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四月一日。
年度が変わった。
四月一日付で、森生メディカルは組織改正を行った。これまでは、医薬品の研究・開発販売を行う「ファーマ部門」と医療用具・機器を扱う
メディカル部門」の二部門体制をとってきたが、これを疾病領域の事業部制とする、大胆な変革だ。
具体的には、同社の主軸である「アルファ・オメガ領域事業部」と「がん領域事業部」の二事業部体制。
各領域の専門性が高まることで、研究開発のスピードアップが図り、さらにはきめの細かいフォローアップもできると期待されている。
「……森生潤社長の肝入りの組織改正とされる。主軸となるアルファ・オメガ領域事業部長には、これまでファーマ部門の研究開発を担ってきた、大西克敏部長が就任。
さらに、新たな医療情報支援組織として『メディカルアフェアーズ(MA)室』を新設。さらなる情報提供体制の充実化を図った。
室長に抜擢されたのは、藤堂伊織氏。現在は、同社が承認申請中のフェロモン誘発剤「サーリオン」と、その中和剤「ゾルフ」のプロダクトマネージャーを務めている。いずれは部として組織化する見通しで、早急に組織固めを行なっていく予定」
……配信したプレスリリースを受けて、このような感じで専門紙のネットニュースには紹介されていた。
早速、藤堂のもとには専門紙から取材の申し込みがきているらしい。
そして、新年度を迎え、森生メディカルには三十人の新卒が入社した。
ほぼ全員が四大卒で、経歴は様々。中には、院卒でそのまま研究所に入る予定の者もいるが、ほとんどはこのまま新卒に対して行われる基礎研修を受け、営業職からキャリアをスタートすることになる。
当面は製薬業界の営業職では必須の資格とされるMR認定試験に合格するのが目標だ。もう午後から新人研修が始まる。
潤も最終面接には参加したので、新入社員全員と面識はあるのだが、蓋を開けてみると今年は三十人のうち二人がアルファで六人がオメガだった。
アルファとオメガは、ベータに比べれば割合もわずかであるため、この比率はかなり高い。最終面接まで第二の性を問うことはせず、平等に選考試験を行うため、特にオメガに関しては純粋に優秀な人材が自然と集まったと言える。
最終面接で学生から聞いたのだが、森生メディカルは最後まで第二の性を聞かれず平等な選考が行われるとオメガのOB、OGから多く聞かれて、就活生……とくにオメガの間で話題を集めていたという。それがまた優秀な学生を集めることにプラスに作用したことは間違いなく、嬉しいことだと潤は思う。
そして午前、品川の森生メディカル本社の二階にある大会議室では入社式が行われており、全国の営業所長と課長以上のマネジメント層が参集していた。
中央には少し緊張した面持ちで、着なれないスーツを纏う新卒社員の面々。
四月に新入社員を迎えるのは、社長に就任して三回目。
潤は、壇上からその姿を見て、新卒で入社した七年前の自分を思い起こす。同じようにこの会議室で執り行われた入社式に出席した。
しかし、今思うと、あの年の入社式は少し異様だった。
社長は母親の茗子。今年の新卒には創業の森生一族……はっきり言えば社長の息子がいると新卒の間だけでなく社内でも話題になっていたようだった。
もちろん名前を聞けばすぐわかるわけで、入社当日から潤を取り巻く空気は少し異様だった。
潤自身もあらかじめそうなることは覚悟していたが、実際の反応はその潤がため息を吐くほどで、新卒社員も皆潤を遠巻きに見ていた。
そのなかで関係なく話しかけてきたのが、幼馴染で就職先まで同じという、もう腐れ縁も極まれりな関係性だった江上廉と、もう一人、藤堂伊織だったのだ。
廉は潤のそばを離れなかったが、藤堂は誰ともフラットに話すタイプで、瞬く間にその年の新入社員四十人の意識をまとめ上げてしまった。
