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閑話:束縛であり鍵(和真視点)
「潤は俺の番だ」
もう十年以上前に聞いた、息子颯真の決意の言葉。その声色に、父親である森生和真は瞬時に本気を悟った。
双子の息子。その弟の方に訪れた発情期。アルファの兄はオメガの母が不在の間、弟の面倒を見てくれていたがそのフェロモンに当てられてしまった。兄弟同士が香りに影響し合うことはないと思っていた。まさか、このようなことが起こるとは。
おそらく自分が知らぬことがあるに違いないと、息子の颯真を質した。
「それで? お前は潤をどうしようと思っている」
そう問いかけると、番にするという迷いのない答え。
眩暈がした。
本気である颯真がそのように告げるのは想像に易いことで、愚問だった。それでも、はっきり口に出させて、否定してやらないとならないと、と思った。
「独りよがりはみっともない。止めろ」
強い言葉だったと思う。恨まれても仕方がないほどに。
しかし、ここで親がはっきり否定せねば、諦めることなど叶わないだろう。兄弟で番うなど、ありえないのだから。
「違うんだ、父さん! あいつは俺のだ。だって、潤も俺も惹かれ合ったんだから」
颯真の訴えは悲鳴だった。
この聡明な息子が、分別がつかずに叫んでいるとは到底思えない。そう言うのであれば、きっとそうなのだろう。
自分自身、初めて茗子という番を見つけた時に開けた歓喜と興奮に満ちた世界は、昨日のことのように覚えている。絶対に手放したくない、必ず手に入れるという、その気持ちも鮮明に。何もかもが衝撃だったのだ。
今の颯真の目は、あの時鏡に映った自分のものとそっくりだった。
颯真から見れば、潤は番なのだろう。
自分の息子たちはなんという運命を背負ってしまったのだろうと思った。
どうして分かってもらえないんだと項垂れる息子を説得するのには骨が折れた。
お前はアルファだ、耐えろと明らかに困難なことを言った。潤に全てを選ばせろ、と。
すべての主導権を握るアルファの颯真ではなく、番にされる側であるオメガの弟に選ばせろという無茶苦茶な言葉に、颯真は苦しそうに眉根を寄せて口を噤んだ。
「いいか、これに関しお前に選択権は一切ない。
潤がお前を選んだのであれば、考えてやらないことはない。
でも、潤がお前を選ぶ前に、お前が潤を番にしたら、俺は問答無用でお前と潤を引き離す」
颯真が一瞬絶望的な表情を浮かべた。
この言葉は束縛であり鍵だった。
颯真の暴走を防ぐため。家族を守るため。そして息子たちを守るため。
こう言っておけば、いずれ颯真も諦めて他のオメガに目が向くだろう。本能で定める相手でなくても番契約を結ぶことは容易い。番より兄弟としての関係を大切にしようと決めてくれれば。いや、颯真の諦めを待たずとも、兄弟は無理だと潤が他に番を見つけてくれれば……。いずれ時間が解決してくれるに違いない。
そう期待していた。
ただ、颯真の気持ちが強ければ、耐えるかもしれないが。
正直、本当にそうなった場合は考えたくはなかった。この時ばかりは、信念のある息子と分かっていても、挫折してほしかった。
あの一件の後、颯真のことは潤以上に気にかけてきた。一挙一動を見守ってきたし、彼が潤以外に興味を示せば、それを勧めてもみた。
唯一の救いは(これを「救い」と表現するのも酷いが)、潤にあの時の記憶が一切なく、颯真を全く意識していないことだった。
この間にどちらかに番ができれば、穏やかな人生を送ることができるだろうと、颯真には見合いを勧めたが、ことごとく断られた。彼の中で、未だ強い意志が存在する様子だった。
一方、潤の方も難しかった。茗子からは、潤の見合い相手を見つけるのは待ってほしいと言われていた。確かに、オメガと受け入れることができていない息子に、アルファと番契約を結べというのは酷な話だ。ただ、自分がオメガと認められないのであれば、実の兄と番うなんて到底認めることはできないだろう。
