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藤堂はあえて「例の件」と言ったのだろうと潤は察した。
藤堂に密かに調査を指示していた、あの件だ。「佐賀管理部長が辞めたのは、社長の逆鱗に触れたから」
先月の初めにそんな噂が、相模原研究所のスタッフの間でまことしやかに噂として流れていた、その発信元を探るというものだ。
社内の動揺や個人情報の観点から、佐賀の取締役退任と退職理由をはっきりと公表しなかったため、そんな噂が流れていたという話だったが……。
その噂の出所を突き止めることができたのだろうか。
潤は隣の藤堂を見る。
何かしらが判明したため、彼はこのように報告しにやってきたのだろう。
しかし、藤堂の一言目は意外なものだった。
「どうも件の噂、急速に沈静化したようです」
どのように捉えて良いのか。
潤も判断がつかず、素直に疑問を口にする。
「それはどういう意味?」
「噂を辿っていったのですが、その発信元はぼんやりしていまして。そうこうしているうちに、噂も急速に萎んでいった様子でした」
「今は?」
「もうほとんど話題に上っていないようです」
「ほとんど……」
人の噂も……とはいうが、収束が早い気がする。あれからまだ一ヶ月も経っていないのに。
藤堂によるとその要因は明確にはわからないものの、社長自ら相模原研究所に足を運び、改革の必要性を訴え、今後の見通しを自分の言葉で語ったことで、スタッフの間で安堵感が広がったように思うと結論づけた。
やはり、品川本社と相模原研究所の距離感の問題だったのだろうか。意図的に流した人物はいただろうに。
「以上、噂を流した人物には辿り着けませんでした、というご報告です。
……申し訳ありません」
藤堂の謝罪なんてめずらしい。
確かに、潤の指示は噂を流した人物を探せというものであった。しかし、彼の社内でのコミュニケーション能力やリサーチ力をもってしても辿り着けなかったのであれば、おそらくどんな人物でも、たとえ江上だったとしても難しかったに違いない。
潤は藤堂に対して、そのくらい信頼を置いている。
発信元に辿れなかったのは残念だが、所内の雰囲気は落ち着いたということだし、あとは大西と磯貝に任せれば問題はないように思う。
最近はリモートに頼りがちだが、自分もマメに相模原に顔を見せた方がいいだろう。手間ではあるが、相模原研究所で開発会議に参加するというのもいいかもしれない。
「分かった。とりあえず、相模原は落ち着いたという理解でいいわけだ」
そう確認すると、藤堂は頷く。
「はい。一ヶ月前の不穏な雰囲気はもうありません」
「そっか。それなら大西さんと磯貝さんも、やりやすくなるね。ありがとう」
潤がそう言うと、彼は頷いた。
おそらくこの報告をするために藤堂はここに腰を下ろしたのだろう。潤が早急に報告を求めている事案であることは明解であるにもかかわらず、メールや電話での報告は難しく、かといって藤堂自身が堂々と社長室に出入りできるわけでもない。何か連絡があれば、潤が彼を呼び出すことは考えていたものの、このような形で報告してくれたのだ。
「ところで、今日からメディカル・アフェアーズ室は始動だけど、どう?」
今回の組織改正で新設した新しい医療情報提供支援体制の構築には、潤の気持ちが入っている。その指揮を、藤堂に任せたのだ。
「社長のご期待に添えるよう、頑張ります」
「彼のこともよろしくね」
それは藤堂のサポートにつけるといっていた人物のこと。まずは優秀な人材を社内から集めて欲しいとオーダーしているので、プロダクトマネージャーとして承認申請中のサーリオンとゾルフを抱える身としてはしんどいだろうと、サポート役をつけたのだ。
ちょうど良い人材がいたので。
「ずいぶん気にかけてるんですね」
そう藤堂が言うので潤は頷く。
「うん。彼の上司にも出すのを渋られたからね。広報だけでは勿体無い人材だけど、優秀だから手放したくないって。本人もあまり自信がなさそうだったし、気にかけてやって」
藤堂は頷いた。
「見込んでるのは社長だけじゃないってことですね。わかりました。ますます責任重大だ」
それはそうと、と藤堂が話を変える。
「同期会は今週末ですよ。今日、最終出席確認をを取りますけど、社長と秘書室長は出席ということで、いいですよね?」
それは年明け早々から藤堂に会うたびに言われていたものだ。たしかに今回は観念して一ヶ月程前の出席確認で「出席」と返答していた。江上が「出席」なのかは知らないが。
聞けば、同期四十人のうち、この品川本社及び近隣に勤務していて出席可能なのは二十五人ほど。これは首都圏勤務で出席可能者の八割にのぼるらしい。
「同期で半分以上の出席率とは、頑張るね」
各部署内で責任が増してくる年代であり、子育て世代でもある。同期は皆忙しい。にもかかわらず藤堂の呼びかけで集まってくるのだ。
「今はなかなか集まるタイミングが掴めないですね。でも、いいタイミングだと思うんですよ。今回は相模原から異動になった奴も来ますし」
この藤堂の求心力と行動力、そして結束力があるから、潤の同期はこのように繋がっているのだろう。
「そうだ、僕は出るけど、江上は欠席でよろしく」
「え、秘書室長は来ないんですか? 社長は出るのに?」
藤堂の言葉に、潤は、だからずっとくっ付いてるわけじゃないって、と苦笑する。
「今回は僕だけで許してよ」
「秘書室長からは、この間は出席のお返事をもらってますけど」
「じゃあ欠席にしておいて。秘書室長は最近僕が不在にしてたこともあって、オーバーワーク気味なんだ。このタイミングで休ませたい」
「わかりました」
藤堂はあっさり引き下がった。潤の脳裏にはもちろん江上と、その番の尚紀の存在がある。
「申し訳ないね。週末だし、大事な人のところに早く返してあげたいんだ」
潤がそう言うと、藤堂もそういうご判断なら仕方がないですね、と頷いた。
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