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 ウエイトレスが完食したシーフードカレーとサラダの皿を下げていく。しばらく待っていると、潤の前にはティーカップ、和真の前にはコーヒーカップが提供された。  あたりを見ればランチタイムのピークを超えたのか、いくつか空席も見られる。腕時計を確認すると、すでに十三時近い。  しかし、まだ話は終わっていない。 「正直、お前がここまでしっかり考えて覚悟を決めているとは思わなかったな」  和真がポツリと呟いた。有能な父の予想をいい方向に裏切ることができたと潤は悟り、少し気分が良くなった。 「去年の年末、部下から誘発剤を打たれて発情期になった時、実はしみじみ思ったことがある」  潤はティーカップに角砂糖を一つと、ミルクピッチャーで提供された少し温かいミルクを注ぐ。クリアな紅茶の中にミルクがふわりと広がり拡散する。ティースプーンで数回かき混ぜた。 「事実として、僕はやっぱり単なるオメガなんだなって」  和真はコーヒーカップを口に付けかけて、問いかけてきた。 「どういう意味だ?」  和真は息子の真意を読み取れない様子。潤自身、ずいぶんなことを言っているなと思う。 「父さんはアルファだから分かりにくいかもしれない。僕はこれまで結構気を張って生きてきた。はっきり言えば、アルファやベータに負けたくはないって気持ちだ。  何か壁に当たると、彼らと比べて自分がオメガであるということを痛感するから、かな。そのいちいち事実が突き刺さるのが辛くて堪らなくて、僕は無理してオメガの部分を封印しようとしていたんだ」  予防線を張って先回りして、自分がオメガであることから目を逸らそうとしていた。それが自分の第二の性別を受け入れられていない証左だった。 「でも、あの日。僕はグランスを打たれて、否応なく痛感した。どんなに先回りをして、自分が目を逸らしていたとしても、誘発剤を打たれてしまえば発情期はやってくる。それまで品川の本社で経営判断を下していたはずなのに、そんなものはどうでもよくなって、僕は単なる発情する動物になる。ああ、僕はオメガなんだなって……」  あの社用車の後部座席での辛い時間が蘇る。  社会的な立場など全く関係がなくなったあの時間。逃れようのない本能だけの感覚に潤は戦慄し、本能に理性が凌駕されることを知った。 「たとえ先回りをきっちりやっていたとしても、やられる時にはやられるということを僕は学んだ。絶対ないなんてあり得ない。だから、その万が一に備えておかないとならない」  予防する、脇を締める。そんなことは当然だ。でも、書かれる時には書かれる。そうした時に、お前たちはどうするのかと俺は聞いている。  そのように父和真が潤と颯真に言い放ったあの言葉は至言だ。  あの時の言葉を、潤はずっと考えてきた。 「お前は自分の会社をどう守るつもりだ」  喉元に刃物を突きつけられたような鋭い問いかけに、あの時の潤は答えることはできなかった。 「もし、僕と颯真の関係が今後自分の会社に悪影響を与えることになれば……」  本音はこんなことを考えたくない。しかし、これはリスクマネジメントの一環だ。想定しておかねばならない。  潤は息を飲んだ。 「僕は辞める。僕にとって颯真は失えない番だ。それでビジネスに影響が出るのであれば、僕は部下に全てを託して身を引く覚悟だ」  潤の決意に、己も社長という和真も静かに視線をあわせた。息子の判断に複雑な思いが過ったのかもしれない。 「会社を捨てるというのか?」  過激な言葉を選んでいるみたいだが、潤はゆっくりと首を横に振った。 「違う。そうじゃないんだ。捨てるとかではなくて。会社にとって大事なこと、ビジネスや従業員にとって大事なこと、そして僕には何が大事なのかを考えた時、そういう結論になった」  もちろん、今会社を放り投げる気には到底なれない。しかし、ビジネスにマイナスをもたらす社長は不要で、信頼できる部下に託した方がよほど良い。幸い潤の部下は、飯田や大西をはじめとして皆有能であり、飯田に社長を任せても問題はないと判断している。  それでは森生家が経営に関わらないということではないかという声も出てきそうだが、そもそも母の茗子が親会社の社長なのだから、完全に森生家の手を離れるわけではない。  そのように潤が告げると、和真は腕を組んで難しそうな表情を浮かべた。潤も慌てて言い添える。 「最近、オメガにとって少し好ましくない風向きになりつつあるのが心配だけど、もちろんここで投げ出すつもりは毛頭ないよ。就任して一年半で、まだ何もかもが途中だから。  これは僕にとって備えであり、覚悟の表明だ」  それに颯真だって何もしてないわけじゃないと思うと潤は言った。 「颯真は最近人脈を広げることに熱心みたい。この間はマスコミ関係者と会ってたよ」  先日潤はメトロポリタンテレビの片桐に引き合わされたが、颯真の動きを見ているとそれだけではなさそうだった。マスコミ関係者のほかに、大学の研究者や上層部、学会関係者、霞ヶ関の官僚などにも広げている様子。 「きっと、自分が拾えない情報を彼らから集めているんだと思う」  和真はあの時、颯真に対してたかだか大学病院の医者でしかないのに一体何ができるのだ、と問うたためだろう。  和真は頷いた。納得したのか共感したのか、了解しただけなのかはわからない。 「お前たちの覚悟はわかった。颯真には今日のこと、話してあるのか」 「うん。今日父さんに会うことは話しているし、何を話すかも想像はついていると思う。  もちろん、これで許してもらえるとは思ってない」  和真は小さく頷いた。 「そうか。俺が帰るときには、また今度二人で帰ってこい。飯を食おう。母さんも楽しみに待ってるから」  随分と態度が和らいだ。きっと真剣な思いだけは和真に伝わったのだろうと思った。 「うん。ありがとう。また颯真と帰るね」

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