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地下駐車場に、いつものレクサスは待機していた。
「社長、お疲れ様です」
馴染みの運転手がそう挨拶して後部座席のドアを開けてくれた。潤が、業務ではないのに申し訳ないと謝ると、その運転手はとんでもないと恐縮した。
「私は森生社長の専属のドライバーですからこれも職務と心得ています。誠心医科大学病院まで十五分程度なので、いま少しご辛抱くださいね」
優しい言葉をかけてくれた。
車は静かに地下駐車場を発進して、車道に滑り込む。
潤はシートに身を預けて、深い吐息を漏らした。自分の香りがすごい。車に乗ってから一段と香っている感じがするのだ。潤が、匂わない? と問いかけても、運転手は大丈夫ですよ、との返答。ベータだというから、その辺りは幸いにも感じにくいのだろう。
潤は手元のスマホをチラリとみる。ずっと握っているスマホに、着信もメッセージもないのはわかっている。もちろん、颯真からの連絡も入っていない。
さっきから沈黙を続けるスマホが気になっていた。
どうしたのだろう。いくらなんでも事故とか急病なんてことはないと思うが、でもそんな想像も脳裏を過ぎる。そうでないと颯真へのメッセージが既読にならない理由が見当たらない。今日は午前は外来、午後は病棟勤務で、スマホは持ち歩いているからと聞いていた。
迷惑になるかもと遠慮していた電話も、思い切ってどかけてみたが、出なかった。
潤はスマホを両手で包み込む。鼻の奥がつんとして、泣きそうなくらい不安になっていることに驚く。颯真と連絡がつかないという、たったそれだけのことで、精神的に揺れている自分に、潤は戸惑っていた。
不安な気持ちがあるものの、会社を出て僅かに気が抜けたせいか、車中の十五分で発情症状が進んでしまった気がする。
ぐったりと後部座席で窓の外を眺めていたが、道は空いていて、レクサスは皇居のお堀沿いをしばらく走ると、誠心医科大学病院が前方に見えて来た。そしてそのまま病院のエントランスに滑り込む。
運転手は江上に言い含められているのだろう。このままお待ちしていますと声をかけられて、潤は少しふらつきながら院内に入った。
すべて話が通っているようで、受付で名乗ると、そのままアルファ・オメガ科の第一診察室に案内された。まだ午後の外来診療が終わっておらず、待合室にも患者がいたので待つことは覚悟の上だったが、受付から診察室まではノンストップだった。
「こんにちは、潤さん」
診察室に入ると和泉が優しい顔で出迎えてくれたが、潤の紅潮した顔色に、少し驚いた様子だった。
「結構しんどそうですね。ちょっと診てみましょう。ベッドにどうぞ」
そのまま診察台に案内され、少しふわふわとした感覚で潤はジャケットを脱ぐ。和泉にスラックスと下着も取って横になってくださいね、と言われ、改めていつもの診察が違う医師によって行われることを実感した。
それでも緊張を悟られぬよう、平静を装って、潤は下半身に何も纏わずに診察台に横になる。心許ない場所に看護師がバスタオルをかけてくれた。
どこかぼんやりしていて鈍い感じだが、それでも膝を立てて脚を広げ、と指示通りの受診体勢を取る。その場所が和泉の手によって露わになり、ひんやりとした空気に触れると、自然と身体が強張ってしまった。それが分かったようで、和泉に優しく深呼吸を促された。
肩に触れられ、何度か深呼吸を繰り返すと、余計な身体の力が抜ける。和泉がベッドの後方に回り、医療用のラテックスグローブを纏った手が、潤の脚に触れた。
「少し触れますね。失礼します」
潤は思わず目を閉じた。
和泉の診察は丁寧だった。
潤の中に和泉の指が入り、確認するようにくるりと回されて押された感じがする。颯真の指のように、埋められて満たされた感じはないが、それでも丁寧で優しい手つきなのはわかった。
「思ったより症状も出てきていますね」
和泉が呟く。何を確認してそう呟いたのかは明白だった。
潤のフロント部分が硬く上を向いて反応を始めていて、今和泉が指を収めているその中は、かなり熱く潤って、ほぐれている感じがする。
