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翌朝、潤は颯真のベッドで目が覚めた。
全裸であるはずなのに、全身がしっとりぽかぽかと温かい。それもそのはずで、布団のなかで颯真にすっぽり抱きしめられているためだ。
あのあと、説得に成功して安堵した潤は、そのまま仕掛けられた颯真の愛撫に驚き戸惑いつつも、抗うことはできずに快楽に身を任せた。
温かい浴室で、互いの身体にリップ音を立てて印をつけては気分を高めあい、感覚が敏感になり高揚して、潤が強請ってそのままベッドになだれ込んだ。
颯真の情熱的な口づけと愛撫に乱されて、また、颯真自身を初めて口で慰めて、自ら足を開き腰を振り、泣くほどに颯真を求めて、それが得られて満足して果てた。
……そこまでの恥ずかしい記憶はあるのに、どうも、その先がない。
きっと寝落ちてしまったのだろう。
全裸で寝ても問題ない程度に颯真は後始末をしてくれたようだったが、今日は仕事があるし、身を清める……というより気を引き締めたくなる。
スマホを引き寄せて時間を確認すると、五時前。驚くほどに早朝だ。
潤は少し未練を残しながら、颯真の温かい胸元から静かに這い出る。いつもならば、そこで目を覚ますのが颯真なのだが、深い眠りにいるのか静かな寝息が乱れることはなかった。
きっと、身体に負荷がかかっていることもあり、疲れがあるのだろうと思う。大切な片割れのことだから、こういう静かなサインを見逃さない注意深さがあってよかったのにと後悔も残るが仕方がない。
颯真がいつも起きる時間になったら起こそうと思い、潤は浴室に向かった。
軽くシャワーを浴びて浴室から出てくると、颯真が起きていた。
「早いな。おはよ」
軽く着替えた颯真が自分の部屋のベッドのシーツ類を、洗面室のドラム式洗濯機に突っ込んでいるところだった。いつもの調子に、軽い安堵を覚える。
「おはよう。
んー。今朝は僕がキスで起こそうと思ったのに残念」
そう潤が軽口を叩くと、颯真が少し驚いたような表情を見せて、今度は起こしに来るまで寝ておこうと笑みを浮かべた。
自室でクリーニングしたての白いワイシャツに袖を通し、ウール素材のシャドーストライプのスリーピースを身に着ける。ネクタイはもともと颯真が買ってきたにも関わらず、潤が気に入ってしまってこのクローゼットに定番としていつも掛かっているブラウンチェックのものにした。
着替えながら、スマホをチェックする。
早朝だが、入れておく分には問題はないだろうと判断し、潤は和泉に颯真への説得を完了した旨を送信した。すると、すぐに既読がつき、和泉から返信がくる。
「早速ありがとうございます。本日森生先生にも連絡をしてみます」
こうなると話は早いだろう。ここまできてしまえば、颯真も気が変わったとは言えない。
お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いします、とあくまで弟の立場を崩さずに潤は返信した。
これで一旦は自分の任務も完了だった。
潤の想像どおり、和泉はチャンスは逃さないといった勢いで、その日の午前中というか、午前の外来が始まる前の朝の時間に、颯真を捕まえようと連絡を入れたという。
颯真も昨夜の潤の話で納得していたため、話はとんとん拍子で進み、昼前には、「明後日、木曜日の夕方」という診察日が決まったらしい。
潤は、それを颯真と和泉の双方からの連絡で知った。
颯真によると、本来木曜日の午後は和泉の外来診察日ではないとのこと。しかし、和泉の外来診察日で初診を予約するとなると、しばらく先になってしまうらしい。和泉の配慮で、すべての外来が終わった後にねじ込んでくれたようだ。
さらに、横浜の分院のアルファ・オメガ科の颯真の上司にも水面下で連絡を入れてくれ、颯真がスムーズに時間をとれるように取り計らってくれたとのこと。和泉のきめの細かな配慮に潤は驚いた。
颯真によると、番候補の発情期がもうすぐであるという話をしたためだという。番の発情期というのは、アルファにとって何ものよりも優先される案件なのだと潤は実感した。
日程が決まって早速、潤は江上に事情を話してスケジュールを切ってもらった。颯真の診察に付き添うというその理由に、江上は大層驚いていた。
「普段は何でもお見通しみたいな顔してるけど、そういうミス、あいつもするんだなぁ」
オフィスにもかかわらず、目を丸くしてそうこぼした親友に、潤も頷いた。
「そうだね、颯真も人間らしいところあるよね」
そう言って二人で苦笑した。
木曜日の夕方。
潤は仕事を早めに切り上げて、職場から車でやって来た颯真と品川駅前で合流した。
ここから皇居近くにある誠心医科大学病院まではスムーズにいけば十五分くらい。
「悪いな」