そのなかで潤とも偏見なく話しかけてくるため、彼がいたから潤は新卒社員として他の同期にも溶け込めたという事情があった。
今ではかなり立場も変わってしまったが、今でも藤堂が同期会など、時々声をかけてくれる。彼がいるから、まだ同期との縁が繋がっているとも言える。
なんか懐かしいことを思い出したなと思った。
潤は目の前の新入社員三十人と課長以上のマネジメント層を前に、挨拶をするため登壇した。
七年前の入社式、同じようにここに登壇した森生茗子社長は、こう新卒社員に対し、これからは法令遵守はもちろん、社会人としてのルールを守り、日本の医療に携わる者として高い倫理観が求められると諭した。
それは本当に尤もだし、医療に携わる新社会人の心得としては普遍的なものであるので、潤も毎年そのように伝えることにしている。
さらに茗子からは「自分の頭で考え、判断する力をつけてほしいし、さらに自らの決定に責任を持つ人となってほしい」と言われた。
自分はそうなれただろうか、とふと思いながら潤は口を開く。
目の前の三十人の新卒の視線が自分に一斉に注がれている。社長という立場は、縁が繋がった彼らの人生も自分が背負うということと改めて思う。
「変化の激しい時代です。昨日までは定説だったものが翌日には覆っている、なんてことがいつあってもおかしくはない。
そのために専門分野であっても絶えず研鑽を積み、柔軟性を身につけてください。それはどんな変化にも対応できる武器になります。そして、常に新しいことにアンテナを張り、チャレンジする姿勢を育んでください」
潤は新入社員にこうエールを送った。
「一人一人のそのような姿勢が、森生メディカルの将来を作っていくのだと思っています。皆さんの活躍を期待しています」
潤がそう述べると、彼らの表情が一段と引き締まったのを感じた。
新年度初日の社内は、少し浮き足立っている感じがすると、潤は社内を歩いていて思う。
今日から始動する部署もあれば、新たなポジションに就く者もいる。新卒を迎え入れる者いるのだから、新しいこと、新しい風に触れて自然と気持ちが上向くのだろう。
活気を感じる空気が潤は好きだ。
そんな雰囲気の中にいたくて、あえて昼休みに社内カフェでロイヤルミルクティをテイクアウトする。
店員にも、社長がいらっしゃるなんて、と珍しがられ、テイクアウトカップを受け取る。こんな雰囲気はなかなか味わうことはないからと潤はベンチに腰掛けた。少し気持ちを落ち着けてから社長室に戻ってもいいかと思ったのだ。
すると、不意に隣に腰掛ける人物がいた。
視線を向けると、しっくりくるスーツ姿の長身の男。人の良いファニーフェイスがにこりとこちらに笑みを向けた。
藤堂伊織だった。
「お疲れ様です。社長がこんなところにいらっしゃるのは珍しいっすね」
潤も頷いた。
「まあね。ちょっと社内が面白い雰囲気だなって思って」
すると、藤堂は笑ってツッコミを入れてくる。
「そんな雰囲気にしたのはどなたですか。社長でしょ」
たしかに、その通りだった。
今回の組織改正が与える影響が大きい。関係する人数も半端ではないため、社内の雰囲気が例年以上に少し浮き足立っている。
「あは。そうだね」
「今日は江上室長は?」
「自分のデスクだと思うよ。別にずっと一緒にいるわけじゃないよ」
「社長はともかく、彼は常に社長の背後にいる雰囲気ですよ」
藤堂がそうからかった。
「ところで、例の件ですが……」
「相模原?」
潤が端的に問うと藤堂はしっかり頷いた。そのためにここに座ったのだろう。
「そうです」
「何かわかった?」
潤はさりげなく脚を組んで、藤堂へ流すように視線を向けた。
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藤堂が話そうとしている「例の件」。
3章35話の話です。
復習(予習?)したいという、ありがたやな方がいらしたらぜひ。
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