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 すると、すっと潤の視界を横切る人物があった。背が高くて痩せ形の、少し猫背気味のその姿は……。  潤の意識に触れた。樋口と話していたにも関わらず、思わず呼び止めてしまう。 「あれ、春日? 久しぶり」  彼は振り返り、少し驚いたような表情を見せる。 「あっ……社長。お久しぶりです」 「元気だった? 連絡できなくてごめん。相模原から来てどう?」 「あの……」  春日が少し、躊躇うような仕草を見せた気がした。 「おーい、春日、こっち〜!」  そう呼んだのは藤堂。彼が振り返る。 「あ、すぐ行く。すみません」  春日の謝罪に、潤も手を振って彼を見送る。 「ううん」    少し話せればと思ったが、藤堂に持って行かれてしまったと、潤は一人苦笑した。せっかく話しかけられたんだけどな、と少し残念に思う。 「社長は何飲む? ビールからいく?」  樋口の言葉に潤は頷いた。 「そうだね。みんなビールかな」  しばらくすると全員揃った様子で、藤堂の乾杯で同期会が始まった。  潤も樋口と乾杯をする。  すると、藤堂が近寄ってきて潤は促され、そこに参加している全員と乾杯することになった。 「わーい、わざわざ社長が来てくれた〜! かんぱーい!」 「樋口さんとばっかり喋ってないで、森生くん、こっちにも来てよ」  そう親しく話してくれる同期もいれば、口数少なくなんだか複雑な表情を浮かべ乾杯を交わす者もいた。  同期だからといって、全員が潤の身分を面倒だと思っているわけではないようだ。自分を身近な存在として見てくれ、久々の再会を素直に喜んでくれる者もいる一方、複雑な感情を持っている相手というのも、酒を酌み交わせば何となく分かるものだ。  藤堂が同期会に来い、と、さらにみんなと乾杯せよと言った意味が、潤にも理解できた。  なるほどね、と思う。  同期だからと十把一絡げに距離を置いているだけではなんの進展もない。  それに潤にとっていい意味で想定外だったのは、同期会への参加を喜んでくれている者がわりといるということだった。  挨拶と軽い雑談を交わしながら各テーブルを回って、樋口のテーブルに戻ってくると、先ほど中座していた霧島も戻ってきていた。  彼も、潤と乾杯を交わすと、ビールグラスをぐいっと傾けて一気に煽る。  さすが営業、とその飲みっぷりも気持ちいい。  そう惚れ惚れしながら思っていると、霧島に耳元で囁かれる。 「ちょっといいですか?」 「ん?」  潤が視線を向ける。霧島が声を顰める。 「実はホントに偶然なんですけど、得意先のドクターが来店していて……」  潤は驚く。 「すごい偶然だね。……それ、誠心医大?」 「ええ。  それで、社長にお会いしたいって」  なるほど、と潤は現実に引き戻される。 「僕がいるって、バレてるんだ」  ならば挨拶に行かねばなるまい。 「わかった。行く」  潤は霧島を促して立ち上がる。ヘロヘロになるまで飲むつもりはなかったが、アルコールが回る前で良かったと思う。  霧島が得意先というドクターなのだから、おそらくアルファ・オメガ科だろう。  和泉かなあと潤は考えた。和泉であれば、霧島経由でなくても、直接自分に来そうなものだが……と、スマホも確認するが気配はない。  藤堂に軽く中座する話をして、潤は霧島の案内で店の個室に向かった。  霧島が潤を案内したのは、小上がりになっている座敷席。  潤が室内に入ると、潤が想像していた人物ではなく、かなり予想外の人物がいた。  潤の顔見知りだが、和泉ではなかった。  潤は驚いて息を詰めた。  目の前にいるのはスーツ姿の、精悍な男性。この人とは思わなかった。 「森生社長、久しぶりです」  最後に見たのは中目黒のダイニングバー。あまり記憶にはない。ぐずぐずだったから。歪んだ笑顔が一瞬蘇ったが、すぐに消えてしまった。今、そのような表情は見る影もないからだ。  精悍な体格にすっきり着こなした仕立ての良いスーツ姿。白衣姿は見たことはないが、映えるんだろうなと初めて思った。  こんなふうに、彼をまじまじと見たことなかったから。 「松也さん……」  誠心医科大学横浜病院の外科医、天野松也だった。 「霧島くん、わざわざありがとね」  松也が、潤の背後に控える、案内役の霧島に礼を言った。  潤も霧島を振り返ると、彼はよろしく、といった具合で潤に視線を送る。完全に何も知らない顔だ。 「驚いていますよね、社長」  松也は、きちんとオフィシャルの姿勢を貫き、潤を社長と呼ぶ。霧島がいるからだ。  それは最後に会った時の彼の姿とは到底重ならなくて。それに助けられて潤は冷静になれた。 「……いえ。天野先生、お久しぶりです」 「じゃあ、俺はこれで!」 「おい、霧島!」  思わず潤が呼びかけるも、霧島は部屋の戸を閉じて、退室していった。  室内に変な沈黙が流れる。 「何の用ですか」  繕うものがなくなり、声を強ばらせる潤に、その人物は少し切ないような笑みを浮かべた。  潤は再度、少し強い問いかけをする。 「なんで、あなたが?」  松也は誠心医科大学のドクターだが、本院ではなく、横浜病院の方。しかも、アルファ・オメガ科でもなく、外科だ。 「突然で驚かせてしまったね」  それに頷くのは、少し気持ちが許さなかった。 「そんな、固くならないでほしいな」  そう言われても……。潤は口を開けなかった。 「まあ、そんな反応をされるようなことをしたのは俺の方なんだけどね……」  松也とて、どのように思われているのか、分かっている様子だ。  話など、さっさと片付けてしまえば良いのに、潤は思わず聞いてしまう。 「なんでここに? ここ品川ですよ」  あなたの勤務先は横浜でしょう、と言いたい。まさか自分を尾けたとは思っていないが。  驚きと苛つきで余裕がない潤と比べ、松也は穏やかな笑みを見せる。 「本当に偶然なんだ。本院の先生との勉強会で品川をよく使うんだけど、今日もそれでね。お疲れさまで飲みに来たら、偶然」  たしかに。辻褄は合っていて、嘘ではなさそうだと思う。以前もそのような理由で、品川での待ち合わせをしたし、先ほど霧島が、誠心医大のドクターがいると言っていたし。 「霧島くんが君と同期だってことは知っていたからね。聞いてみたら社長がいるというから、挨拶をしたいと場を作ってもらった」  どうも霧島は、本院だけでなく横浜病院の方でも顔が利くようだ。断ってくれて構わなかったのにと思うが、得意先に言われては難しいだろう。  潤は警戒心を崩さずにもう一度問うた。 「僕に今更、なんの用ですか」  松也はそんな反応に少し眉尻を下げた。 「この間のことを一言、直接謝りたかっただけなんだ」

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