当時、二人の息子に対してはこのようなことばかり考えていた、本当に酷い父親だった。
一方で、五年、十年と颯真を見守っていくうちに、少しずつ自分の中で覚悟がついてきた自覚もあった。
颯真は耐えている。もしかしたら、耐えて耐えて、自分が壊れる直前になって力づくで潤を手に入れてしまうかもしれない。根拠はないがそんな風に思うこともあった。
もし、そうなったら。
もし、潤が颯真の気持ちを受け入れたら親としてどうするか。
茗子とそのようなことを話したこともあったが、結論は出なかった。
昨年の年末。潤が発情期に見舞われたとき、潤の面倒をみているのが颯真一人だけと聞いて、とたんに心配になった。茗子は二人に帰宅を熱心に勧めたようだが、潤から拒絶されたという。二人の間には親にも入り込めない兄弟の絆があった。
それならば、颯真は潤の信頼を裏切ることはできない。潤の発情期が何事もなく終わることしか祈ることができなかった。
発情期が治まり年が明けると、二人の様子が少しおかしいことにすぐに気がついた。今更の兄弟離れかしら、と茗子は首を傾げていたが、不安しかなかった。そこで、久々に再会したという双子の幼馴染の天野松也に潤を少し誘ってやってくれと話し、けしかけてみることもしたが、潤は靡かなかった様子。
その後、松也からは力及ばす振られてしまいました、と言われた。
いよいよ、覚悟をせねばならないと思った。
双子の息子が、揃ってスーツ姿で帰宅したのは、それからほどなくだった。
そして今。和真の目の前にいる潤は、颯真と気持ちを通わせていた。
潤は、父親である自分に対して、颯真を傷つけるなという。颯真がこれまで一人で苦しんできたにも関わらず、十二年前の約束を反故にされ傷ついているというのだ。
たしかにずっと颯真ばかりに負担を押し付けてきた。しかし、息子の暴走を止め、ここまで颯真を思いとどまらせてきたのは、自分の言葉だったはず。
分かってはいたが、潤や颯真から見るとそのように映るのだ。
息子の暴走を防ぐために、行動を縛り鍵をかけた。それはまだ生きているらしかった。
「僕とのことを諦めさせたくて父さんが颯真に放った一言一言が、今でも彼の胸には突き刺さったままだ」
思わぬ収穫に、颯真には申し訳ないと思ったが和真は安堵の気持ちを得た。
「あの言葉は、これまで颯真を縛っていたか」
潤は憮然と頷いた。
「今だって。縛っている」
そうか。
もう息子たちに理解されようとは思っていない。もう少し、颯真の行動を縛り付けておいてほしい。暴走しないように。
少しずつ、覚悟を決めてきた。
双子の番の父としての役割を。
二人が気持ちを通わせてしまった以上、今の最善の道を模索するしかない。
潤は、颯真との子供をなしたいという。
兄弟で番うことの危険性は十分承知しているようだった。
目の前の息子に目を向けた。ずっと受け入れられなかった自分の第二の性をしっかり受け止め、さらに明らかに逞しくなっている。
その原動力は颯真だ。颯真というアルファに愛されているがゆえなのだ。
「それじゃあな」
潤と改札の前で別れ、和真は、会社に戻るその後ろ姿を見つめた。
姿が見えなくなると、スマホを取り出して、電話帳の一番上の番号を、見ずにかけていた。
自分の番である茗子の番号だ。
多忙であるはずなのに、茗子はすぐに応答した。
「はい」
「俺だ。潤と会ってきた」
茗子はくすりと笑って、どうだった? と聞いてきた。
「あいつ、少し見ないうちに本当にいい男になったなぁ」
和真は少し嬉しかった。子供の成長を感じた。
茗子もそうね、と応じた。
「でも当然でしょう。私たちの自慢の息子たちなのよ」
【了】
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