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 今朝は少しおかしい。  二人で離れがたくて、まだ起床時間でもないのに、朝からどちらともなく目が覚めて、互いを求め合っている。  この身体の奥から湧き上がる、番の香りを求める、衝動のようでいて、もどかしいような、はやる気持ち。  これがまだ具体的な症状が出ていないものの、近く現れるであろう発情期が影響していることは、経験がなくとても潤自身もわかっていた。  颯真が、潤が抱えていた枕をそっと受け取りそれを腰の下に押し込む。先ほどよりもずっと露わになった場所を颯真の指がくりっとローションの滑りを借りて入り込んだのが潤にもわかった。 「あんっ……」  思わず悲鳴が漏れ、腰と脚が揺れた。でも、それは衝撃ではなく、甘い快感であるということは片割れにはバレているようで、優しい表情で潤を見つめてくる。 「気持ちいい?」  そんな問いかけにゆらりと視界が歪んで、潤はコクコク頷いた。すると颯真のもう片方の手がさらに屹立したままのささやかな象徴に触れた。痛くない? と確認されながら、緩く優しい手つきで滑りをかりてしごいていく。自分のアルファに、前も後ろも露わにされて攻められて、満たされた気分で潤は喘ぐ。  後ろを広げて挿れてほしいという明確な欲望に潤は抗えない。  颯真の名を呼んで、ほしいと強請るものの、颯真は優しく、それでいてハッキリそれに応じてくれない。 「だめ。入れたら会社に行けなくなるだろ。フェロモンが誘発されて、このまま発情期に突入しちゃうかもしれないし」  颯真にそう嗜められては、潤も諦めざるを得ない。今日はしっかりと仕事を秘書と部下に託してこなければならないのは、わかっている。  でも。  生理的な快感の中に、一抹の寂しさが過ぎり、急激に視界が潤んで歪む。はらりと目尻から涙が落ちた。 「潤、何泣いてるの〜」  颯真が困ったような表情を浮かべた。困らせたいわけじゃないのに、誰より近くにいてくれると分かっているのに、なぜか寂しくて仕方がない。  とぷんと不意に後ろから指が抜かれ、ほら、おいでと颯真が抱き寄せてくれる。  たくましい颯真の胸の中に収められて、潤は呼吸を整える。颯真が背中をさすってくれた。颯真の呟きが聞こえる。 「発情期前だし、少し精神的に不安定なのかな。安心して、始まったらずっと一緒にいるから」 「……う……ん」  そう言って颯真は落ち着くのを待ってくれた。    そして、しばらくして。潤の気持ちが落ち着いたのを確認した颯真は、そのまま背後から、まだ硬い潤の奥蕾に指を再び挿入した。中をやさしく情熱的に掻き立てられ、潤は颯真に抱きついたまま、絶頂を迎えたのだった。  朝からあられもなく颯真を求めてしまい、少し身体が怠い。睡眠時間も充分に取れていないように思うが、そこはあまり気にならない。おそらく、朝から颯真自身を堪能して精神的にも肉体的にも満足しているためだと思う。  あのあと、二人でシャワーを浴びて、身体を整え、気持ちを引き締めてスーツを纏った。上半身に颯真がかなり跡を付けていて、鏡を見て驚いた潤だったが、それもすべて白いワイシャツとウールのスリーピースの下に押し隠す。冷静になり、この朝の一連の出来事を思い出すと、自分の痴態に顔から火を吹くほどの羞恥を覚えるが、それも颯真と二人だけの秘密と思えば耐えられる。  今朝はどうしても颯真と離れがたく、出る直前、玄関先で何度も抱擁してキスを交わした。一階のエントランスまで指を絡ませていた。いつもの時間より五分遅れて社用車に乗り込み、出勤した。なじみの運転手には、聞かれてもいないのに寝坊したと言い訳した。ようやく落ち着いて回り始めた日常に溶け込もうと、潤は車内で気持ちを整えた。  いつもよりも濃厚な朝になってしまったが、森生メディカルの社長としての仕事はいつもと同じように始まった。  PCを立ち上げて、メールチェックをしていると、しばらくして。早めに出勤した江上が、いつものように構わず入室してきた。 「社長、おはようございます」 「おはよう」  潤がメールから目を離さずにそう挨拶すると、江上がとうとう来ましたよ、と潤に注意を向けてきた。 「何が?」  すると手にしていた新聞の朝刊が目の前に掲げられた。  今日の朝刊分。一番上は、東都新聞の首都圏版。 「これです」  潤はそれを受け取ると、真っ先に社会面を開く。  社会面の角の目立つ場所に大きなロゴタイトル。 「性差医療を問う」  その数段打ち抜きの記事の冒頭。  ドクン、と心臓が高鳴った。 「オメガの新たな選択肢、ペア・ボンド療法」  とうとうきたか。息を呑んだ。  見出しをちらりと確認して、潤も江上を見上げた。無理矢理だが、きゅっと気が引き締まったのを感じた。 「来たね……」  潤の一言に、江上は頷いた。 「年度末ですし、おそらくこの連載も今月いっぱいと考えれば、最後の最後にこの話題を持ってきたということになります」  江上のその予想は鋭いように潤には思える。  この話題を最後に持ってきたということは、何かを目論んでいるように思えてならず、穏やかに終わることはないような気がする。  逸る気持ちで視線を記事の文字に滑らせる。なにか誤解を与えかねない……刺激的な表現が踊っていないか、心配だった。  記事を数段流し読みをして、緊張でどくどく早鐘を打っていた心臓が、少しずつ落ち着いてきた。幸い今日は、センセーショナルな記事になっていないようだが……。 「ここ数日は注意しておいたほうがいいね」  潤の呟きに、江上もおっしゃる通りだと思いますと頷いた。 「とりあえず私の方でも、メルト製薬の風山秘書室長と連絡を取っておきます。何かあれば、連名で抗議文を出せるように両社の広報部も連携を。もちろん、誠心医科大学の和泉先生や颯真さんとも連絡が必要ですね」  江上の素早い判断と万端の準備に脱帽だ。  まさか、江上がメルト製薬で長谷川の秘書をしている風山と顔見知りなんて思わなかったし、密かに連絡を取っているとも考えていなかった。長谷川の自宅で会った、黒いスーツを身に纏った自分よりかなり年上のベテラン秘書の姿を思い起こした。  江上もまた何もしていないわけではなかった。おそらく、ペア・ボンド療法におけるこのようなトラブルに遭遇した場合の対策をまとめたマニュアルなどを作ってあるのだろう。  もし、自分が発情期で判断ができなかったり、出社が叶わなくなったとしても、江上や飯田や大西が、うまく連携をとって対処してくれるだろう。もちろん、そのような想定も加味した上で対処方法をまとめていたのだろうと、潤は考えた。  部下の用意周到ぶりを改めて評価する。 「さすがだね。わかった。それでよろしく」  江上は一礼して退室した。

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