろう。
すると、片桐がふっと笑みを浮かべて視線を逸らした。
「こういう言い方は失礼かもしれませんが、森生社長は颯真先生と一緒におられると、なんとなくイメージが変わりますね」
そうきたかと、潤は思わず驚く。
「え、そうですか」
やはり片桐は自分達の関係に気づいたのか、と肝が冷える発言だ。思わず颯真から身を離す。少し密着しすぎたかと思ったのだ。
「もちろん、双子のご兄弟ですし、ひょっとしたらアルファとオメガという性も関係しているのかもしれませんが。
本当に失礼な話ですが、森生社長のいつもの凜とした鋭さをあまり感じなくて。私服だからかな。本当にふわっとした印象なので、颯真先生の隣は安全な場所だと思われてるんだなと、しみじみ実感してしまいました」
そう言われて潤は少し安堵した。気づいたわけではなさそうで、緊張がほぐれた。
「そんなに普段のわたしはピリピリしていますか?」
そう苦笑すると、片桐はいやいやと否定する。
「ピリピリではないんですよ。やっぱりプライベートの顔が出るのかなと。
森生社長にとって、颯真先生というのは身内のアルファなんだなあとしみじみ思ったまでです」
それに口を開いたのは颯真だった。
「そう思われるかもしれませんね。なんとなくわかります」
片桐の話に素直に頷いた。
「弟の秘書に話を聞いても、実際に片桐さんが制作された番組を見ても、森生メディカルの社長としてのオフィシャルの顔と、今目の前にいる弟の姿は私の中でイコールで繋げるのが難しい時もあります」
颯真が苦笑気味に話す。
「ただ、私たちはアルファとオメガである前に、生まれた時から一緒ですから隣にいるのが一番安心できます」
颯真が潤に「な?」と同意を求める。それに潤も頷いた。
「兄は唯一、私が何をしても否定しない存在ですから」
颯真の意図を汲み、さりげなく話題を逸らしていく。
「とはいえ、双子でアルファとオメガとして生まれてくるケースは、めずらしいですよね?」
片桐の疑問に颯真も頷く。
「アルファとオメガの両親から生まれてくるにしても、レアなケースだと思います。
そういう意味では、少し特殊かもしれませんね」
何を言いたいのだろうと潤が内心で首を傾げる。すると、話は意外な方向に向いた。
「颯真先生から、社会の大多数であるベータの人たちは、アルファとオメガの関係について、こうでなければならないという強いイメージがあるのではないか、という話を伺いました」
そのような話を潤も颯真から聞いた。
颯真は、一般的にアルファとオメガの番という関係性には理想の形というものがあって、それが定形になっているのではないかと言っていた。いわば、こうでなければならないというイメージを押し付けられていると。
よく映像作品でも描写されるアルファとオメガの間には幸せな発情期を経て、幸せな気持ちで番になるという展開もそれに含まれる。
「我々ベータの人間の本音を分析すると、おそらくそれは羨望に近い感情だったりします。
アルファとオメガの間にある絆は、本能が求める、決して切れないものと聞きます。ベータの人達にはそのような確実性のあるものはない。
持たないから憧れるんです」
潤も頷いた。
「憧れが入ると、理想を描きがちになりますよね」
しかし、颯真が異を唱える。
「そんな本能の絆なんてものがなくても、きちんと結婚や恋人といった関係性で絆を結んでいるじゃないですか。アルファやオメガを羨むようなものではないと思うんですがね」
「運命的なものを感じるためかもしれません」
だから、番という関係性は彼らにとって特別なのですよ、と片桐は分析した。
「……私は、もしかしたら、双子もそういうものなのかなと思いました。
血縁である分、それよりも強固なのかも。双子は不思議な共通点があったりすると聞きますが、そこににアルファとオメガという別の要素が加わると、より一層強くなりそうですね」
潤はその言葉の真意を図りかねて、思わず颯真を見る。
「そうかもしれません」
颯真は応じた。
「もちろん番と双子では違いますが、生まれたときからずっと一緒なので、考えていることや求めていること、苦しんでいることなど大抵わかります」
片桐が身を乗り出す。
「すでにお二人には互いに番のような存在がいるということだ。
それぞれに番ができたら大変なことになりそうですね」
颯真はあはは、と笑い声を上げる。
「わたしは潤の番となる人物から小姑のように見られるかもしれませんね」
……二人の密着具合を「双子ゆえ」と思ってくれるならば幸いだ。
でも……と、再び潤は不安な気持ちに絡まれる。思わず颯真の横顔を見た。
しかし、もし颯真と番った後、自分達は片桐に対してもきちんと自分達の関係性を話すことができるだろうかと思ったのだ。
以前、瑤子を前に感じた不安と同じもの。