恐る恐る目を開けて見上げると、広げる自分の脚の間から和泉の端正な顔が確認できる。顔見知りのドクターにデリケートな場所を診られていると強く実感し、潤は羞恥心が掻き立てられ、思わず脚を閉じてしまいそうになったが、それを横に控えていた看護師に阻まれた。
「大丈夫ですか? もう終わりますからね」
そう看護師にやさしく宥められる。
程なくして指が抜かれ、バスタオルをそのまま戻された。和泉が、お疲れ様です、服を着てもらって結構ですよ、と言った。
「お尻の奥はかなり柔らかくなっていますね。発情期の初期症状ですね」
服を身に着けた潤は、受診用の椅子に腰掛ける。
「森生先生とは連絡がついていますか?」
和泉に問われる。
潤は思わず言葉がつまり、視線を伏せた。先ほどから颯真から連絡が取れないことを思い出してしまい、胸が痛み、息ができないほどの孤独感に襲われた。
「潤さん?」
「颯真……」
思わず潤は呟く。俯く視界がくにゃりと揺れた。
気がつけば手に落ちたのは、涙。はらはらと目からそれがが落ちた。
「あ……」
驚いてジャケットのポケットからハンカチを取り出す。
「すみません……」
ハンカチで潤む目を抑えるが、視界がぼやけるほどに、颯真と連絡が取れないことが不安で仕方がない。
和泉が優しく潤の背中をさすってくれる。
「どうしました? 森生先生から連絡は?」
潤は首を横に振った。それで和泉には全てを把握できたらしい。
「そうですか。症状が出てきているのに連絡がつかないので不安になりますよね。ちょっと待ってくださいね。私からも連絡を入れてみましょう」
和泉がその場で誠心医科大学横浜病院のアルファ・オメガ科の医局に繋いでくれて、事情を話す。
発情症状が出始めている番候補のオメガが、颯真と連絡が取れないと心配していると伝えてくれた。
和泉は受話器を持ったまま何度か頷いて、挨拶を交わして通話を切った。そして、潤を見た。
「潤さん、森生先生は二時間ほど前から緊急のオペに入られているそうです。オペを抜けることは難しいと思いますが、きちんと伝えましたから、終わったらすぐに連絡をくれると思います」
そして、和泉は、緊急抑制剤を使ってはどうかと提案してきた。
「このままでは辛いと思いますし、症状を軽くして森生先生の帰りを待った方が精神的にも体力的にもいいと思いますよ」
潤は少し考える。
確かに和泉の勧めはその通りなのだが、以前緊急抑制剤があまり効かなかった経験があるし、颯真も発情期に入ると体質的に薬が効きにくいと言っていた気がする。
潤が大丈夫ですと断ると、和泉はあっさり頷いて「じゃあ、チョーカーだけ着けましょうね」と言った。
和泉が潤に見せてくれたのは、黒いチョーカーだ。一見ファッションチョーカーのようにも見えたが、よくよくみると布製よりもしっかりしたナイロン素材のような印象で、光沢もある。
「先日お話ししたチョーカーはこれです。これを潤さんに装着してもらい、鍵は別で私の指紋で施錠します。
シンプルなデザインですが、特殊な素材でできていて頑丈なので、たとえば切れ味が鋭いハサミでも、断ち切ることはできません」
和泉が潤にチョーカーを手渡す。思ったよりも硬い素材ではない。しかし、ハサミでも切れないほどの素材であるというのは、手触りでなんとなく分かった。
「通気性と速乾性もある素材なので、蒸れることは少ないと思いますし、お風呂やシャワーもこのままで問題ありません。
次にこれを外すのは、潤さんの発情期がちゃんとおさまったと私が診断を下した時です」
潤は頷いた。
「……ということは、発情期が終わったら、僕はもう一度和泉先生の診察に伺う必要があるんですね……」
「そうですね。少しお手間ですが。今回のように連絡をください。外来を開けますから」
和泉が潤の頸がちょうど当たる場所にチョーカーを装着した。
潤の首に黒いチョーカー。ワイシャツを纏うとわずかに見える程度だった。
これで今回の発情期は、颯真が抑制剤を飲んで越える必要はない。
今回の発情期で番うことができないのは未だに悲しいことだが、これまでいろいろなことを颯真に負担させてきた分、彼が背負ってきたものを少し自分に移すことができた気がして、潤は単純に嬉しくなった。
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