助手席に乗り込んできた潤に、スーツ姿の颯真がそのように気遣った。社長業が忙しいことを、この片割れは秘書を通じて知っているためだろう。今日はこの時間を作るために、分単位のスケジュールを捌いてきたのだが、そんなことは気遣い無用だ。潤は首を横に振る。
「颯真のことは僕のことでもあるもん。逆だってそうでしょ?」
潤がそう嗜めると、運転席の片割れは表情を少し緩め、そうだなと頷いた。
誠心医科大学病院に到着すると、すべて話が通っている様子だった。
受付で颯真が身分を明かし、和泉医師と約束があると言うと、そのまま院内一階の外来フロアにあるアルファ・オメガ科の第一診察室に案内された。室内では和泉が待っているらしい。
颯真が案内してくれた受付職員に礼を言って、潤を見る。
「ちょっと待ってて。後で呼ぶと思うから」
ということは、颯真は今日この場で、自分の口から和泉に番う相手を伝えるつもりなんだと潤は悟った。
自分のこととはいえ、今日どんな流れの診察になるのかも分かっているに違いない。
颯真の一言で多くを察した潤は頷いた。少し表情を引き締めたつもりが、強張ってしまったのがバレたか。
すると、颯真の顔が潤に近づく。顎に手を添えられ、軽く唇と唇が重なり合った。
「大丈夫」
潤の顔を、颯真の優しい眼が覗き込む。いつもと変わりない笑みを浮かべた颯真は、惜しむように潤の頬に触れて、診察室に入って行った。
潤は思わず顔を両手で覆う。
これはやばい。自分で処理しきれない。
ふらつくように、潤は診察室前に設置されたソファに腰掛けた。
「びっくりした……」
肩から上に熱が集中して、顔が沸騰しそうだ。
潤は何度も深呼吸を繰り返し、平静が戻ってくるのを待つ。
ようやく一息吐けたのは、颯真が診察室に入ってからしばらく経ってからだった。
ここは外来フロアの共通の待合ロビーとして使われている。吹き抜けで天井が高く、窓からは明るく柔らかな光が差し込んで、開放感がある。こういう空間使いは、診察前後の緊張感を和らげる効果もありそうだ。横浜の分院には通い慣れているが、本院にこうして診察に訪れるのは初めてだ。
外来時間も終わりかけていて、もうあたりに人は少ない。潤が今ぽつんと座っているこのソファも、数時間前までは多くの人で埋まっていたのだろうと思う。
腰掛けてのんびり待つ潤の目の前を、製薬会社の社章をジャケットにつけた男性が数人、横切っていった。仕事柄目についてしまうのだが、あれはおそらくメルト製薬のMRだろうなと思う。うちの会社のMRに鉢合わせしなければいいが、こんなところで社長がぼんやりいるとは思わないか、と思い至り、一人でおかしくなった。
不意にスーツのジャケットの中のスマホが何度か揺れたのが分かった。
会社からの緊急案件かなと思う。潤は立ち上がり、ロビーの端に移動しながら、ジャケットからスマホを取り出した。すると、待ち受け画面に表示された発信者は、江上ではなく、飯田や大西でもなく、意外な人物。
父、和真からのメッセージだった。
驚いて、スマホのロックを解除する。メッセージアプリを立ち上げて、潤は一番上に表示されたトーク画面を開く。
「元気か?」
潤がどうしようかと固まっていると、さらにメッセージが追加された。
「週明けに品川に寄れるんだが、昼食でもどうだろうか?」
急な誘いではある。しかし、おそらく出張先からの帰り、羽田から横浜本社へのルートを少し遠回りするつもりなのだろう。父親といえど、年に何度も会えるわけではないので、このように誘われた時は、潤はいつでも喜んでスケジュールを空ける努力をする。
ここ最近は父子共に多忙を極めていたため、このような誘いは少なくなっていたが、和馬の方は少し余裕が出てきたのかもしれない。近くに寄るからと誘ってくれるのは嬉しいのだが、今回ばかりは少し身構えてしまう。
潤は、トーク画面を開いたまましばしの間考える。
やはり案件があるとすればこの間の話だろうか。颯真と一緒に番う許可を得に実家に帰り、和真に激怒され、手酷く返り討ちにあった、一月前のあの出来事。和真からの連絡はあれ以来。少し身構えてしまうのも仕方ない。
でも、と潤は思い直す。いつまでも躊躇っているわけにはいかないし、一歩を踏み出すきっかけは必要だ。前回は一方的な話になってしまったから、腹を割って話し合うことは必要だ。
和真は少し颯真に厳しい。颯真だって和真に抑圧されていた分、反発心だってある。二人に任せれば拗らせてしまう可能性もある。
颯真はどのように反応するかわからない。それでも潤はそのメッセージに、週明けならば時間は取れると思う、と返信した。
不意にかちゃりとドアのロックが開く音がした。
その音に誘われて視線を流せば、颯真が顔を出している。
「潤」
颯真が呼びかけ、わずかに手招きをした。潤もスマホをポケットに納め、頷いて応じる。
そして颯真に招き入れられるように、診察室に足を踏み入れたのだった。
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