もし受け入れてもらえなかったら。
否定されたら。
はぐらかされたら。
潤がそんなことを考えているうちに、颯真と片桐の間の話題は変わっていた。
ナオキ、という名前が片桐から挙がって、潤は我に帰る。
「モデルのナオキさんがペア・ボンド療法を受けられて、復帰されたそうですね」
その言葉に、さすがに情報が早いですね、と颯真が苦笑する。
「ペア・ボンド療法ってなんだとエンタテインメントの担当者に聞かれたもので」
「記者さんもいろいろと調べることが多くて大変だ」
そう颯真が応じる。
「取材対象を知ることは第一歩ですからね。
そうだ、もちろんすぐにとはいきませんが、ナオキさんには、インタビューをお願いしたいなあと思ってるんです」
そんな話に颯真は黙って頷いた。
片桐にならば、尚紀を託しても大丈夫だろうと潤は確信し、思わず同様に頷いたのだった。
片桐と思わぬ再会を果たした週末が終わり、また新しい週が始まった。月曜日は午前中に営業会議、そして午後には経営会議がありミーティングが立て込む。そのなかで、潤は午後に外出の予定をとっていた。
「社長、本日の午後……、経営会議の後に外出となっていますが……」
そうだった、と潤は思う。自分のスケジュールは江上とクラウド上で連携しており、スマホで確認や変更も可能だ。潤の個人的なメッセージアプリに連絡があり、その予定を書き加えておいて、江上に連絡するのをすっかり忘れていた。
「あ、ごめん。そうなんだ。誠心医大の和泉先生から連絡が入って、急だけどお会いすることになったんだ」
江上が訝しげな表情を浮かべるが、それは潤も一緒だ。
「社長と和泉医師とは……どんな御用なんでしょうね」
江上が首を傾げるのもよく分かる。
ことのきっかけは今朝だった。
いつものように朝七時半に出勤し、仕事を片付けていた潤のもとに、直接和泉から連絡が入ったのだ。
「早急にお会いしてお話ししたいことがある」
潤と和泉はメッセージアプリのIDを交換していたが、気軽な交流を意図として行ったわけではない。和泉はとくに多忙だ。急がぬ用事であれば、メールで連絡してくるに違いなく、メッセージアプリが使われたところに、潤は緊急性を感じた。和泉に早急に会いたいと言われて、断る理由はない。可能な限りで最速の時間で会いに行くことにした。
「なんか……、うーん。たとえばサーリオンとゾルフで何かあったとか聞いてる?」
もちろん最初に思い浮かぶのは現在、厚生労働省に承認申請中のフェロモン誘発注射剤のサーリオンと中和剤のゾルフの動向だ。
江上も首を傾げた。
「いえ、特には。というか、そのような情報は私よりも社長の方が、大西部長を介して速くにキャッチできると思うのですが……」
「だよねえ……」
潤も首を傾げた。
この二剤については、常に最新情報が入るように気を配っている。社内から連絡がないのであれば、もっと現場寄りの情報かもしれない。
いや、そうであったとしても、なぜ全てを飛ばして自分に連絡が来るのか説明がつかない。
解せない。
もしかして、先日話に聞いた、東都新聞社の取材の件で何かあったのだろうか。
潤が話を聞いているのは、片桐に先日伝えた通り、取材を受けたというところまでだ。その後、何か問題が生じれば、長谷川も和泉も潤に連絡を入れてくるだろうと思ったのだ。
「詳細な内容は分からないけど、とりあえず行ってくる。もしなにか緊急で対応するようなことがあったら連絡する」
そう言い置くと、江上はかしこまりました、と一礼した。
経営会議が終わった後、潤は皇居近くにある、誠心医科大学病院に向かっていた。
午後の外来診療でロビーは混み合っている時間帯だったが、受付でアルファ・オメガ科の和泉医師と約束があると告げると、スタッフが親切に和泉の部屋まで案内してくれた。
扉をノックすると室内から和泉の声がした。
潤が、失礼します、と行って扉を開けると、中で白衣姿の和泉が出迎えてくれる。
「森生社長、お忙しいところ申し訳ありません」
和泉の口から最初に出たのは謝罪の言葉。
「いえ。ただ、お忙しい和泉先生からのご連絡ですから、驚きました」
潤がそう反応すると、彼はふっと笑みを浮かべて驚かせてしまい、すみませんと言った。
「………」
不意に奇妙な沈黙が舞い降りる。
なんか嫌な感じがする。
「和泉先生」
潤が呼びかけると和泉は真剣な表情をこちらに向けてきた。一体何が語られるのだろうか。
「なにかお話があるのでしょうか」
和泉は、頷いた。
「……失礼しました。
早急にお話ししておきたいことがあって。森生先生のお身内の方に」
今、森生先生と言ったか。颯真のことか?
「……兄のですか?」
和泉は頷いた。
「ええ、そうです」
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